第27話 山深い源の泉

 お白様が水遊びを楽しんでいる間に、俺と結衣ちゃんは泉の周りをぐるりと回って、山の神の印を見つけられないかと探した。

 

 泉はごく小さく、縁はシダに覆われていて、幹のごつごつした老木が一本、水際に生えている。

 水は岩の間から湧き出しているようで、反対側に、泉から流れ出す細い川があった。

 ここは川の「はじまり」の場所なのだ。


「水源って言葉は知ってたけど、本物は初めて見たかも」

 きれいな場所ね、と結衣ちゃんが声をひそめて言う。

 確かに、水源を目にする機会って、あまりないかもな。子どもの頃、川の源は山にある、と聞いて、それがとても不思議だったのを覚えている。何もないところから水が出てくるのか、と。

 

 山の泉は澄みわたり、頭上からは明るい鳥のさえずりが陽光とともに降ってきて、ただただ静かだった。


 そして、どこにも山の神の印らしきものはなかった。


「ここではなかったのかな……」

 俺はだんだん、自信がなくなってきた。

 山の神を探すなんて豪語したけれど、山の源に来たのは思いつきでしかない。よく考えれば、山は広いし、もし地下に籠っていたりしたら、それこそ見つけようがないよな。

「天照大神みたいに、岩屋に隠れているとか……」

「なにそれ?」

「古事記の物語だよ」

 岩屋にお隠れになった天照大神は、他の神々が外でどんちゃん騒ぎをしているのが気になって、岩屋の戸を少し開けたところを、外に連れ出されたんだっけ。

 俺たちも、ここでパーティーでもすればいいのかな?

 いやいや。


 しばらく周囲を探索したが何もわからず、途方に暮れた。

 仕方ないので俺たちは、泉のほとりの岩の上に乾いた場所を見つけて、そこで休憩することにした。

 ちょうど昼の時間だったので、持ってきたおにぎりで昼食にする。


「ああ、おいしい。ただの梅干しおにぎりなのに、すっごいご馳走みたい」

 結衣ちゃんがにこにこしながら、おにぎりをほおばっている。

「山で食べる飯って、なぜかうまいんだよな」

 俺もおにぎりにかぶりついて、同意する。


 米が甘くて、梅干しの酸っぱさがまた、いいアクセントだ。おかずの冷凍唐揚げもすっかり冷めているのに、この場所ではとてもおいしく思える。

 空気がうまいからかな。


 お白様は水からあがってくると、日の当たる岩の上でとぐろを巻いて、日向ぼっこをしていた。鱗が光を反射してきらきら光っている。額の角の先に水の雫がついていて、水晶のようだ。


「ここでみると、お白様がとんでもなく神々しいな……」

 もしかしたら、昔ここには本当に白蛇がいて、それを見た昔の人たちが、この泉を守る水の神だと思ったのかな。

 その気持ちはよくわかる気がした。

 

 俺は目を閉じて、昔の風景を想像した。

 森深い山の中にある小さな泉。

 不思議なことに、俺の知らない景色のイメージがさらに去来する。


 道に迷い、のどが渇いて苦しい思いをしていた猟師が、たまたまこの泉に出会い、驚いて声をあげる。手のひらを澄んだ水に差し入れ、口に含むと、甘い水がのどを流れ落ちて、渇きが癒される……。

 水辺の岩の上には、白い蛇がとぐろを巻いている。

 幻想の風景の中で、さらに影が動く。

 森の中から軽快な足取りで駆けてくるもの。灰色の毛並みをした犬のような動物。金色の目が鋭い。オオカミだな、とすぐわかる。

 猟師が歩き出すと、オオカミは見守るように後をついていく。やがて猟師はもとの山道を見つけ、喜んで、急ぎ足で家路につく。自分を助けてくれた、山と水の神に感謝しながら……。

 オオカミはその後ろ姿を、静かに見送る――。

 

 ああ、これが「山の神」の姿だな、と直感した。



『おなかへった』


 そんな言葉が聞こえた気がして、俺はイメージの世界から現実に引き戻された。

 辺りを見回すが、誰もいない。


『おいしそうな においがする……』


 今度は間違いなく、誰かがそう言った。

 俺は立ち上がると、声の主を探す。おそらく、人ではないものだ。

「神主さん、どうしたの?」

 結衣ちゃんは声に気づいていないようで、怪訝そうな顔でたずねてくる。

「しっ、声がしたんだ」

 酒や食料の入ったリュックを手に持つと、足音を立てないよう静かに、声がしたとおぼしき方へ向かう。


 泉の縁に生える老木の側まで来たとき、間近から声が聞こえた。

『いいにおいが、ちかづいてくる』


 目を凝らすと、老木の根本にぽっかりあいた木のうろがあって、そこから犬のような小さな鼻面がのぞいている。

 しゃがみこんで、恐る恐る中をのぞきこむと、金色の双眸が俺を見返した。


「……子犬?」

 うろの中には、灰色の毛並みをした犬のような動物が、うずくまっていた。


『ぬしは なにものだ』

 子犬がそう問うた。見た目はふわふわの子犬だが、金色の眼差しが鋭く、俺はごくりと唾をのみこんだ。

 かわいい見た目に騙されるな、と自分に警告する。ただの子犬なら、こんな風に言葉が交わせるはずがない。

 古い力を持ったものだから、こうやって俺にも聞こえるのだと、経験上わかっていた。


 そうだとしたら、思い当たるのはひとつ。

 俺は居ずまいを正し、うやうやしく尋ねた。


「あなたが、山の神ですか?」

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