第4章 地元の町の人たち
第30話 神主が飛び込み営業する話
陽射しの明るい五月の平日のこと。
俺は久しぶりに、シャツとジャケットを戸棚から引っ張り出して袖を通した。
前に働いていた会社を退職して以来だから、一ヶ月以上ぶりだ。前はほとんど毎日着ていたのに、改めて身につけると、どうにも窮屈で仕方ない。
今では、袴や作務衣のほうが落ち着くのだから、結局のところ大概のことは慣れなんだと思う。
「さて、行くか」
俺は鏡の前でジャケットの襟を整えると、車のキーをとって家を出る。
「しかし、うまくいくのかな……」
一抹の不安が頭を離れないが、とにかくやるしかないと、俺は気合を入れて車のハンドルを握った。
畑と田んぼが広がる田舎道を走る。
水田は耕されて黒い土を日にさらし、畑には作物の苗が育ちはじめていて、緑が伸びはじめる季節だ。晴れた日中は汗ばむくらいの陽気だった。
俺は車を走らせながら、町の景色を見るともなく眺める。
子供時代を過ごした町だが、約十年経って戻ってくると、やはりところどころの風景が変わっている。地元にUターンしてきて、早くも一ヶ月が過ぎたが、その間に気づいたことは色々とあった。
例えば、小学生のときに、通学路の途中にあった駄菓子屋さんがなくなっていたこと。駅前の小さな商店街に、いつでもシャッターの閉まっている店舗が増えたこと。コンビニができたこと。知っているおじさんの家が、空き家になっていること……。
春になっても耕される気配もなく、雑草の覆い茂った畑や田んぼもちらほらと目につく。
それでもこの町はまだ、大きめの都市へのアクセスが悪くはないから、マシな方なんだと思う。もっと山奥の小さな町や村になると、人がどんどん減っているんだろう。
「世知辛い世の中だよな……うちみたいな零細神社なんて、ほんと経営は無理ゲーだよなあ」
他の小さい神社の神主さんたちは、どうしているんだろうか。やはり、大きい神社が世話をしていることが多いんだろうか。
そんなことを考えていると、最初の目的地の建物が見えてくる。
平屋で屋根の高い、倉庫のような外観の建物だ。低い塀で囲まれた敷地内には、軽トラや古びたミニバンが停まっている。社屋の灰色の壁には、一文字ずつが白い四角い板に書いてあるタイプの看板があって、「山田工務店」とあった。
「こんにちはー」
俺は事務所入り口の引き戸をそっと引き開けると、おそるおそる挨拶した。入り口の横にはカウンターがあり、その奥にはデスクが四つほどくっついた事務エリアがあって、四十過ぎくらいの女性がひとりと、作業服を着た男性がふたりほど、パソコンに向かっている。
カウンターの上には家のリフォームの案内があった。
「いらっしゃいませ」
女性が立ち上がって、カウンターまでやってきた。
「えっと、あの……」
俺は用件を切り出そうとしてためらう。こう見えて、知らない人と話すのはそれほど得意ではないのだ。何しろ、俺は基本、オフィスに引きこもっているITエンジニアだったから。
女性が怪訝そうな顔をしている。
やばい、怪しまれている。
俺は緊張しつつも、思い切って口を開いた。
「あの、私は白水神社を新しくお世話させていただくことになった、山宮と申します。いつもお世話になっております」
工務店は、地鎮祭なんかを依頼してくれる、神社にとってはお得意様のひとつだ。
女性は「ああ」と眉を開いて、デスクでパソコンの前に座っている男性のひとりを呼ぶ。
強面で上背があり、棟梁みたいな風情の男だ。俺は若干ビビりながらも、挨拶を繰り返す。強面の男はにこりともせず、不愛想に言った。
「前の宮司さんは、引退されたんで?」
「ええ、父は最近、体調がすぐれないため、息子の私が後を継がせていただきました」
「そうですか。これからも、御祈祷をお願いすると思うんで、よろしくお願いしますわ」
それで話は終わり、という雰囲気になってしまいそうだったところを、俺はあわてて本題を切り出した。
「あの、実はお願いがありまして……」
男は片眉をくいっとあげた。
「お願いとは?」
「訳あって、末社を新しく建築する必要がありまして、それにあたって、御寄進をお願いしたく……」
そう、俺は先日お招きした「お犬様」こと「大口真神(おおぐちのまかみ)」のために、新しく小さな社殿を建設したいと考えていた。
なにしろ、お犬様は古くからこの土地にいる山の神で、今の主神である弁財天様をお招きする前からおわす神様だ。みんな一緒くたにお祀りするのは、ちょっと違うかなと感じていたのだ。
そうした古い神様などを、神社の境内でお祀りするのが「末社」と言われる、神社の中にある小さな神社、みたいなものだ。
だけど、その建設のためには、さすがにけっこうなお金が必要なので、俺の貯金をはたくわけにもいかず、寄付金を募っていた。
ちなみに町内会に相談して、一部は氏子さんたちが出してくれることになっている。だが、それだけでは足りず、背に腹は代えられないと、地元企業に御寄進をお願いすることにしたのだ。
いわば、営業活動である。
前職では、営業なんてやったこともなかったのに……。
零細神社は辛い。
「そうですか。ですが、うちもあまり余裕はなくてですね……」
強面の男は困ったように、断る気配を出してきた。
くっ。不景気な世の中、そう簡単にはいかないか……。
俺が肩を落としかけたとき。
後ろのデスクにいたもうひとりの若い男が、急に大声で叫び出した。
「ちくしょー、やっぱりうまくいかない!」
そして、いきなりパソコンのモニターをばんと叩いたものだから、俺も強面の男もびくりとする。
「おい、お客さんがいらしてるんだぞ」
「あ、すみません。でも、全然うまくいかなくて……」
どうも、パソコン関係のことでお困りのようだ。
そこで俺はぴんときて、男に尋ねかけた。
「どうされたんですか?」
「いえ、ちょっと会社のホームページをいじっていたんですが、ページがうまく表示されなくなってしまって……」
うちで一番若いからって、仕事を押し付けられて、と若い男がブツブツ言っている。
おお、俺の得意分野ではないか!
「あの、私が見ましょうか? こう見えて、システムエンジニアなんですよ」
神主になる前は、東京でエンジニアやってました、と説明すると、強面の男も、パソコンの前で泣きそうな顔をしていた男も、「おお、本当ですか!」と声をあげた。
「それは、助かります。うちはパソコンの苦手なやつが多くてですね。社長命令でホームページを新しくしたはいいものの、うまく扱えなくて……」
予算をケチって、自分たちでやろうとしたが、うまくいっていないらしい。
その三十分後。
ウェブサイトの不具合を修正して、ついでに更新手順を説明する簡単な説明書も作ったら、工務店の人たちにむちゃくちゃ感謝されてしまった。
「ありがとうございます!」
「フリーでエンジニアの仕事も受けていますので、ご依頼いただければ、もう少し使いやすい感じにもできますよ」
さりげなく、副業のほうの営業もしておく。
「さっきの寄付の話だがな、社長に話しておきますよ」
強面の男がさっきとはうって変わって、親切にそう申し出てくれた。
「本当ですか、ありがとうございます」
こうして、一件目の営業はなんとかうまくいって、俺は「山田工務店」を後にした。
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