第28話 目覚めた山の神

「あなたが、山の神ですか?」

 

 俺の問いかけに対し、金の目をした子犬はすっと体を起こして座り直すと、威厳をもって答えた。


『いかにも』


 だがその直後には、力が抜けたようにまたうずくまる。

 そういえばさっき、「おなかがへった」と言っていたような……。

 まさか、腹が減って力が出ない? 神様が?


 俺は急いでリュックの中から貢物を取り出す。茹でた骨付き肉だ。

 本当は、神様への神饌(しんせん)として、肉は避けるのだが、相手はオオカミの姿をとった山の神だから、特殊事例として構わないだろう。たぶん。

 

「掛けまくも畏き白水山の大前に、恐み恐み(かしこみかしこみ)もうす、ここにたてまつる御饌(みけ)を平けく安らけくきこしめして――」

 俺はお供えの肉を子犬(もとい子オオカミ)の姿をした山の神に捧げながら、祝詞を奏上する。

 そっと山の神の前に神饌を置くと、子犬はぺろりと肉を平らげてしまった。

 

 あ、今は実体のある動物として顕現しているのか。しかし大丈夫かな、このひと本当に山の神かな。


『百年ぶりの食事であった』

 山の神は満足そうに口の周りをなめながら、そうのたまった。力が出たのか、しゃきっと座っている。肉効果すごい。

 たぶん、肉そのものよりも、こうやって崇められ奉られることこそが、神の力の源になるんだろうな。


 しかし、見た目は子犬だから、どうにも威厳がない。俺は灰色の毛並みをモフモフしたい衝動を抑えて、おごそかに話しかける。

「よろしければ、外においでになりませんか。あちらには、唐揚げもありますよ」

『よかろう』

 俺がうろの前から一歩引いて道をあけると、子犬はもったいぶった様子で外に出てきた。

 そして、長い眠りから覚めた後の動物のように、前足を伸ばして伸びをする。

 ああ、どこからどう見ても子犬だ……。


 俺は結衣ちゃんがいる岩のところまで、山の神を先導する。

 結衣ちゃんは一部始終を不思議に思いながら眺めていたのだろう。もの問いたげに俺の顔を見る。俺は小さく親指を立てる。


『おや、ここにも人の子がいるな』

 山の神はすんっと鼻を鳴らして、空気の匂いをかいだ。

 結衣ちゃんは、近づいてくる子犬に気づいたのか、驚いたように目を見開いている。山の神の姿は結衣ちゃんにも見えるのか。

 それはやはり、山の神の力が強いからなのか……。以前から、こうしてオオカミ姿で顕現して、人間の目にも触れていたのだろう。


「あの、神主さん、この子犬は……?」

「山の神だよ、たぶん」

「え、オオカミじゃないの?」

 たぶん、立派なオオカミを想像していたのだろう。

 現実は灰色のモフモフした子犬を目の前にして、結衣ちゃんは混乱している。

「きっと、子オオカミなんだよ。俺もよくわからないけど」

 俺たちの会話はそっちのけで、子犬は泉の水でのどを潤している。


『……おぬしは』

 そこに、お白様の声が聞こえた。

 泉の中を白蛇がすーっと泳いできたかと思うと、子犬の前の浅瀬で水面から鎌首をもたげた。両者が見合う。空気がぴりっとしたのが、肌身にも伝わる。


 長い沈黙があった。

 次の瞬間。子犬がぱっと白蛇に飛びかかると、その体を口にくわえて陸に引っ張り上げた。

 白蛇も負けじと子犬の首に巻きついて、二匹は絡み合いながら地面の落葉の上をごろごろ転がる。

「え!?」

 俺は驚きのあまり、反応できない。


 か、神々の争いが勃発した!?


「わんちゃんと白蛇さんが喧嘩してるっ」

「ストップ結衣ちゃん!」

 結衣ちゃんが止めに入ろうとするのを、俺はあわててその腕をつかんで引き戻す。

「危ないから近づいちゃダメだ」

「で、でも……」


 俺たちがハラハラして見守っていると、やがて両者はパッと離れて、距離をおいて見合った。

 子犬は地面に伏せて、尾をぱたぱたと振っている。これは、遊びに誘う犬の体勢だ。とすると、喧嘩ではなくじゃれあいだったのか?

 白蛇は岩の上に逃れると、するするとぐろを巻いた。

『ずいぶんと、情けない姿になったものだな、白殿よ』

 子犬が偉そうに言うと、お白様は舌をちろちろと出し入れした。

『そちらこそ』

 その会話と雰囲気で、やはりふたり(二匹?)は古い知り合いらしいと知る。


『で、そこの人の子はなにものだ?』

『この山の世話係だ』

「ちょっとちょっと、お白様」

 お白様が適当なことを言うので、俺はあわてて割って入る。

 いや、決して間違いではありませんがね。


「改めまして、私は白水神社で神主を務めております、山宮翔太と申します」

 俺が名乗ると、子犬は疑り深そうな目で俺を見る。

『神主とはなんだ』

『だから、世話係と言っておろう』

『ふむ。人に世話をされるとは、白蛇も随分と丸くなったものだな』

『世知辛い世の中だからな』


 なんだか、神様たちがよくわからない会話をしている……。もはや、神ってなんだっけ? 神道学で学ぶ神からはちょっとはずれている気がするが、それは彼らが土着の古い神様だからだろうか。


 俺は気をとりなおして、山の神に向き合った。

 ひとつ、伝えねばならないことがあるのだ。


「よろしければ、白水神社にあなたをお招きしたいと考えています。おいでいただけますか?」


 それは、山の神を見つけ出したら、きっとそうしようと考えていたことだった。

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