番外編 精霊のことを聞く
翌朝、窓の外が白んできたころ、俺はのそのそとベッドから抜け出した。
まだ眠っている家族を起こさないように、そっと家の外へ出る。
空は薄く色づき、東の方を見ると、オレンジ色の日の出の兆しが見えた。南国の沖縄でも、明け方はさすがに少し、空気がひんやりとする。
腕を伸ばしてこわばった体をほぐすと、首を回して、寝不足の頭をしゃっきりさせようとする。
ああ、体が重い。
今夜はなんとしても、よく眠れるようにしなければ。
俺は家の裏に回って、ガジュマルの木のところへ向かった。
昨日の夜の「あいつ」は、なんとなくこいつだっと思ったのだ。
「キジムナーだっけ?」
何かを俺に訴えかけていたようだった。痛い、痛い、と。それは、妹の加奈が言っていた、「出ないようにした」のと、関係があるんじゃないか、という気がする。
「こういうのを放っておくと、よくないんだよな……」
八百万のものたちとは、できるだけ仲良くしたほうがよい、というのが俺の主義だ。特に経験上、木の精で悪いやつはいない、と俺は思っていた。というか、良い・悪いなんて世界では生きていないんだと思う。
怖いのは、死んだ人の霊とか、そっち系だ。
俺はガジュマルの幹にそっと手を触れて、そのぬくもりを感じようとした。生きている木は、寒い冬であってもほのかに暖かいものだ。
幹や、からまりあった根を丹念に調べていくと、幹の真ん中に、太い釘がささっているのを見つけた。
「もしかしてこれが、キジムナーを押さえ込んでいるのか……?」
痛いと言っていたのは、この刺さっている釘のことだったのかもしれないな。
試しに指で引っ張ってみるが、さすがに手では抜けそうになかった。それに、今抜いたら、怒りにかられた木の精が何をするかわからない。
策を練った方がいいな。
「昨日の夜、金縛りにあったんだけど」
俺が加奈に報告すると、妹は「やっぱり?」と予期していたように言う。
「お兄ちゃん木の精に好かれやすいし、キジムナーが頑張って出てくるかもなーと思ってた」
こら。わかってたなら、教えてくれよ。びびったじゃないか。
「あの釘、抜いてやったほうがいいんじゃないか。あれが、『出ないようにした』ものなんだろ?」
俺が言うと、加奈は顔を曇らせた。
「だって、またしょっちゅう出るようになったら、嫌だもの」
「だけど、痛がってたぞ」
話を聞いていた幼い甥っ子が、心配そうに加奈の顔を見上げた。
「痛いの?」
加奈は答えられずにいる。
「無理やり押さえるよりは、仲良くしたほうがいいと、俺は思うがな」
「そりゃ、お兄ちゃんは仲良くできるんだろうけど」
俺が説得しようとしても、加奈は首を縦に振らない。子どもころ、「人ならざるもの」のせいで色々と怖い目にもあったことがあって、軽くトラウマになっているのかもしれないな。
「じゃあ、俺が夜中には出ないように言うからさ。試しに話してみてもいいか?」
「そんなこと、できるの?」
加奈は半信半疑だ。
「俺、一応神職なんだけど」
「昔はお兄ちゃんも、逃げていたくせに」
うっ。これだから家族は嫌なんだ。昔の言動を知っているだけに……。
「今は違うんだよ」
「……そんなに言うなら、任せるよ」
加奈はしぶしぶと言った様子で、そう言った。
さて。妹の前で格好つけて「なんとかする」と言ったものの。
俺に何か策があるわけではなかった。
「これは下調べが必要だな……」
わからないことは、聞くに限る。これは、俺が田舎にUターンをして、神主になってから得た極意だ。
地元のことは、地元の人に聞く。
郷に入っては郷に従え。
ということで、俺はその日の昼間は、また那覇市内に繰り出して、あちこちの人から情報収集をした。土産物屋のおっちゃんに、食堂のおばちゃん。商店街のばあさん。特に年配の人を狙って、「キジムナー」について聞いて回ること半日。
「あれ、意外とうまくいかないな……」
キジムナーの名を知っている人は多かったが、詳しい話となると、いまいち要領を得ないのだ。
あちこち歩きまわって、ついには漁港にまでやってきた。
「いや、木のことを聞くのに、漁港に来ても仕方ないか……」
ブルーグリーンの海を眺めながら、ぼんやりとする俺。
近くにつながれた小舟では、白髪頭の男がひとり、何やら作業をしていた。
ええい、ダメもとだ。とりあえず聞いてみよう。
「あのー。キジムナーって、ご存知ですか?」
「ん? キジムナーがどうした?」
男は作業する手を止めて、親切に俺の話に付き合ってくれる。
「いえ、ちょっと興味があって、話を聞きたくてですね」
「キジムナーは、漁師にとっては友だちだな」
「え!? 木の精が?」
意外な話が飛び出して、期待していなかった俺は、急に前のめりになった。
「ぜひ、もう少し詳しく教えていただきたく」
「キジムナーは魚が好きでな、仲良くなれば、漁を手伝ってくれるという」
「へえ~、そうなんですね」
ふむふむ。これは新情報だ。
「もしかして、キジムナーは魚を食べますか?」
「そうさな、魚の目玉が好きだと言うな」
「おお、なるほど」
ひとしきり話を聞いてから、俺は男に礼を言って港を後にした。
よし、これでなんとかなりそうだぞ。
そうと決まれば、さっそく今夜の用意をしなければ。
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