第26話 山の源を探して②

 俺たちはカサカサと乾いた竹の葉を踏んで、小道をたどっていく。

 前回はすっかり迷わされたが、今回はふつうに道が見えて、平穏に通り抜けられそうだった。


『あの竹は、よそ者なのだ』

 お白様がぽつりとつぶやいた。

「関西生まれとか言ってましたね。誰かが持ってきて植えたんですか?」

『うむ。里のものが、森の木を伐った後に植えた。そして、すごい勢いで成長し、他の木々の領域も侵していったから、山の植物には嫌われていた。だが、山の神はそんなやつのことも、受け入れた』

 お白様は当時を懐かしむような、しみじみとした口調でそう語った。

 ……そんなエピソードがあったのか。だから竹男は、あんなに山の神のことを特別視していたんだな。

「山の神って、懐の広いお方なんですね。どこかの誰かとは違って」

『む?』

 白蛇からすうっと霧のような冷気が発せられて、俺は焦って「なんでもありません」と打ち消す。

「神主さん、お白様と話しているの?」

 結衣ちゃんが尋ねてくる。いかん、うっかりいつものノリで会話してしまった。結衣ちゃんはお白様が見えていないし、声も聞こえていないんだよな。

 彼女は、俺が八百万のものと話していても、そういうものだとすんなり理解してくれるから、ついつい、気を抜いてしまう。たぶん、彼女自身が人ならざるものの気配を感じていて、あまり奇妙だとは思わないのだろう。

「お白様はおしゃべりなんだよ」

「白蛇さんが? いいな、私もお白様とお話ししたい」

「話しかけたら喜ぶよ」

『私の言葉は、ありがたき神託と心得よ』

 そんな和やかな話をしながら、俺たちは竹林を抜けていく。


 やがて竹が途切れ、普通の木が生えているエリアに出た。

 道は急な登りに変わり、本格的な山登りの様相を示してきた。

「いくつか、登山ルートがあるんだよな。だけど水が湧き出る源は、地図には載ってないな……」

 事前に登山マップをネットからダウンロードして、印刷して持ってきていた。電波がなかったときの対策だ。地図には、山頂まで登るルートがいくつか記されているが、どこにも「水源地」については書かれていない。

「お白様、道を教えてくださいよ」

『……源には、山の力を感じられる者しか、たどりつけない』

 そこは、山の霊気が集まる場所なのだ、とお白様が意味深なヒントだけを与えてくれる。

「山の力、か」

 俺にもそれがわかるだろうか?

「ねえ、結衣ちゃん。何か、不思議な気配を感じる方向とか、ある?」

 俺は結衣ちゃんにも協力を仰ぐ。

「不思議な気配? 何の?」

「山の、だよ」

「どうだろ、わかんない」

「山に聞いてみるしか、ないかな」

 とにかく感じてみようと、俺は土の上に腰を下ろし、靴を脱ぎ捨てる。そして、目を閉じて深呼吸し、感覚を研ぎ澄ませた。


 自分の身体が拡散して、森に溶けていく様をイメージする。森の匂いがし、ざわめきが聞こえる。木々の気配、小さな虫の動き、遠くの鳥のさえずり。まぶたの裏に、木漏れ日のゆらめきが映る。尻の下には、湿った地面の冷たさを感じる。

 肌に空気の流れのようなものが触れた気がした。やわらかい風のように、どこかから吹き寄せ、俺のほおを撫でて、どこかへ流れていく……。

 俺はすっと目を開いた。


「あっちか」「あっちかな」


 俺と結衣ちゃんが同時につぶやいて、ぴたりと同じ方向を指さした。俺たちは驚いて目を見合わせる。結衣ちゃんも俺と同じように、山の気配に耳を澄ませていたようだ。

「たぶん、間違いないな」

 俺と結衣ちゃんはうなずき合うと、メインの登山道からは離れて、山の奥へと伸びる細い獣道をたどることにした。


 山を歩くこと二時間ほど。ときどき休憩を挟み、山の気配を確かめながら、俺たちは着実に山の奥へ奥へと進んでいた。ほとんどが登り道だったが、あるところで峠を越えると、ふっと平らな場所に出たようだった。

 ひと目で古い森だとわかるような、幹の太い巨木が目についた。厚く落ち葉の積もった地面は濡れていて、靴に水がしみてくる。岩には苔がむして、幻想的な光景をつくっていた。

 俺たちは、慎重に足場を選びながら歩みを進めた。

 

 やがて木立の間に、ちらちらと光が見えてきた。俺たちは足を早めて、そちらに向かった。

 そこは、小さな泉だった。岩の間から水が湧き出て地面の窪みにたまっている。そこだけ木がないせいか樹冠がとぎれて、青い空が見えていた。


「ここが、清らかな水の湧き出る山の源、か」

 俺は小さな声でつぶやいた。俺は今、昔語りに聞いてきた、その場に立っているんだな。

「昔の人が、ここに神様がいるって思ったの、わかるな。光がきらきらしているもの」

 結衣ちゃんが感動したように、声をひそめてそう言った。

 確かに、枝の隙間からもれる日の光が水面にさして、光がちらちら揺れていた。


 お白様がふと、俺の肩からするりと降りると、何も言わず泉のほうへ、音もなく近づいていった。泉の澄んだ水に頭を浸けると、水の中へすべりこむ。

 お白様の白い鱗が水に触れて、透き通るように見えたのは、目の錯覚か。


「……あれがお白様?」

 結衣ちゃんが俺の隣でそうつぶやいた。

 振り返ると、結衣ちゃんは目を見開いて、泉のほうを見つめている。

「もしかして、見えてる?」

「……はい。うっすらと、白い蛇が光りながら、水の中を泳いでいる」


 清らかな水に触れて、お白様の力が増しているのだろうか。

 ここはやはり、山の力が流れ込む場所なのだと、俺は改めて感じた。

 

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