第23話 山の神の昔語り

「あんがとな、おかげで早う終わったわ」

「いえいえ、お役に立てたなら、よかったです」


 甘夏の下ごしらえが終わったときには、日が暮れていた。

 今日は皮と実を砂糖につけておき、明日煮詰めてジャムにするらしい。


 帰る前に一服してきなされ、と言われ、老婆が淹れてくれた豆茶をすすりながら、俺はやっと自分の用事を思い出した。


 そうだ、俺は「山の神」のことを聞きにきたのだ。


「あの、お婆さん」

「なんぞえ?」

「お婆さんは、『山の神』のこと、何かご存知ですか?」

 老婆は手に持った湯飲みを膝に下ろすと、目線を遠くにやった。

「昔は白水山にも、『山の神』がおったと、聞いたことがあるわ」

「ほんとですか!?」

 あまり期待していなかった俺は、老婆の返答に身を浮かせる。

 さすが村の古老。『山の神』は実在したのか。

「おらが子どものとき、おらの婆さんから聞いた。山の神はかしこき神で、畏れられとったとな」

「かしこき神……?」

 それは一体、どんな神だろうか。

「おらも、ようは知らん。昔話じゃよ」

「今、山の神を祀るお社は、白水神社にはありませんよね」

「山の神は死に絶えたと、おらの婆さんは言っとった」

「死んだ……?」

 神が死ぬとは、どういうことだろうか。

 俺はますます混乱したが、老婆もそれ以上のことは知らないらしかった。


 余った甘夏と、山菜を炊いたものを手土産に持たされて、俺は家路についた。

 山の神の情報が得られたのはよかったが、謎は深まるばかりだ。

「ああ、気になる……」

 山の神が死んだというのは、信仰が絶えたという意味だろうか? 


「あとは、お白様を問い詰めるしかないか…」

 お白様は、間違いなく何か知っていると思う。今度酒でも飲ませて、酔ったところを吐かせるか……。


 俺は家に帰りつくと、ちょうど炊き上がって俺を待っていたタケノコご飯と、婆さんにもらった山菜で晩飯にし、その後は早々に床に入った。

 本当に疲れる一日だった。


 ***


 翌日は、ほとんど一日中パソコンの前に座って、生活の糧を得るための仕事をしていた。今のところ、神社の収入が雀の涙ほどしかないから、前職のツテで依頼される案件や、クラウドソーシングなどを利用して、ちょこちょこと日銭を稼いでいる。


 その合間に、神社SNSを更新したり、神職の勉強をしたり。なにしろ、資格をとったのは大学生のときで、その後長らく神社からは離れていたから、御祈祷やり方や祝詞などうろ覚えの部分も多いのだ。


 集中してデスクに向かっているうちに、ふと気がつけば夕方になっていた。

 窓から外を見ると、空は暗い雲に覆われて、今にも雨が降りそうな気配だった。


「やれやれ、今日はおしまいにするか……」

 俺は立ち上がって腕を伸ばすと、ベランダに出て、しばらく手すりにもたれてぼんやりしていた。

 視界をさえぎる背の高い建物がないから、二階からでも田舎の景色が見渡せる。暗い空をカラスが数羽、急いたように飛んでいく。


「これ、神主さんよ」

 そのとき、下から俺を呼ぶ声がした。

 見下ろすと、見覚えのあるほっかむりが庭に立っている。

「婆さん!?」

 甘夏婆さんは顔を上げて俺を見つけると、顔をくしゃっとさせて笑う。

「おお、そこにおったか。玄関は閉まっとるし、呼んでも返事がないし。おらんのかと思ったわ」

「インターホンを鳴らしてくださいよ……」

 俺は大急ぎで階段を降りると、婆さんの元へ向かう。

 家に入ってくださいとすすめたが、婆さんは「ここでええ」と言って、玄関前の段差に腰をおろした。

「これをな、持ってきたのよ。昨日、手伝ってもらったから、お礼にと思うてな」

 婆さんが背中にしょっていた籠から、小さな瓶をふたつ、取り出して俺に渡した。

「あ、もしかして甘夏ジャムですか?」

「そうよ。まあまあ、うまくできてな」

「ありがとうございます」

 わざわざこれを渡すために、うちまで来てくれたのか。なんというか、申し訳ない。

「そうそう。それとな、今朝、甘夏を煮ながら、思い出したのよ」

 老婆がまるでついでのように言い足した。


「最後の『山の神』の話をな」


 俺は予想していなかった言葉に、うっかりジャムの瓶を取り落としそうになった。



「それは、どんな話ですか?」

 俺も老婆の隣に腰を下ろして、しっかりと話を聞く態勢になった。老婆は目を細めて遠くを見るような様子をしながら、この地域に伝わるという古い言い伝えを語ってくれた。

 遠くでは、春の嵐が近づいているのか、雷が低く響いている。


「昔々、この辺の山にはオオカミが住んどった。

その中に一匹、ずぬけて体が大きくて、頭のいいやつがおった。そいつは、オオカミの群れを率いて、鶏をさらったり、はぐれ牛を襲ったりするので、里の者からは恐れられておった。じゃが一方で、山で道に迷う者があると、里まで送り届けてくれることもあった。それに、オオカミがおると、山の獣が恐れて、里の畑を荒らさなかった。

だからオオカミの主は、かしこき神、山の神として崇められとった」


 老婆はとうとうとした語り口で続けた。

 また雷が鳴り、暗い空に稲光が走った。

 

「だが、ある冬、村の牛飼いは大事な種牛をオオカミの群れにやられて、オオカミを恨んだ。それで、オオカミの主に戦いを挑んだのじゃ。

罠をかけても、銃で撃ってもびくともしないオオカミの主だったが、ある日、牛飼いは、主の影をとらえることに成功した。牛飼いは斧でオオカミの影を叩き切った。そうすると、オオカミの主は悲鳴を上げて山の奥へ駆け込んでいった。

それ以来、山からはオオカミが消えてしもうた。里の人は、『山の神は死んだのだ』と噂した」


 それで話は終わったらしく、老婆は口をつぐんだ。

 俺も、なんと言えばいいのかわからなくて、黙っていた。

 

 昔、山を守っていた古いオオカミが、『山の神』だったのか。

 遠くでは相変わらず、雷が鳴っている。

 

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