第2話 一の鳥居の番人


「神社を継ぐ」


 そう決めた後は、バタバタと準備を進めた。

 休み明けに出社すると、俺はまず上司や同僚に、三月末で仕事を辞めることを伝えた。


「え、マジで?」

 徹夜明けで目の下にクマを作った同僚は、絶望的な目で俺を見た。人がひとり抜けると、その分他の人に負担がいくから、申し訳ない気持ちになる。

「ついにお前も脱落か……おめでとう。うらやましい」

「お、おう。仕事の引継ぎはちゃんとするから」

「ちくしょう。俺もこんなブラック企業辞めたい」

 同僚が肩を落として、ブツブツ言っている。

「辞めて、何すんだよ。転職? 独立?」

「実はな……神主になるんだ」

 そう口にするのは、ちょっとばかり勇気が言った。IT企業社員から神主にジョブチェンジなんて、どう思われることか。

 同僚は目をぱちぱちとさせた。

「カンヌシ? なにお前、坊さんになるの?」

「坊さんは寺な。神主は神社だよ。実家の家業を継ぐことにした」

「へえ~~」

「あ、だけどフリーでプログラムの仕事もうけるつもりだから、なんかあったら仕事回してくれ」

 顔の前で手を合わせてお願いすると、同僚はニヤリと悪い笑みを浮かべた。

「よし。格安で仕事を回してやる」

「おう、さんきゅ……」

 いや、格安とかまったくありがたくないが。

 同僚とのこんなやり取りも、いずれ終わるかと思うと、少しばかり寂しい気がした。新卒で入社して六年働いたから、この職場にはそれなりの愛着があった。


 辞めるギリギリまで仕事に追われ、退職した翌日に狭いワンルームを引き払った。

 東京から地元までは、電車を乗り継いで四時間ほど。すでに親は沖縄に移住した後で、がらんと人のいない実家に、引っ越し荷物を運び入れる。

 引っ越し業者が帰った後、俺は一息ついてベランダから外を眺めた。

 春の田舎はやわらかい緑に包まれていた。ちょうど桜が咲き始めで、ピンクの花がちらほらとほころび始めている。そこにメジロが集まって、チイチイとかわいらしい声で鳴いていた。


「よし、就任のあいさつにいくか」

 俺は気を引き締めると、親父の部屋の衣装棚から、神主の衣装を引っ張り出した。平安時代みたいな格好のアレだ。浅葱色の袴に、白い着物。着付けはうろ覚えながら、なんとかそれらしく身支度を整え、外に出る。


 俺の家は、神社のすぐ側にあった。山の麓に一の鳥居があり、そこから長い階段を上った先に、森に囲まれた拝殿がある。家は一の鳥居の横だ。

 鳥居の前に立つと、俺は深呼吸して気持ちを落ち着けた。鳥居の横には杉の大木が一本生えていて、番人のように俺を見下ろしている。


「神主になるって決めたけど、あいつらが黙って認めてくれるとは、思えないしな……」


 神社の境内は神域だ。特に、山と森の中にあるうちの神社は、山の神を筆頭に、昔からこの地域の自然に宿る神々を祭ってきたという。自然の力が強いせいか、俺が子どものころから、いや、そのずっと以前から、やっかいな奴らがいるのだ。


 親父が沖縄に引っ越す前に、神社の仕事についてあれこれと、注意点など説明してくれたのだが、その中にも「神社にはいろんなものが棲んでいるから、仲良くな」という言葉があった。


「仲良くなんて、できるのかよ」


 幼いころは、神社の「いろんなもの」と仲良くしていたような記憶もあるが、少し大きくなると意識的に避けていたから、どんなものがいたか、あまり覚えていなかった。


 いつまでも突っ立てても仕方ないなと意を決し、一歩足を踏み出して鳥居をくぐろうとして、ぴたりと足が止まった。

 先ほどまで誰もいなかった鳥居の下に、柱にもたれかかって俺を見ている女がいる。

 すらっと背が高く、濃い緑みの黒髪はつんとしたショートだ。背筋が伸びて姿勢がよく、それだけで威圧感がある。俺より背が高いから、自然と見下ろされる形になった。

 誰かは知らないが、たぶん人ではない。神社に住まう「人ならざるもの」のひとりだろう。なんとなく背後が透けるような、存在感があるのに触れられなさそうな感じが、明らかに人間ではなかった。


「こんにちは」

 俺はおそるおそる声をかけた。

 女は答えない。無表情に俺を見ている。背中を冷や汗が伝った。

 こんにちは、じゃなくて、はじめましての方がよかったか? よろしくお願いします? 失礼します? 

 女が全然なにも言わないので、俺はそろそろと足を動かした。とたんに、目の前にばさっと木の枝が落ちてきて、俺は間一髪で飛びのいた。危ない危ない。やっぱり一筋縄ではいかないか。

 落ちてきたのは、つんつんとした葉の杉の枝だ。それで俺は、ぴんときた。


「あなたは杉ですね」


 女が口元に笑みを浮かべた。

 鳥居の横に立つ大杉。樹齢百年はゆうに超えているだろう。女のすっと伸びた背筋と、杉のまっすぐな幹の印象が重なる。きっと彼女は(本当に女かどうかすら怪しいが)、鳥居を守る杉の神様というか精霊というか、そういうものなんだと思う。


 俺は女と大杉の方に向き直って、丁寧に一礼した。

「俺、今日からここの世話をさせていただきます。未熟者ですが、よろしくお願いします」

『鳥居に登ろうとしていた小僧が、立派になったことで』

 女が嫌味な口調で言った。女の口から声が出ているのか、はたまた俺の頭に直接響いているのかは、よくわからない。

「いや、はは、昔はやんちゃだったってことで……」

 全く覚えてないが、子どものころの俺、鳥居で遊んでたのか。なんて罰当たりな。でもそういえば、遊んでいる俺を見守っているものが、その当時からいた気がする。


『われらの領域に入りたければ、それなりの礼を尽くすことだな』

 女が冷たく言い放つ。

 マジか。俺一応、この神社の跡継ぎなんだけど。境内にすら入れてもらえないワケ?

「ええっと、どうすればよろしいのでしょうか」

 俺は精一杯媚びた上目遣いで、杉を見上げる。女が無表情に俺を見下ろす。その威圧感に俺は冷や汗をかきつつ、目はそらさなかった。


 女が突然、カラカラと笑いだした。風が吹き抜けて、大杉の枝がざわざわと鳴る。

『冗談だ』

 俺はぽかんとした。

『壮介から聞いている。息子をよろしく、とな。さっきは少々、からかっただけだ』

 壮介、とは親父の名前だ。たぶん、俺が後を継ぐって伝えておいてくれたのだろう。

 女はすっと一歩後ろに引いて、杉の幹にもたれかかった。その姿は半分透けていて、そのまま杉の幹の中に溶けてしまいそうだった。

 女が消える前に、俺はあわてて尋ねた。

「ええっと、それでは、通ってもよろしいでしょうか」

『好きにしろ』

「ありがとうございます」

 一応「神主」のはずなのに、神社に入るのに許しがいるのか、というツッコミはさておき、俺は大杉に認められたとわかってほっとした。

 さっき落とされた枝は丁寧にどけて、改めて一歩を踏み出し、鳥居をくぐった。森の陰に入ると、ひんやりとした風が肌をなでた。振り返ると、もう女の姿はなかった。


 ここから先は、鬱蒼とした木々に囲まれた長い階段がのびている。

 俺はその一段目に足をかけた。



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