しがない兼業神主の、人と人ならざるものとの交流日記

さとの

第1章 社畜を辞めて神主になりました

第1話 社畜を辞めて神主になりました

桜の花びらが舞い散る神社の境内。


浅葱色の袴の狩衣を身にまとった俺は、静かに砂利を踏んで拝殿に向かった。

すっとひと呼吸し、からん からん と鈴を鳴らす。


二拝二拍手一拝。


賽銭箱の上には、額に小さな角の生えた白蛇がとぐろを巻いて、瞳孔の細い目で俺を見た。


――今日から俺は、神主になる。



***


 そもそものことの起こりは、三か月前ほどだ。

小さなIT企業で、社畜なシステムエンジニアをしていた俺は、案件が炎上したせいで年末年始は帰省もできず、世間の人から遅れて一月中旬ごろに休みをもらい、地元へ帰省した。

 うちの地元は、電車が一時間に一本しかない典型的な田舎で、駅前にスーパーが一軒と、県道沿いにコンビニが一軒、あとは水田と畑が広がるのどかなところだ。そう遠くないところに山があって、ちなみに海も近い。太平洋側だから、雪はほとんど降らない。

 駅からとぼとぼ歩いて、疲れで足取りも重く実家の玄関のドアを開けると――。


 山積みのダンボールに出迎えられた。


「は、何これ?」


 ダンボールの陰から、おふくろが顔をだす。

「あら、おかえり」

「いや、このダンボール、何?」

「見ての通り、引っ越しの準備よ」

「引っ越し!?」

 聞いていない、と言う俺をよそに、「適当にしてて」とおふくろは涼しい顔をして引っ込んだ。

 とりあえずリビングに向かうと、親父は食卓に座ってのんびりと新聞を読んでいた。

「おお、翔太。帰ったか」

 大きな病気をして最近まで入院していた親父は、少し痩せた気はするものの、声は元気そうだった。

「なあ、引っ越しするって聞いたんだけど」

 俺は「冗談だよな」という気持ちをこめてたずねたが、親父はあっさり「そうだ」とうなずいた。

「いやあ、急に決まってな。療養をかねて、加奈のいる沖縄に行くことにした」

 加奈は俺の三つ下の妹で、結婚して今は沖縄に住んでいる。前からおふくろが「いつかは沖縄に住んでみたい」と言っていたのは知っていたが、まさかこんな急に決行するとは。


「沖縄に永住するのか? この家はどうするんだよ」

 今度から、俺は正月や盆は沖縄に帰省することになるのか? 

 ……うん、それはそれでいいかもしれない。いや、そういう問題じゃない。

 俺がひとり混乱していると、父親が「まあ落ち着け」と、事情を説明してくれる。

 よくよく聞くと、家を引き払うわけではなく、しばらくの間だけ沖縄に暮らす、ということらしい。どうやら、孫の世話の手伝いをしてほしい、という妹の希望もあったようだ。ただ、その「しばらく」というのは、年単位の話なんだとか。


 俺の部屋はそのまま残されていたから、俺はまだ混乱している頭を落ち着かせようと、荷物を置いてベッドに寝転がった。

「やれやれ、沖縄か……」

 自由でいいことだ。正直うらやましい。俺はいつまで、社畜な生活を続けるんだろうか……。

 布団はおふくろが干しておいてくれたのだろう。日向の暖かい匂いがした。

 そのやさしい匂いにほっとして、俺はそのまま眠ってしまった。


 夜になって、俺はすっきりとした気持ちで目が覚めた。最近は疲れているのによく眠れない日が多かったが、懐かしい田舎の空気に安心したのか、久しぶりに熟睡した気がする。

 夕食は地元でとれた野菜と地鶏の鍋だった。

 鍋に沈んだ鶏肉をおたまですくいあげ、ポン酢でいただく。ちなみに、この辺ではスダチやカボスがとれるので、ポン酢も地元産だ。ちょっと固めの肉を嚙みしめると、うまみが口に広がり、柑橘のさわやかさと相まって、たまらない。

「ああ、うまい」

 東京にもおいしいものはたくさんあるが、地元で食べる野菜や肉の味は格別だと、改めて感じた。

 ひとしきり鍋を堪能した後、俺は改めて、一番聞きたかったことを親父にたずねた。


「うちの神社はどうすんの?」


 何を隠そう、俺の実家は代々、神社の神主をやっている。田舎の小さな神社で、参拝客も多くはないが、地元ではそこそこ大事にされていて、親父はずっと、郵便局員をしながら兼業で神主を続けていた。だから、俺と妹は子どものころから、神社の仕事を手伝わされたものだ。正月には妹が巫女服を着てお守りやおみくじを売っていたし、俺は小さい頃から書道をやっていて、親父が不在時には代わりに御朱印やらを書かされていたものだ。


 俺の問いかけに、親父はわかりやすく目をそらした。

「体調もあまりよくないし、手入れも行き届かなくなってきて……もう引退時かと思ってな。収入も雀の涙で、正直、赤字経営だし」

 ぼそぼそと、言い訳のようにつぶやく。

「じゃあ、その後は誰が世話するんだ?」

「いやまあ、後継者もおらんしなぁ……。隣の集落の宮司さんに、お願いしようかと思っとる」

 隣の集落にはちょっとした観光地になっている大きめの神社があって、そこには常駐の神主さんがいるから、親父が病気で入院している時にも、そこの宮司さんが定期的に見に来てくれていたらしい。

「翔太も東京に出てしまったしなぁ……」

 その言葉がちくりと胸に刺さる。

「仕方ないだろ、こんな田舎に仕事もないんだから」

「わかっとる」

 親父はあきらめと落胆の混じったような声でつぶやく。微妙な空気が食卓に流れた。

「翔太も仕事は相変わらず忙しいの?」

 おふくろが話題を変える。

「忙しい。ひどいね。クライアントが無茶な要求してくるし、締め切り前は徹夜も当たり前、いつか死にそうだ」

 やりがいはあると言えばあるし、給料も悪くないが、人間的な生活をしているとは言えない。食事も外食かコンビニ飯ばかり。俺は鍋の締めのうどんをすすりながら、そういえば、食事をしてうまいと思ったのも、久しぶりかもしれないな、とぼんやり考えた。

 

 これまでだって、仕事を辞めたいとしょっちゅう考えていたし、本気で転職を検討したこともある。

 とはいえ、その次に自分の口から出てきた言葉には、俺自身が驚いた。

 ふっと湧いて出たとしか言えなくて、後から思えばあれは天啓だったのかもしれない。


「俺、神社を継ごうかな」


 からんと箸の落ちる音がした。親父がぽかんと口を開けて、俺の顔を見ている。おふくろも驚いたように目を丸くしている。当の本人である俺自身も、一瞬、自分が何を言ったかわからなかった。

 沈黙の中、「神社を継ぐ」という言葉がすっと心に沁み込んでいって、納得に変わるのを感じた。


「お前、本気で言っているのか?」

 やっとのことで、親父がたずねてくる。

 俺はしばらく考えた後、ゆっくりうなずいた。

「いや、急に思いついたんだけど、それでいい気がする」

「仕事はどうするんだ?」

「辞める」

「ええ!?」

 実際、辞めてもフリーで仕事を受けることもできるし、田舎に移住してもなんとかやっていけるだろう。そうだ、どうして今まで気づかなかったんだ。

 システムエンジニア兼神主。その響きに、俺はなんだかワクワクしてきた。

 大学のときに、一応神職の資格をとっといてよかった。


「いや、もしお前が継いでくれるなら、嬉しいが……」

 

 最初戸惑っていた親父は、やがて居住まいを正して、俺に向きなおった。

「ありがとう」

 そして深々と頭をさげたから、逆に俺の方があわててしまった。

「いや、そんな大袈裟な」

「本当は、神社を手放すのだけが、心残りだったんだよ」

「そりゃ……そうだよな」

 代々お守りしてきた神社を、人に任せる。それは親父にとって、苦渋の決断だったのだろう。


 どうなるかわからないけれど、やってみよう。

 俺は改めて、決意を固めたのだった。

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