第12話 チャドクガとの闘いとその後
いざ神社に着いて、チャドクガとの闘いが始まった。
ちなみに、参道の長い階段を、俺は相変わらず息を切らせながらのぼったが、ムラ爺が全く平然として、ひょいひょいとのぼっていくのには驚かされた。
ムラ爺、何者だ。……俺ももうちょっと鍛えよう。
椿の木のところへ戻ると、椿の少女が涙目で地面にうずくまっていて、俺に気づくと『遅いのよ!』と怒鳴り散らした。
ちなみに、ムラ爺は椿の精にはまったく気づいていないようで、サクサクと毛虫退治の準備をしている。
「さて、始めるかの」
ムラ爺vsチャドクガ。
その勝敗は、初めから明らかだった。
帽子をかぶり軍手をはめたムラ爺が、固着スプレーを構え、迷いなく毛虫にスプレーを噴射した。白い粉のようなものが勢いよく毛虫を覆い、枝や葉に固着していく。
集団でうごめいて椿の葉をかじっていた毛虫たちは、真っ白になって動きを止めた。毒針で反撃する間もない、一撃必殺だった。
ムラ爺はスプレーから剪定鋏に武器を持ち代えると、二重にしたビニール袋の中に、毛虫のついた枝を切り落としていく。
少し離れてムラ爺の鮮やかな手際を眺めていた俺は、ぞっとするような気配で身構えた。
無数の黒い羽虫のようなものが、ムラ爺の持つビニール袋から立ちのぼっている。瀕死の毛虫たちの怨念だろうか。黒いものは行き場を失ったように揺らめきながら、ゆっくりと俺のほうへ向かってくる。まるで、何かを訴えかけるように。
さすが神域の毛虫。そこらの虫とはわけが違うか。
俺はとっさに手を合わせ、口の中で祝詞をつぶやく。
「大いなる御虫に宿りし御霊よ 拝仕奉る清き明き真心を平らけく安らけく聞こしめして――」
毛虫よ悪かったな。俺もできればそっとしておきたかったんだが、やむを得なかったんだ。
次からは、もっと森の奥深くで生まれ育ってくれたまえ。
俺の祝詞が功を奏したのか、はたまた死ぬ間際の断末魔にすぎなかったのか、黒いものはすうっと空へのぼって消えていった。
ただ、後味の悪い空気だけが、まだしばらく残って俺にまとわりついていた。
「さすが神主さま。こんな虫けらの命をも憐れまれるのですな」
駆除された毛虫の入ったビニール袋の口をしばりながら、ムラ爺が感心したように俺を見ている。
「いえ、境内の生き物は、虫でも神の使いだと申しますので」
怨念が見えたとはさすがに言えなかった。
ムラ爺は何も悪くない。俺の代わりに、毛虫を退治してくれただけだから。
俺はムラ爺に何度も礼を言った。
「本当にありがとうございました。俺だけでは、迂闊に触って酷い目にあっていたに違いありません」
「なんの。この神社は、うちの地域の大事な場所ですからな」
「そう言っていただいて、嬉しいです」
「お若いのに、ひとりで管理をするのも大変じゃろう。困りごとがあれば、遠慮なく町内の者に相談してくだされ」
「ええ、今度の町内会の会合では、正式にご挨拶させていただきます」
ムラ爺が帰っていった後、枝が切られてちょっとみすぼらしくなった椿の木を見上げて、俺はしばらくぼんやりしていた。
着物をまとった椿の少女が、また枝に腰かけて、俺を見下ろしていた。枝葉を切られたせいか、長かった黒髪が少しばかりふぞろいになっている。
『助かったわ。あいつら、わたしの天敵なのよ』
ツンとしつつも、椿は感謝の言葉を口にした。
「礼ならあの爺さんにしてくれよ」
『あの人、話しかけても聞こえないんだもの』
椿はつまらなさそうに、足をぶらぶらさせる。
『ここに来るほとんどの人は、わたしたちに全然気づかないのよ』
たまに近くまで来て、花がきれいだとか言ってくれる人はいるけれど、と椿が付け加える。
「……俺はどうして、見えるし、聞こえるんだろうな」
今まで俺は、理由はわからないながら、そんなものなんだと思っていた。
子どものころから見えていたし、親父も妹も同じだったから、小さいころはそれがおかしいとも思わなかった。
だけど、小学校に入って、友だちが神社に遊びに来たとき、初めて自分が「普通じゃない」のだと気づいた。木に話しかける俺に、友だちが驚いて「お前頭おかしいの?」と聞いてきたときの、気味悪いものを見るような目を今でも覚えている。
だから、中学・高校時代の俺は、できるだけ神社の仕事からは遠ざかるようにしていたし、森のものたちにも、できるだけ関わらないようにしていた。
大人になって、黙っていれば誰にも気づかれないし、ほとんど無人の零細神社だから、特に問題にはならないと思っていたが。
正式に神職となって、神社に奉仕するようになって、ますますはっきりと、色々な生き物たちの気配を感じるようになった気がする。
「見えるって、こういうとき、複雑だな……」
東京にいるときは、何も気にせず虫を殺していたし、雑草を踏み折ったりもしていた。
だがこの神社の境内では、すべての草や木や虫にも宿るものがあるのだと、感じざるを得ない。殺せば、当然にそいつらは死ぬ。当たり前のことだ。
今までもそんな風にしてきて、それで問題なかったのに、いざ死んでいく虫の念のようなものを感じると、思った以上にこたえた。
「難儀な体質だな……」
俺はため息をついた。親父はどうやって、折り合いをつけていたんだろうか。
何も見えず聞こえない方が、淡々と仕事をこなしていけただろう。
『何を気にしているの』
椿が慰めるように、木の上から話しかけてくる。
『わたしたちは、嬉しいのよ。鳥や虫以外にも、話し相手ができて』
嬉しい、か……。椿の木にも、感情があるんだな。
俺はますます、どう考えればいいのかわからなくて、ただただ、ため息をもらした。
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