第31話 トカゲのお供と幸運

 山田工務店を出て、車のエンジンをかけ、次の目的地に向かって走り出したとき。


『わーわー、ふっとぶー』


 小さな声が聞こえた気がして、俺はスピードをゆるめた。

「なんだ、誰かいる?」

 運転しつつ車内を見回すが、もちろん誰もいない。

「気のせいか」

 アクセルを踏んでスピードを上げると、今度ははっきりと声が聞こえた。


『もうムリー』


 そこでやっと、フロントガラスの外側にくっついた小さな影に気がついた。

 風にあおられて、今にも飛ばされそうになりながら、必死で車にしがみついている。

「……トカゲ?」

 あわててブレーキを踏んで、路肩に停車する。

 外に出てフロントガラスを確かめると、しっぽが青くて背に縞模様のある、小さなトカゲがいた。

「こいつ、どこからついてきたんだ? 神社からか?」

 もしかしたら、ボンネットの中にでも隠れていたのだろうか。全然気づかなかったな。悪いことをした。

「後で神社に戻るから、とりあえず車の中に乗るか?」

 俺がそう話しかけて手のひらをトカゲの前に差し出すと、トカゲは『どーも』と言って、警戒心もなく俺の手に乗った。

 ダッシュボードの上にトカゲをおろすと、再び車を発進させる。

 トカゲは日の当たるダッシュボードで、進行方向を眺めながら日向ぼっこをしている。そういえば、神社の境内でこんな風に日向ぼっこしているトカゲを、ときどき見かける気がするな……。

 小さなお供ができて、俺はほっこりとした。

 営業の辛さもやわらぐってもんだ。


「あれ?」

 赤信号で止まったときに、俺はふとおかしなことに気がついて、トカゲを見やった。つやつやとした背中に、美しい青色のしっぽは、どこからどう見ても、その辺でよく見かけるトカゲだった。

「でも、さっき確かに、声が聞こえたよな?」

 ここは神社の外だ。俺のしょぼい能力では、神社の境内の外に出ると、ほとんど何も見えないし、聞こえなくなってしまう、はずだったが。


『ごくらく、ごくらく』


 気持ちよさそうに日光浴をしているトカゲが、確かにそう言った。声はとても小さく、意識していないと聞き取れないぐらいだが、間違いなくはっきりと聞こえた。

 どういうことだ? 神社の外でも、八百万のものたちの声が聞こえるようになったということか? 俺は少々混乱した。いつの間にかレベルアップしたってことだろうか。別に修行も何もしてないのに。

 それか、こいつがものすごく神聖で特別なトカゲなのか……?

「どうも、そうは見えないが……」

 トカゲのか細い声や幼い口調は、典型的な、力のあまりない「小さきもの」の声だ。

「なあ、お前わかるか?」

 俺はトカゲに尋ねた。

『なにがー?』

 トカゲはのんびりした口調でそう言った。俺の言うことも、一応通じているらしい。

「お前、実はすごい神様なのか?」

『なにそれ?』

 俺が質問をしても、トカゲはあまり理解してないようで、要領を得なかった。

 たぶん、すごい神様ではないようだ。


 そのうち、次の営業先に着いたので、俺は頭を切り替えて車の外に出ると、何を思ったか、トカゲがぴょんと俺の腕に飛び乗って、するするのぼってきたかと思うと、ジャケットのポケットの中に入り込んでしまった。

「おいおい、ついてくるのかよ」

 まあ、お守りだと思って連れていくか。邪魔するわけでもなかろう。


 次の営業先は、車屋だった。洗車に車検や修理、ちょっとしたカスタムまで請け負っているところ。

 ここの親父は、黒髪をオールバックにして、ぱかぱか煙草を吸うちょっと怖い見た目の人で、俺は少しばかり苦手だった。だけど、うちの神社で車のお祓いをすることもあるから、もしかしたら寄付してくれるかもしれないと期待している。


「あの~」

 俺はおそるおそる、ガラス張りの事務所の扉を開いて声をかける。

 事務所の壁際には、細々とした車用品やエンジンオイルの見本などが置かれた棚があり、奥に接客用のテーブルが置かれている。

 ちょうど、俺の苦手な車屋の親父がいて、「いらっしゃい」とドスのきいた声で出迎えてくれる。紺色のつなぎには黒い油汚れがついて、いかにも車の整備をする人の格好だ。


「白水神社の神主をやっています、山宮です」

 お決まりで自己紹介をして、末社建設のための御寄進について説明をする。

 車屋の親父は眉間にしわを寄せて話を聞いていたが、説明が終わると、いきなりあっさりと「わかった」とうなずいたものだから、俺は拍子抜けしてしまった。

「あ、ありがとうございます」

 俺は頭を下げて、車屋を辞した。

 ジャケットのポケットからは、トカゲの青いしっぽがのぞいていた。

 

 その後さらに二社、地元企業を回ったが、どちらもポンポンと話が進んで、俺はむしろ、騙されているのではないかと疑ったほどだ。

 休憩がてら、駅前のコンビニでコーヒーを買って、車の中で飲みながら、ダッシュボードの上でくつろいでいるトカゲを、俺はまじまじと眺めた。


「なあ、お前もしかして、幸運の神様か?」

『えー?』

 俺の問いかけに、トカゲは相変わらず、気の抜けた返事をするばかり。

 なんだかよくわからないままに、俺は帰路についた。

 まあ、終わりよければすべてよし、かな。


 

 

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