第22話 古老と甘夏
俺はムラ爺に教えられて、集落の一番奥にひとりで住んでいるという、村きっての古老をたずねることにした。
「彼女は少々、変わり者じゃが、古い話はよく知っておるよ」
ちなみにムラ爺はこれから用事があるらしく、一緒には行けないが、と言われた。心細いが仕方ない。
教えられた通りの道を車で走っていくと、細い川沿いの砂利道に出た。そこで車を停めて、俺はさらに歩いていく。
進むにつれ、山がどんどん左右から狭まってきた。山の斜面には木が植えられていて、大きめのミカンのような実がなっている。地面にもオレンジ色の実がたくさん落ちていた。辺りに、柑橘の甘酸っぱい匂いが漂っている。
「こんなところに、人が住んでいるのか?」
ときどき家があるが、どうやら空き家のようで、窓には蔦がはい、庭はぼうぼうと雑草に覆われている。川沿いの棚田もやはり草がぼうぼうで、耕されている様子がない。
「これが、耕作放棄地ってやつか……」
世間の田舎は過疎化が問題となっているが、この地域はまだ比較的人が住んでいて、大丈夫なのだと思っていた。だが、集落の奥の不便な場所は、こうして人が離れ、土地も見捨てられはじめているのだな……。
初めて知った、自分の地元の現実だった。
やがて、道のどん突きのような場所に、小さな家が見えてきた。その家は古そうだがちゃんと手入れがされていて、人が住んでいるらしいとわかる。
軒先には連ねられた玉ねぎがぶら下がっている。
俺は開け放しの扉から恐る恐る顔をのぞかせて、「こんにちはー」と声をかけた。だが、返事はない。
「すみませーん!」
声を張り上げてもう一度挨拶するが、やはり返事がない。
「いないのかな……?」
諦めて立ち去ろうと踵を返したとき、目の前にほっかむりを被ったしわくちゃの老婆が立っていて、俺は驚いて飛び上がった。
「うわあっ」
まったく気配に気づかなかった。心臓に悪すぎる。
「どなたさんかね」
老婆が白い眉の下から、俺を怪しむように見上げた。
腕には、かご一杯の大ミカンを抱えている。なんだか、絵に描いたような田舎のお婆さんだ。
俺は気を取り直して、自己紹介した。
「白水神社に新しく神主として来ました、山宮翔太です。よろしくお願いします」
老婆は俺の顔をじっと見つめた。
「先代の倅かね」
「はい、そうです」
俺が肯定すると、何か合点がいったように、老婆は顔をくしゃっとさせて笑った。
「まあまあ、中に入りなされ。むさい家だが、堪忍してくれな」
「は、はい。お邪魔します」
老婆に促されて、俺はどぎまぎしながらも、家にあがらせてもらうことにした。
その十分後。
「ほれ、塩でしっかりと揉んでな」
「は、はい」
「桶に水を汲んできてくれんかね」
「はい!」
「おらが切るから、実と皮をわけて皮は桶の水に入れてな」
「はい!」
なぜか俺は、老婆にこき使われていた。
老婆が腕に抱えていたかご一杯のミカンは「甘夏」というらしいが、それを「しばかねばならん」というので、うっかり「手伝います」と言ったとき、老婆の目がきらりと光ったのを俺は見てしまった。
よく洗った甘夏を四つに切って、皮と実をわけ、実はさらに、薄皮と種をのぞいていく、という単純作業だが、何しろ数が多いので大変だ。
甘夏の甘酸っぱい匂いが鼻をうつ。果汁の酸のせいか、指の皮が少しぴりぴりした。
「皮は細く切ってな、実と合わせてな、砂糖を入れて、ぐつぐつ煮るのよ。ぐるぐる焦げないように混ぜて、ようく水をとばしたら、できあがりじゃ」
老婆が甘夏ジャムの作り方を説明してくれる。ちなみに、言葉がかなりなまっていて、ところどころ聞き取れないのは、想像で補った。
「ものすごうおいしいものではないがな、まあまあ、うまいのよ」
「すごくおいしそうですよ」
「まあまあな」
そんな会話をしながら、俺は老婆の指示通りに、むいた皮を水でジャブジャブ洗う。ああ、『手づくり甘夏ジャム』なんてお洒落な響きの裏側には、こんな作業が存在していたなんて……。
「作ったジャムをな、小さいビンに入れてな、そしたら、班長がとりにきてくれるのよ」
「そうなんですね」
班長というのが誰なのかは、聞かないことにしておく。
たぶん、ジャムづくり班の班長なのだろう。
「駅の近くに、野菜とか米とかを売る場所があってな、そこで売るんじゃよ」
「なるほど、直販所で地元の産品として出してるんですね」
「そうよ、甘夏も使わにゃ落ちて腐るだけだからの」
なんだかそんな感じで、老婆はずうっとしゃべり続けており、俺が話題を変える暇もない。
あれ、俺ここに何しにきたんだっけ?
甘夏ジャムを作りにきたのかな?
だが、老婆があまりに楽しそうにしゃべり続けるので、俺はだんだん、自分の用事などどうでもよくなってきていた。
ムラ爺が言うには、老婆はずっと前に旦那さんに先立たれて以来、この山奥の家でひとり暮らしているのだという。畑で野菜を育てたり、山菜をつんできたり、こうしてジャムや味噌を作ったりして、それを地元の共同グループが買いとって、農産物直販所や土産屋で売っているのだとか。
もしかしたら、普段は話し相手もいなくて、ちょっと寂しいのかもしれないな。
嬉しそうな老婆の声を聞きながら、俺はせっせと甘夏の皮の処理を続けた。
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