第20話 忘れられた山の神
「山の神……?」
竹の言ったことがうまく飲み込めなくて、俺はぽかんとした。
蔑ろにした? なんの話だろうか。
竹の男は腕組みをして、バカにしたようにふんと鼻を鳴らす。
『覚えてもおらへんか』
俺は背筋にひやりとしたものを感じる。まずい、ここの神主として当然知っておくべきことな気がする。
「それはお白様のことか?」
うちの神様といえば、白蛇のお白様だ。確かに、ちょっと雑に扱っているというか、蔑ろにしていると言われれば、否定もできないような……俺が自信なくたずねると、竹の男は肩をすくめた。
『白蛇は水の神。そんなことも知らへんのか?』
「す、すみません」
俺はたらたらと冷や汗をかきはじめた。お白様とは別に、「山の神」というものがいるのだろうか? だが、親父からも、そんな話は一度も聞いたことがなかった。白水神社の御祭神は、山の清き水を守る白蛇のお白様と、後代にお招きした弁財天。それが、子どものころから教えられてきたことである。
「いったい、どういうことだ?」
俺は竹を問い詰めようとしたが、竹は俺に背を向けた。
『この竹林の中をさまよい歩いて、山の恐ろしさを知ることやな』
竹はそう言い捨てて、すうっと姿を消した。だが、見張られている気配は残っているから、この無数の竹のどこかにまぎれているのだろう。
しばらく呆然としていたが、やがて俺は気を取り直して歩きはじめた。とにかく、なんとかしてこの忌々しい竹林を抜け出さないと。
すると、いくらも行かないうちに、急にパラパラと頭上から音がしてきて、鼻先に冷たいものが当たった。
「げっ、雨!?」
雨宿りをする場所を探すが、大きい木のない竹林の中、雨をさえぎる梢もなく、あっという間に俺はびしょぬれになった。気温も下がったのか寒くなってきて、身を縮めながらぶるぶ震える。
しかも地面が濡れると、いきなりすべりやすくなって、俺は何度もぶざまに転んで泥だらけになった。
「やばい、山を舐めていた……」
これが山の神の祟りか……俺が何をしたっていうんだ。毎日真面目に、奉職しているというのに……。
幸い、ほどなく雨は止んだが、今度は風が吹いてきて、猛烈に寒い。
帰り道は相変わらず見つからない。
俺は完全なる遭難者になっていた。
「やっぱり、同じ場所をぐるぐるしている気がする……」
ついに俺は気持ちが折れてしまい、リュックをどさりと地面におろすと、手頃な岩の上に腰かけた。
水筒のお茶を飲んで一息つく。
「腹減ってきたな……」
山に入ったのが朝の十時ごろで、今はすでに一時前。タケノコ掘りをしていた時間を差し引いても、二時間近く竹林の中をさまよっていることになる。
「荒ぶる山の神よ、お気持ちを鎮めたまえ……」
投げやりになってつぶやくが、祈る対象が明確でない分、力がこもらない。
「山の神って、誰なんだ?」
そういえば、昔語りの中で、山の神・水の神と、セットで語られていた気がする。だけど俺は、ひとりの神が山と水を司っているのだと思って、まさか二柱の神がいたなんて、考えたこともなかった。
山の神は、人々に忘れられてしまったということだろうか。
それか、山奥にあったという祠から今の場所にお社が移ったときに、何かあったのだろうか。そうだとすると、今の拝殿が最初に建てられたのが明治時代らしいから、百年以上前の話だ。
「知ったこっちゃないよな、そんな昔の話……」
とはいえ、気にならないと言ったら嘘になる。
俺がひとりもんもんとしていると、足元をかさこそと何かが走る音がした。
見下ろすと、枯れ葉の間をちっぽけな茶色いネズミが、ちょろちょろと走っていた。俺の靴の側に立ち止まると、後足で立ち上がってつぶらな瞳で俺を見上げる。
直感的に、普通のネズミではない、とわかった。
「なあっ、お前、お社へ戻る道を知らないか?」
俺が藁にもすがる思いで話しかけると、ネズミは手のひらで長いヒゲをひとなでした。
『いっしょ、かえる』
ネズミが細い声で、たどたどしくそう言った。たぶん、それほど古い力を持っていないのだろう、言葉は片言で、とても聞き取りにくい。
『おしらさま、めいれい』
なんと、お白様の差し金、もとい助け船か。さすが御祭神。すべてお見通しである。俺が喜び勇んでリュックを背負い立ち上がると、小さなネズミは道案内をするように、俺の前を走りはじめた。見失わないように、俺は必死でその後をついていった。
いくら歩いても歩いても同じ景色が続いていた竹林が、急に変化を見せて、さほど進まないうちに、前方に竹ではない木立が見えてきた。
「おおっ! 抜け出せそうじゃないか!」
ネズミはちょろちょろと俺の前を走り、森の中を抜ける小道のところまで俺を連れてくると、あっという間に藪の中へ消えていった。礼を言う暇もなかった。
「ありがとな、今度うまいチーズでも持ってくるよ」
俺はどこかにいるネズミにそう声をかけると、神社までの残りの道を、ほとんど走らんばかりに戻っていく。
ほどなく、木々の間に見慣れたお社が見えてきたときには、俺は心底ほっとして、全身の力が抜けそうになった。
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