第40話 樹上の職人、空師

「ソラシ?」

 耳慣れない職名に、俺は聞き返した。

「樹上作業の専門家ですよ。普通には伐採の難しい木に登って、枝を落としたり木を切ったりするんですわ。うちでも以前一度、現場に難しい木があったときに、頼んだことがありましてね」

 連絡先を知ってますわ、と言って棟梁は携帯電話の電話帳を探し、胸ポケットから小さい手帳とペンを取り出すと、さらさらと平野庭園の名前と電話番号を書きとめ、ページをちぎって渡してくれた。

「よかったら、相談してみてくだせえ」

「わかりました。ありがとうございます」

 山田工務店の人たちがミニバンに乗って去っていったあと、俺はさっそく教えてもらった「平野庭園」に電話をかけた。

 事情を説明すると、さっそく翌日の朝、職人さんが来てくれるという。

 仕事が早くてありがたい。


 翌朝、軽トラでやってきたのは、俺と同い年くらいの男性だった。

 頭に黒いタオルを巻いて、赤チェックのシャツに黒いズボンで、服の上からも引き締まった体つきをしているのがわかる。空師と聞いて、てっきり強面のおじさんが来ると思っていた俺は、ちょっと意外だった。

「どもー。神主さんっすか?」

 そして、空師の兄ちゃんは意外と軽いしゃべり方だった。

「はい、山宮です。よろしくお願いします」

「案外といったら失礼ですけど、若いんすね」 

 神主さんというから、もっと年配の人を想像してました、と空師の兄ちゃんは言った。

「最近、親父の後を継ぎまして。あなたが空師さんですか?」

「そそ。木に登ったり伐ったりしてますよ」

「案外、若いんですね」

 さっき言われたことを、そのままお返しする。

「今年で三十だから、若くはないすね」

 おっと、俺より年上だった。だが、ほぼ同年代と言っていいだろう。

 最近なぜか、年上か年下とばかりつるんでいる俺は、勝手に親近感を覚えた。


 初対面の挨拶をしながら、俺は大杉のところへ空師の兄ちゃんを案内する。

「あれなんです。最近気づいたのですが、杉の上に、小さな木が生えていまして」

「あー、ほんとですね。つるじゃないっすね。珍しい」

 よく気づきましたね、という指摘に俺は「いえ、たまたま」と言葉を濁す。やばいやばい。正直、殺し屋イチジクの子どもが見えなかったら、気づかなかったと思う。しかし、「見えるから」なんて言うわけにはいかない。


「どうやら、大きくなると、とりついている木を、殺してしまうこともある植物らしくて。この大杉は、鳥居を守る御神木のような存在なので、困っていまして……」

「立派な杉っすよね。百年は超えてそうな」

 俺と空師の兄ちゃんが話しているかたわらでは、赤髪の子どもが不安そうな顔をして、俺たちの様子をうかがっていた。興味を惹かれたのか、トカゲがちょろちょろと出てきて、やはり俺たちを見上げている。


 空師の兄ちゃんは、ふと視線を杉からはずすと、辺りを見回した。

「この神社、出るんすか?」

 その言葉に、俺はどきりとした。

「で、出るとは?」

「なんか気配がするんで。俺、そういうのに敏感なんすよ」

「え、えーっと」

 どう返答しようか迷っている間に、空師の兄ちゃんは杉の周りをぐるりと見て回った。

「なんか、見られてますよね。杉に登って作業をしていたら、祟られたりしないっすよね」

「た、祟られることは、ないかと」

 しかし、この兄ちゃん鋭いな。

 世の中には、見える人感じる人が、思ったよりもたくさん、いるのか……。

 

 このままだと、空師の兄ちゃんが作業を断りそうな勢いだったので、俺は意を決して、ちゃんと話すことにした。

「実はですね。この神社は山と森の影響が強いからか、出るんですよ」

 空師の兄ちゃんは手で太ももを叩き、「ほらやっぱり!」と俺を指さした。

「でも、幽霊のような類ではないですよ。古い木や動物には神が宿ると言いますが、そういったものが、参拝者を見守っていると言います」

 神社の古い御祭神も、山の神と水の神ですので、と説明する。

「実はこの大杉にも、精霊が宿っていまして。信じられないかもしれませんが」

「もしかして、神主さん、『見える』の?」

 空師の兄ちゃんが、少し声を低めてたずねた。

「まあ、そんなところですね」

 俺はストレートに肯定するのはためらいがあって、曖昧に答えた。

 空師の兄ちゃんは探るように俺の顔を見ていたが、「まあ、大丈夫か」とひとり何かを納得してうなずいた。


「で、あの小さい木を取り除けばいいんすよね?」

「はい。できそうですか?」

「杉は登るのが簡単ですし、そんなに難しくはないかと」

「できれば、あの小さい木を、できるだけ傷つけずに下ろせますか」

「うーん。そうすると難易度があがるが、まあやってみましょか」

 兄ちゃんは軽トラの荷台から、ロープやら謎のかぎ爪がついた道具やらを取り出すと、手早く身につけていく。腰には小さな鉈とチェーンソー。


「枝が落ちると危ないんで、木からは離れててくださいね」

 空師は「よしっ」と声をかけると、杉に近づいた。

 どうするのか見ていると、ロープを杉の幹に回して、腰のベルトにしっかりと固定し、足につけたかぎ爪とロープを使って、大杉に登りはじめた。まるで体重を感じさせない身軽な動きだ。

「す、すげえ。猿みたいだな……」

 あっという間に杉の一番下の枝まで到達すると、今度は太めの枝に座ってロープを架けかえつつ、さらに上まで登っていく。

 やがて、小さな木のところにたどり着いたのだろう。腰のチェーンソーを片手に持つと、枝の一部を切り落とし、樹上での作業を始めた。


『やーやー』

 赤髪の子どもが地面でジタバタと暴れている。どうやら、空師の兄ちゃんが、本体を引っ張っているようだ。

「大丈夫だから、ガマンな」

 俺はあわてて、子どもの側にしゃがみ込んで、なだめる。

「おーい、降ろすから気をつけてー」

 頭上から叫び声とともに、ロープに引っ掛けられた小さな木が、するすると降りてくる。

 殺し屋イチジクの木を地面に下ろすと、空師の兄ちゃんは自分も木から降りてきた。


「幹に食い込んでいた根は切りましたが、他は無事だと思いますよ」

 確かに、切られた根からは、まるで血のように白い乳液が流れ出ていたが、つやつやとした葉のついた枝や細い幹はそのままだった。

 赤髪の子どもは、呆然とした様子で地面に座りこんでいる。こちらも、驚いてはいるが、無事そうだった。


「こいつ、たぶん、外国の植物すね。杉と相性が悪かったのか、あんまり根が食い込んでなくて、案外簡単にはずれましたよ」

 空師の兄ちゃんは、興味深げに、イチジクの木を検分した。

「いや、本当にありがとうございます。空師さんって、すごいんですね」

「まあ、仕事っすから」

 俺が褒めると、空師の兄ちゃんは照れたように笑って、頭をかいた。


 ***


 こうして、無事に杉の木から取り外された殺し屋イチジクの子どもを、俺は大きめの植木鉢に植えかえてやった。

 赤髪の子どもは、最初はおどおどしていたが、今ではのびのびと、俺の家の庭で遊んでいる。冬が来る前に、沖縄に送ってやろうかな。そしたら、こいつもちゃんと育つかもしれないしな。

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