第5章 夏祭りに向けて

第41話 梅雨と紫陽花

 六月も下旬に差しかかった頃。

 末社建設も無事に済んで、俺は神社の整備活動に一息つき、平穏な日々を過ごしていた。

 最近は雨の日が増えて、神社でのお勤めも滞りがちだ。湿気が多くて蒸し暑いし、どうにも鬱陶しい日々。


 その日の朝、俺は浅葱色の袴姿で縁側に腰かけ、雨にぬれた庭を眺めていた。天気予報によると、今日は早めに雨が止むというので、晴れ間を待っているのだ。辺りは灰色にかすんで、一の鳥居もその向こうの森もどんよりとしている。

 森の縁には、紫やブルーの紫陽花が咲いていて、灰色の景色の中に彩りを添えていた。

 雨があがるのを待つ間に、俺はSNSの神社アカウントをチェックをする。


「うわー、紫陽花の花手水いいな。うちもやろうかな」

 フォローしている他所の神社で、紫陽花を手水舎の水盆に浮かべた「花手水」の写真がアップされていて、それが「SNS映え」するというので、ちょっとした話題になっているようだ。

 絶対に後で真似してやる、と心に決めつつ、今はとりあえず、「雨の鳥居」というテーマで、雨にかすんだ鳥居とその背景に紫陽花が来るようにして撮った写真をアップする。


 春から地味にSNSの投稿を続けて、最近はフォロワーも少しずつ増えていた。特に、あざと可愛いお犬様のアップの写真とともに、オオカミの神様である「大口真神」の話を書いた投稿のいいねの数が、伸びていた。たぶん、お犬様パワーだろう。「この犬、なんて種類ですか?」という質問もちらほら。

 えっと。犬じゃなくて、オオカミです。というか、神様です。

 と書きたいのはやまやまとして、「たぶん雑種かな……?」なんて曖昧な返答で我慢する。

「今度、お白様の投稿もしたいけど、お白様はなかなか、写真を撮らせてくれないからな……」

 白蛇姿なら、珍しいし尊いし、でも現実に存在し得るから、大丈夫だと思うんだけど。神様をSNSのネタに使うなんて、罰当たりだろうか。お犬様は全然気にしてなさそうだけどな。


 そんなことを考えながらスマートフォンをいじっているうちに、いつの間にか雨がやんで、雲の切れ目から薄く日が射していた。

「よし、行くか」

 俺は気合を入れて立ち上がると、いくつか紫陽花の花を切り取って袋に入れる。

 それから、一礼して鳥居をくぐり、参道の長い階段を登りはじめた。

 階段の脇にも、ぽつぽつと紫陽花の茂みがあって、薄いブルーの花が咲いていた。街中でよく見かけるような、ぼんっと花が固まった紫陽花ではなく、花の房の縁にだけ、控えめに花びら(本当は花びらじゃなくて萼らしい)で囲まれた種類の紫陽花だ。

 SNSに投稿したところ、フォロワーが教えてくれたのは、「原種に近いガクアジサイ」なんだそうだ。原種の紫陽花があるなんて、さすが古い森。

 そうした森の紫陽花の側には、小さきものの姿がうっすらと見えた。濡れた階段に腰かけたり、落ち葉の間で遊んだりしている。頭には、ひっくり返した紫陽花の花を帽子のようにかぶっている。

「某アニメの、カタカタ鳴る白い森の精みたいだな……」

 紫陽花の精を横目に、俺はすいすいと階段をのぼっていく。


 階段をのぼりきり最後の鳥居をくぐって、俺は足を止めて思わず「ほう」と声をもらす。神社を取り囲む森の間から日が射して、濡れた地面がきらきらと光っていた。

 いつになく神々しく光の舞う様に、俺はぴんときた。

 ここを訪れたものがいるな、と。

 俺は静かに息をして、いつも通りのご奉仕を始めた。まずは、数日ぶりに手水舎を掃除して、水盆に新しい水を溜め、そこに切り取ってきた紫陽花を浮かべる。

 苔の精が『きれいだね』と紫陽花に手を伸ばし、舟のように水の上を動かして遊んでいる。

 足元に、てくてくと灰色の毛並みに金の目をした子犬が駆け寄ってきて、ひょいと水盆の縁に飛び乗ると、水を飲みはじめた。

「お犬様、どなたかいらしているんですか?」

 俺は小声でお犬様に話しかけた。

『うん。きれいな鳥が来ていたよ。もう帰ったけれど』

「へえ、どなただろう」

 残念、もう帰ってしまったのか。神社の境内にちらちらと舞う光は、その名残というわけだな。

 日々神社で過ごしていると、ときどきこういうことがあった。八百万の神々はたまに神域を行き来して、お互いに交流しているのだとか。

 十月の神無月なんかは、神々が出雲に集まる月として有名だしな。

 

 俺がひとり残念がっていると、お犬様がひょいと水盆から飛び降りて、地面の乾いたところに座って尾を振る。

 俺はしゃがみこんで、お犬様のふわふわの毛並みをモフった。お犬様は目を細めて満足そうにしている。

 ひとしきりお犬様を愛でたあと、俺は拝殿のほうに向かった。

 そこでは、白蛇がいつもの定位置とばかり、賽銭箱の上でとぐろを巻いていた。

 目がルビーのように赤く、額に小さな角があって、その先には小さな水滴のような光がまとわりついていた。白い鱗も光を放って、身体全体がぼうっと光っているようだ。なんだか、普段に比べてお白様がやけに神々しいな。


「お白様、今日はどうされました」

『水が満ちている』

 お白様は舌をちろちろと出し入れして、そうのたまった。

 水の神であるお白様は、梅雨時には元気になるってことかな。

「せっかくだし、ご利益をいただきましょうか」

 俺は拝殿の前に立って、丁寧にお参りをする。

 二拝二拍手一拝。

  

「この神社、いいっすね」

 そのとき、後ろから声が聞こえて、俺は驚いて振り返った。

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