第24話 オオカミのことと、信仰のこと

 死んだ『山の神』は、古くこの山の主だったオオカミなのかもしれない。


 甘夏婆さんからオオカミの伝承を聞いた翌日。

 夜中は雨と風が強かったが、夜が明けるとすっかり嵐は去って、よいお天気だった。

 俺はいつもの紺色の作務衣に着替えて、朝から神社へ向かった。

 強い風が吹いた後は、木の葉や枝がたくさん落ちて、参道や神社の境内が荒れる。今日は一日、神社の掃除で終わるだろうと覚悟していた。

 

 一の鳥居の下にも、杉の葉がたくさん散って、むせるような緑の香りが辺りにただよっていた。一の鳥居の番人である大杉が、昨夜の風に吹かれたせいか、緑みのショートヘアをぼさぼさにして、鳥居の柱にもたれていた。背が高くすらっとした美女だが、基本不愛想であまり笑わない。

 その背中に隠れるように、小さな子どもがいるのを目に止めて、俺はおやっと思った。

「……連れ子?」

 杉の子どもは杉だろうと思うが、その子どもはあまり杉に似ていない。肌が青白くて、手足が細く、なんだかなよっとしている。赤みの髪が鳥の巣みたいにくるくるしている。

『……そんなわけなかろう』

 杉が不機嫌そうに答える。

『知らない間に、くっついてきたのだ』

「ふーん。気に入られちゃったんですね」

 なんだか微笑ましい光景ではないか。

 俺は杉との会話はそこそこにして、長い階段を上っていく。

 

 やはり、階段にもたくさんの吹きちぎられた枝や葉が落ちている。

 お社に着くと、手水舎の水盆にも落ち葉が浮いていたから、俺はまず、手水舎の掃除から始める。いつものように、苔が竹の棒に座って足をぶらぶらさせ、俺を見ている。

『昨日の風はすごかったよ。僕も吹っ飛ぶところだった』

 苔がそんな他愛もない話をするのを聞きながら、水盆の底をたわしでこすり、新しい水を入れる。


 それから、熊手と箒を拝殿の床下から引っ張り出して、まずは拝殿の中から掃除を始める。うちの拝殿は屋根と柱だけで壁がないから、風が強い日は、中にまで雨風が吹き込むことがあるのだ。


「やっぱり、なんとか資金調達して、リフォームしようかな……。いや、参道の折れた鳥居の修理が先か。しかし、社務所もほしい……」


 ぶつぶつとつぶやきながら、俺はひとり掃除を続ける。

 やはり、神社の収入を上げないことには、どうにも経営が立ち行かない。最悪、俺の貯金を使ってもいいっちゃいいのだが、勤め人時代より収入はだいぶ落ちているから、できるだけ自腹を切るのは避けたかった。

 それに俺は、山の神のことで、思うことがあった。まだ謎が多いからなんともいえないが、今の俺にできることが、何かあるのではと、思い始めていたのだ。


「しかし、山の神がオオカミか……。本当に死に絶えてしまったんだろうか?」


 だんだん気になってきて、俺は掃除を中断し、しだれ桜の下の石に腰かけて、スマホを取り出して調べものをする。「オオカミ 日本 現在」と検索すると、すぐに大量の情報が現れる。

 すぐに目についた記事には「かつて、日本にもオオカミがいた」とあった。


「そっか、ニホンオオカミって、絶滅しているのか……」

 ネットの情報によると、1905年に奈良で捕獲されたのが最後で、日本では絶滅したらしい。

 甘夏婆さんの語ってくれた昔話は、この地域にも昔オオカミがいて、山の神として崇められていたが、いつしか絶滅してしまった、ということを表しているのかもしれないな。

 ちなみに、オオカミ信仰というのは日本の各地にあって、古くは神の使いとして崇められてきたらしい。


「あ、神主さん、サボり?」


 元気のよい女子の声がしてスマホから目をあげると、巫女服の緋袴を着た結衣ちゃんが、手を後ろで組んで俺を見下ろしていた。

「結衣ちゃん、おはよう。これはサボりではなくてな、ちょっと調べものを……」 

 俺はあわててスマホを袴の腰にはさんで、立ち上がった。

「結衣ちゃんこそ、今日はどうしたの?」

 今のところあまり仕事もないので、アルバイトは毎週日曜日の午前中にお願いすることにしていた。そして、今日は土曜だ。

「お手伝いにきたよ。SNSで、嵐の後はお掃除が大変だって、書いてたでしょ」

「マジか、それは助かる! 見ての通り、木の枝や葉っぱが、大量に落ちててな」


 結衣ちゃんも箒をとってきて、作務衣の俺と巫女装束の結衣ちゃんとで、掃除を再開する。うん、なんだか神社っぽいではないか……。誰か写真撮ってくれないかな。そしたら、SNSにアップするのに。


 まずはお社の周りをぐるりと掃き清める。俺と結衣ちゃんで、境内を右と左にわけて、落ち葉を集めていく。

 やがて掃き掃除がほとんど終わり、ふたりが拝殿の前に落ち合ったところで、結衣ちゃんがふと気づいたように尋ねた。

「神主さん、ちょっと疲れてる?」

「そう見えるか?」

「うん。なんかグルグル、モヤモヤした感じがする」

「結衣ちゃんは、相変わらず鋭いな……」

 この子は、俺のように八百万のものたちが見えるわけではないが、その分、様々なものを感じ取る力が強いようだ。


 俺は少し迷ってから、山の神の話をすることにした。

 アルバイトとはいえ、結衣ちゃんはもう、うちの神社のスタッフだからな。

「実は最近、この辺りには『山の神』というものがいた、という話を聞いて。気になってるんだよ」

「山の神? この神社の御祭神のお白様は、水の神なんだよね」

「そう。どうやらお白様以外にも、昔この辺りには、神様がいたらしくてな」

「へえ! なんか素敵ね」

 無邪気な結衣ちゃんの反応に、俺はぽかんとした。

 そうか、他の神様がいたというのは、素敵なことなのか。そうかもしれないな。

「だけどその山の神は、すでに死んでしまったというか、忘れられた存在のようなんだよ」

 俺は甘夏婆さんから聞いた伝承を、かいつまんで語って聞かせた。

 結衣ちゃんは興味津々といった様子で、俺の話を聞いていた。

「奥山のおばあさん、そんなお話も知ってるのね。私も小さいころ、昔話を聞かせてもらったことあるな」

 なんと、結衣ちゃんと甘夏婆さんは、遠い親戚にあたるらしい。

 そうか、世間は狭いな。というか、これも田舎あるあるか。


 結衣ちゃんは「オオカミの神様って、かっこいいな~」と言いながら、指先を口元にあてて、ちょっと考えるような仕草をした。

「でもじゃあ、忘れられた神様を私たちが思い出したら、きっと生き返るんじゃないの?」

 結衣ちゃんはたぶん、何の気なしにそう言ったのだと思う。

 だが俺は、その言葉にハッとして結衣ちゃんの顔をまじまじと見てしまった。

「そうか、そうだよな」

 俺はひとり何度もうなずいた。 


 そうだ、俺は神主なのに、そんなことにも気づかなかったのか。

 神様は信仰がある限り、死ぬことはない。

 オオカミが絶滅したのは本当だろうが、古くから崇められてきた山の神は、まだこの山のどこかに、いるかもしれないじゃないか。

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