第18話 日曜のお花見

 風が吹くと桜の花びらが舞い散って、辺りを桜色に染める。


 お天気のよい日曜の昼下がり、俺は本殿の裏に生えるしだれ桜の下に、ビニールシートを敷いていた。桜はすっかり満開で、少し散りはじめていた。

 俺の周りでは、桜色の髪をふわふわ風になびかせて、桜娘がくるくると踊っている。

『やっとお花見なのね! 先にわたしが散ってしまうところだったわ』

 その言葉で、桜は短く咲いてすぐに散る、はかない花であることを、今さらながら思い出した。……花が散ったら、こいつはどうなるのだろう。力が落ちて、姿を現さなくなるのだろうか。

 ふとそんな疑問が浮かぶ。


 お白様は桜の枝の上でとぐろを巻いて、日向ぼっこをしている。目を細めて気持ちよさそうだ。


「神主さん、こんにちは」

 結衣ちゃんが大きめのバッグを肩にかけて現れた。

「あ、結衣ちゃん。昨日はお疲れさま」

「ううん。袴の着付けも覚えたし、結婚式も見られたし、縁結びのお守りもゲットしたし!」

 結衣ちゃんはにこにこと嬉しそうだ。よっぽど、昨日の隣町の神社訪問が楽しかったらしい。

 ちなみに俺は、予期せぬ木登りのせいであちこちすり傷だらけ。あと、カラスにやられたこめかみにも切り傷ができていた。でもまあ、一件落着したから、よかった。


「これ、お母さんが作ってくれたお弁当。あ、おにぎりは私が握ったのよ!」

「おお、サンキュ」

 ちょっと照れながら、おにぎりを主張する結衣ちゃんがかわいい。

 ビニールシートの上に、重石がわりに大きなタッパーをふたつ並べる。


「こんちわ!」

 元気のいい声がして、階段ダッシュ少年が彼女と一緒にやって来た。友達のいない俺は、花見に声をかけられる人が数えるほどしかおらず、SNSでつながっていた彼に「花見するけど来ない?」と聞くと、「行きます!」と二つ返事で了承してくれたのだ。

 彼はコーラとオレンジジュースにスナック菓子を持ってきてくれた。


「ねえねえ。手水舎がすてき!」

 手を清めにいった結衣ちゃんが歓声をあげた。なになにと、階段ダッシュ少年と彼女もそちらへ駆け寄る。

「あ、桜の花が水に浮かんでる!」

「これ、お兄さんがやったの? 意外としゃれたことするんですね」


 俺はふふんと腕組みして、「花手水っていうんだ」と自慢げに説明する。

 写真を撮りながらキャッキャはしゃいでいる高校生たちの後ろから、俺も手水舎をのぞきこむと、苔の小人が竹の棒の上で『この人たちうるさい』とおたおたしていた。普段は静かな森の神社に、元気な若者たちが急に集まってきたから、驚いているのだろう。


「なんじゃ、花見と聞いとったが、若人のごうこんなのかね」

「あ、ムラ爺。来てくれたんですね」

 今度はムラ爺が、息ひとつ乱さず階段をのぼってきた。相変わらず作業着姿で首に手拭いをかけている。手には一升瓶の入った袋を提げていた。


 ビニールシートで車座になり、高校生たちはジュースを、俺とムラ爺は日本酒を紙コップに注いで各々手にとった。

「新しい神主さんのご活躍を祈って」

 かんぱーい。

 ムラ爺の音頭で、紙コップを打ち合わせる。


「あ、この唐揚げうまい!」

 階段ダッシュ少年(名前は永井くんというと、今日初めて知った)が唐揚げをほおばりながら、声をあげる。ちなみに、永井くんとその彼女は、結衣ちゃんと同じ高校の三年生らしい。学年が違うからお互いに話したことはないが、なんとなく顔は見たことがあるとか。

 俺は食べ物に群がる若者を横目に、ムラ爺と日本酒を味わう。スッキリと辛口で、ぬるくてもおいしくいただけるいいお酒だ。ムラ爺いわく、地元の酒蔵のお酒らしい。いいな。今度見学に行こうかな。


『これ、私にも酒を献上せんか』

 頭上から白蛇が酒をカツアゲに来た。

「はいはい、わかってますよ」

 俺は他の人に聞こえないように心の中で返事をして、準備していたお神酒用の白い盃に日本酒を注ぐと、花びらを一枚添えて、桜の枝の上にそっと置く。お白様はするすると、音もなく移動してきて、日本酒に口をつけた。

「酔っぱらって、落ちてこないでくださいね」

 忠告するが、お白様はあっという間に一杯飲み終わって、次を所望する。仕方ないので、もう一杯ついでやる。

「神主さん、桜にも酒をお供えするのですかね?」

 そうムラ爺に聞かれて、ぎくりとしながら答える。

「ええ、お花見させてもらっているのですし」

「神主さんは、木や虫にもおやさしいのですな」

 さらに次をねだる白蛇は無視し、俺は腰をおろして、唐揚げに手を伸ばす。一口かじると、衣がさくっと音を立て、じゅわっと生姜風味が口に広がった。うん、うまい。


 俺たちがわいわいと宴会をしていると、興味をひかれたのか、周囲には小さな生き物が集まってくる。トカゲやミツバチ、雀などの小動物から、草花に宿るこまこまとしたものたち。彼らは日向で身体を伸ばしたり、こぼれた食べ物をつついたり。風に吹かれて転がったり。微笑ましくて、俺はひとり唇をほころばせる。


 穏やかで平和で、賑やかな花見の会。

 ほろ酔いになってきた俺は、手を後ろについて空を見上げ、目を閉じる。まぶたの裏に光を感じ、ほおには風が触れる。

 なんて心地よい時間だろうか。俺は今ここに座っている自分を、改めて不思議に思った。一年前の、企業勤めで殺伐とした自分からは想像もできなかった。

 

 神主を継ぐということを勢いで決めてしまったが、自分の選択は間違っていなかったと、しみじみ思った瞬間だった。

 

 

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