第4話 山の神社の神様

 さっそく、御祭神とのご対面か。

 俺が居住まいを正して、拝殿の方へ向かおうとすると、背後から静かな声がした。


『これ、どこを見ておる』


「へ?」

 俺が振り返ると、小さい苔の精がまだそこにいて、困ったような顔で首をふるふる振った。苔がしゃべったわけじゃないことは、声からもわかる。

 あちこちに視線をやるが、声の主がどこにいるのかわからなかった。


『見えておらんのか。おぬしの目は節穴だな』

 ひんやりとした声が響く。苔がそろっと後ずさって、そそくさとどこかへ逃げていく。


 手水舎の水盆の上、水を吐き出している石の蛇の上に、白い影がすうっと浮かび上がった。

 それは額に小さな角がある白蛇。ルビーのように赤い目が俺を見つめる。

 俺は蛇に睨まれたカエルのように硬直した。

「……お白様」


 さすがの俺でも、この白い蛇神様の姿はよく覚えている。

 このお社からさらに山奥に、水がこんこんと湧き出る場所があって、その水を守っているのが、額に角のある白い蛇だという。この地域の伝承で語られる古い神様であり、それを祀る小さな祠が、この神社の発祥だ。

 つまりは、このお方が御祭神ということになる。

  

 最初こそ驚いて固まっていたが、やがて俺は長く息を吐きだして、体の力を抜いた。

「なんで本殿じゃなくて、こんなところにいらっしゃるんですかね」

 石の蛇の上でとぐろをまいた白蛇を、俺は呆れて眺める。

 白蛇がちろちろと舌を出した。

『最近人が来なくて、暇なのだ』

 うちの偉い神様はうそぶいた。

 俺はがっくりと脱力した。

「あああ、だんだん思い出してきた……」

 そうだ。お白様は神様らしからぬ、自由なお方なのだ。

 本殿にいるのが大層お嫌いで、神社の境内を普通の蛇の姿でぶらぶらしたり、手水舎の水盆で泳いだりしては、参拝者を驚かせるのが趣味なのだ。


『私はこんな木の小屋など必要ないと、昔から言っておるのに』

「いえまあ、それは私たち人の都合もありまして……」

 やはり、山の主として森を自由に徘徊していた蛇にとってみれば、本殿で祀られるのは窮屈なのだろうか。でも、神聖な場所にはお社を作りたくなるのが人の性なんだと思う。それに、むやみと蛇にうろうろされたら、ただでさえ少ない参拝客が減ってしまうではないか。


『そもそも、神様になどならんと言ったのに、勝手に祀り上げおって』

 ついには、一番根本的なことについて、愚痴を言いはじめる。

「……」

 わがままな蛇だ。なんで昔の人は、こんな白蛇を崇めていたんだろうか。とても霊験あらかたなようには見えない……。

 

『まあいい。お前が壮介の代わりなんだろう? ほれ、お社まで連れていけ』

 俺は白蛇の要求に従って身をかがめると、着物の両袖を合わせて、恭しく腕を差し出した。お白様はとぐろをほどくと、音もなくするすると腕の上に乗る。

 その体は湧き水に触れたように冷たく、俺はぞくりと身震いした。目には見えないエネルギーが流れ込んでくるようで、一瞬めまいがしそうになって、俺は踏みとどまる。やはりこの蛇はただの蛇ではないのだ。

 

 お白様を胸の前に掲げた姿勢のまま、俺はできるだけ揺らさないように、すり足で拝殿のほうへ向かう。わがままな白蛇は、目を細めて至極ご満悦そうだ。


「えっと、本殿までお連れすればよろしいので?」

『いや、拝殿で構わん』


 神社のお社は普通、参拝用の拝殿と、その後ろに御祭神のおわす本殿とからなっている。

 うちの神社も例にもれず、手前側の拝殿に、縄のついた鈴と小さな賽銭箱があって、参拝客がお参りをする場所になっており、その奥に連なるように、小さめの本殿がある。


 お白様がいるべきは奥の本殿なのだが、ご本人が拝殿でいいとのたまうので、俺は砂利を踏んで手前のお社に向かった。

 風が吹くと、お社の脇に植わった桜の花びらが、はらはらと境内を舞った。


 賽銭箱の前に来ると、『降ろせ』とお白様が偉そうに命令する。

 俺はもはや投げやりな気持ちで、跪いて恭しく腕を差しのべると、白蛇はゆうゆうと賽銭箱の上に乗って、そこでとぐろを巻いた。


『さて、特別に拝謁させて進ぜよう』

「何を今さら……」

 

 とはいえ、この方に何を言っても無駄なので、俺は浅葱色の袴の裾を直すと、すっとひと呼吸し、からん からん と鈴を鳴らした。

 

 二拝二拍手一拝。


 作法にのっとって、御祭神にお参りする。

 まあこの場合、賽銭箱の上でとぐろを巻いているお白様なんだけど。

 額に小さな角の生えた白蛇は、瞳孔の細い目で俺を見て、満足そうにしている。


『うむ。崇められるのも、悪くないことだな』

「……さっきと言っていること、矛盾してませんか」


 俺のツッコミは華麗にスルーして、お白様はおごそかに告げた。

『おぬしを新しい神主として、認めよう。今後は、よくよく、このお社の面倒を見るように』

「……ありがたきお言葉です」

 一応、御祭神には後継ぎとして受け入れられたようだけれど。


 俺、本当にここの神社の神主としてやっていけるのだろうか。

 にわかに自信がなくなってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る