第3章 山の神にまつわる話

第19話 竹林のなにわ男

 うちの神社がある山は、白水山といって、きれいな水が湧き出る場所として、古くから尊ばれてきたという。

 昔は山の奥深くの水源近くに、山の神と水の神を祀る祠があったらしいが、いつしか人里近くの今の場所にお社が建てられて、白水神社になったそうな。

 今でも神社の背後には深い山と森が控えている。ちなみに登山ルートもいくつかあって、山頂の展望台からは町と海が見晴るかせた。

 俺は、小学生のときに何かの行事で登らされて以来、足を踏み入れていないけれど。


 ***


「あれ、おかしいな……道に迷った?」

 俺はひとりつぶやいて、足を止めた。

 四方を見回すと、ひたすら細長い竹が連なる竹林が広がっている。どちらを向いてもあまりに景色が似ていて、完全に方角を見失っていた。複雑な起伏の地形になっているせいで、どちらが山の麓で、どちらが頂上なのかすらも検討がつかない。

 電波が悪いのか、頼みの綱のスマホの地図アプリもうまく働かなかった。

「まずいな、タケノコにつられて迂闊に入り込んだのが、まずかったか」

 俺は紺色の作務衣姿に、手には柄の長い鍬という出で立ち。背中のリュックには堀りたてのタケノコがずっしりと入っている。

「昔は、毎年ばあさんがタケノコを掘ってきてたから、簡単なんだと思ってた……」

 神社の裏から伸びる細い山道があって、五分ほど歩くと竹林に出ることは、俺も昔から知っていた。神社で使う竹はここから切り出していたし、まさか奥がこんなに広くなっているとは、思いもしなかったのだ。


 事の発端は、テレビの朝のニュースで「旬の食べ物」としてタケノコご飯が紹介されていたからだ。何を隠そう、俺はタケノコが好物。なんというか、子どものころの思い出の味なのだ。春のこの季節になると、婆さんが掘ってきた新鮮なタケノコを、天ぷらにしたり、炊き込みご飯にしたりしてくれて、俺はそれが好きだった。

 大人になった今。せっかく田舎暮らしをしているのだから、スローライフを楽しまなければと、いっちょタケノコ掘りに繰り出したが最後、この体たらくである。

 神社近くの竹林では、すでに誰かが掘った後なのかタケノコが見つからなくて、地面ばかり見てタケノコを探し歩いているうちに、すっかり道に迷ってしまった。


「いや、それとも、何かに惑わされているのか?」

 幻覚を見せられて、同じところをぐるぐる歩いているとか。それもありうるから怖い……。

 竹林の中は、地面が竹の枯れ葉で覆いつくされていて、歩くとカサコソと音を立てる。それがまた、何かの生き物の気配みたいで落ち着かない。


『あんさん、何してんの?』

 突然、真横から声が聞こえて、俺はびくりとする。視線を横にやると、しなやかな体つきの背の高い男がこちらを見ていた。手足も長くて、見事な八頭身である。

「ええっと、道に迷っておりまして」

『ふん。むやみと俺の息子を切り取るからやな』

 その一言で、こいつが竹なのだとわかる。しかしその表現、男としてはちょっと穏やかではいられないな。実際タケノコはこいつの子どもなんだろうけど……。

「誘惑にかられまして……二、三本ですので、お見逃しいただけますと、ありがたく……」

『どうせニョキニョキ生えてくるから、構わへんがな』

 だったら、最初っから文句をつけるなよ。とは口が裂けても言えない。しかしなんでこいつ、関西弁なんだ?

 いや、あんまり構うのは止めておこう。竹林のただ中にいるということは、こいつの掌中にいるようなもので、分が悪い。

「そろそろ、帰りますので。失礼します」

 俺は竹を無視して歩き出した。引き留められるかと思ったが、予想がはずれて、竹は何も言ってこない。途中で振り返って確認すると、元の場所で突っ立って、俺を眺めていた。


 五分ほど歩いたが、相変わらず景色がほとんど変わらない。ときどき、竹以外の木が生えているのに出くわすので、一応前に進んでいることはわかる。しかし、前がどこを向いているのか把握できないから、まったく意味がない。


『あんさん、どこ行くんや?』

 耳覚えのある声がして、俺はぴたりと足を止めた。今度は俺の斜め前で、またあの竹の男が立っている。どういうことだ? 確かにさっきは、後ろに置いてきたのに。大急ぎで回り込んできたのか?

「……なんで関西弁なんだ?」

 どこから突っ込めばいいのか迷って、一番どうでもいいことを聞いてしまった。竹の男はなぜか誇らしげに腕を組んで、鼻を鳴らした。

『それは、俺が関西生まれやからや! はるばる、京都の山からここまで連れてこられ、植えられたんや!』

「へえ~」

 それは知らなかった。この土地の生まれじゃないんだな。京都には有名な竹林があるし、その辺から苗を持ってきたのかな。

「というか、そんなことはどうでもよくて。神社へ戻る道をご存知ではないですかね?」

『知ってるに決まってるやろ。この竹林はすべて俺であり、俺はこの竹林なんやから』

 竹の男はなんだか厨二的なことを、自慢げに言う。ここが、こいつの領域だという意味か?

「あの、それだったら、道を教えていただけないでしょうか」

 俺は下手に出て丁重にお願いしたが、竹の男はふんと鼻を鳴らした。

『嫌だね』

「そんな……」

 俺の口から出かかった抗議の声は、竹の次の言葉にさえぎられた。


『俺の敬愛する山の神を、かつて蔑ろにした神社の使用人の頼みなんか、知らへんな』



 

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