第62話 枯れた泉

 真夏でも涼しい山の中を歩くこと二時間ほど。

 

 俺たちは難なく源の泉にたどりついた。

 ここに来るのは二度目だったから、迷わずに来れたのはよかったのだが。

 木立の間に見えた光景に、俺は息をのんで足を止めた。


 山の神を探して、数ヶ月前にここへやってきたとき、小さな泉が澄んだ水をたたえて、木漏れ日にきらきらと輝いていたものだ。

 ここは川の「はじまり」の場所。

 水が岩の間から湧き出して、泉からは細い川が流れだしていた。

 それが。


「本当に……水が枯れている」


 泉の水は干上がって、乾いたところはひび割れ、底にはわずかばかりの水がたまって、ぬかるみをつくっていた。

「どうして? 暑いから?」

 源の泉の、元の姿を知っている結衣ちゃんも、驚いたように俺を振り返って声をあげた。

「山の開発のせいだと、俺は思っている」

 ここは、白水神社が位置する辺りよりも一層、町境の開発地に近い。

 あれだけ大規模に森が伐られ、山が開かれていたのだから、やはり影響が出ているとしか思えない。梅雨が明けて以来、ぜんぜん雨が降っていないのも、あるかもしれないが……。


「開発って?」

「ほら、隣町で太陽光発電所を作っている話、聞いたことないかな?」

「そういえば、学校で先生が言っていました」

 結衣ちゃんが眉をくもらせて、土がむき出しになった泉を見つめた。

「この泉は、水源地ですな」

 ムラ爺が泉の周囲を歩いて回って、注意深く調べはじめた。

 

 俺も泉に近づいて、何か印がないか探した。

 お白様が生まれたのは、この泉であるはずだから。もしかしたら、お白様はここに戻ってきているかもしれない。

 岩の間を確かめたり。

 泉のほとりに生える老木のうろの中をのぞいたりもした。

 お犬様は、ここで眠っていたからな……。しかし、今日はうろの中も空っぽだ。

 

 乾いた風が吹くばかりで、お白様のいそうな雰囲気はなかった。


「おーい、ここに動物の足跡があるっすよ」

 リュウさんが、泉から少しくだったところに何かの印を見つけたようで、手をふって呼びかけた。

 俺たちはバラバラと、リュウさんの元に集まった。

 そこは、泉から流れ出す川の跡のようで、地面がわずかに湿っていた。

 そして、リュウさんの指さす先には、点々と、犬のような獣の足跡があった。

 俺はしゃがみ込んで、指先でそっと地面に触れた。

「……お犬様の足跡?」

 かすかだけれど、お犬様の残り香のようなものが、感じられるようだった。 

「もしかして、先回りされているのか……」

 山の異変に対して、対処しようと動きまわっているのかもしれない。

 あるいは、わざと足跡を残して、俺たちに何かを教えようとしているのだろうか?


「お犬様が、ここにいたの?」

 結衣ちゃんも俺の側にしゃがみこんで、足跡を見つめた。

「ああ、おそらく」

「ねえ、どこかに向かっているよ」

 足跡は、森の中へ続いているようで、ほとんど目には見えないくらいかすかだが、結衣ちゃんは確かにその先を指さしてみせた。

 直感的に、こちらへ行け、というお犬様のメッセージである気がした。

「こっちに行ってみよう!」

「神主さん、この先は森が深いですぞ」

 ムラ爺が心配げに忠告する。

「それなら、やっぱり行ってみないと。水があるかもしれないでしょう?」

「むむ。仕方ないですな」

 

 枯れた泉を後にして、俺たちはさらに山の奥深くへと分け入っていった。

 道はあるかなしかの細いもので、明らかに人の通う山道ではなく、獣道のようだった。周りの木々はだんだんと大きくなり、薄暗さを感じるほどに、うっそうと頭上を枝が覆っていた。

「これ、帰れるかな……」

 一抹の不安を覚える俺。

 前に一度、竹に惑わされて遭難しかけた記憶がよみがる。

「まあ、さほど大きな山ではないし、なんとかなるか……」


 途中で一度休憩して昼食をとり、さらに道をたどっていく。

 道はだんだんと険しくなり、急な登りになっていく。俺たちは一列になり、息を切らせながら山道を登っていった。

「き、きつい……」

「白水山って、こんなマジ山だったんすか?」

「疲れます……」

 俺たちは弱音を吐きながら、休み休み歩いていく。


 もうこれ以上は心臓も足も続かないと思った頃。

 ふっと登りが終わって、道が平坦になった。

「おお、もしかしてこれが、峠を越えたってやつか?」

 俺は荒い息をつきながら、声をあげた。


「植生が変わってきましたな」

 ムラ爺が辺りを見回しながら、つぶやいた。

 確かに、地面にはシダのような植物がびっしりと生えている。

 それに、心なしか気温がさがっているようで、風がひんやりとした。

「ねえ、水の音がする!」

 最初に声をあげたのは、結衣ちゃんだった。

 俺たちは足を止めて、耳を澄ませた。

 さらさらと、水が流れる音が聞こえるようだった。

「水があるんだ!」

 俺たちが足を早めて、道をさらに進んでいこうとした、そのとき。

 ふとかたわらに重々しい気配を感じて、俺ははっと足を止めた。


「……誰かいる」

 

 

 

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