第47話 初恋と霊

 希は何かをごまかすように立ち上がって、「そういえば、まだお参りしてなかった」とお社のほうへ向かっていった。

 ショートボブに黒いワンピースの後ろ姿を眺めながら、俺はそっとため息をつく。色々な意味で、はあ、という気分だった。


 からん からん、と鐘の音が静かな境内に響き、ぱん、ぱん、と拍手の音が続く。

 ツバメがすいっと通り過ぎ、ミツバチがぶんぶんと羽音を立てる。

 平和で穏やかな空間がそこにあった。


「で、結局、相談ってなんだったんだ?」

 俺はすっかり気が抜けてしまって、ぼんやり空を見上げた。

 藤棚の上では、藤娘が日向ぼっこをしていて、新緑の隙間から俺の顔をのぞきこむと『お犬様にもてあそばれてる~』とにやにや笑った。

 ちくしょう。これだから、この神社に棲むやつらは、厄介なんだ。

 気ままで、いたずら好きで、人を振り回しやがる。


『おぬしの初恋は、実りそうにないのう』

 見ればいつの間にか、お白様も藤のつるに巻きついて、俺たちの様子を見物していた。

「ちょっとちょっと、それは小学生のときの話ですよね!?」

 思わず声に出してツッコミを入れてしまう。

 そうだ、お白様は俺が子どもの頃のことも知っているんだった。

 油断ならない。

『なになに、ぬしはこのおなごを好いているのか?』

 お犬様もしっぽをブンブン振って、話に乗ってくる。

 金色の目がきらきらしている。

「いやだから、昔の話ですってば」

 そして、神様たちは、なにげに恋の話が好きだったりする。

 古事記でも、この神様はあの神様が好きで、とかいうエピソードが一杯あるしな……。

 

 そう、確かにガキのころの俺は、希のことがちょっと好きだった。

 だけどそれは、子どもらしい淡い思いで、告白したり付き合ったりなんてこともなく、いつの間にかうやむやになってしまったんだっけ。


「翔太くんって、昔から、ひとりごとが多かったよね」

 希の声に、俺はどきりとして、あわてて物思いを振り払った。

 ぼんやりしている間に、希がお参りから戻ってきたようだった。気づかないうちにベンチの前に立って、手を後ろにくんで俺の様子を眺めていた。

「そ、そうかもな……」

 ひとりごとではなくて、八百万のものたちと話しているのだが、傍から見たら、ひとりでぶつぶつ言っている怪しいやつだろう。

 その自覚があったから、今まではかなり気をつけていたのに、最近ボロが出まくっている気がする。

 神主になってから、彼らとの関わりがあまりにも日常になってしまったしな。


 希はすとんと俺の隣に座ると、また服の袖をいじりはじめる。

 俺は横目でそんな彼女の横顔を盗み見た。

 幼い頃の面影はあるけれど、やっぱり大人っぽくなっていて、眼鏡が知的な雰囲気を添えている。

 あーあ。

 マンガなら、幼馴染との再会なんて、恋の予感!? なフラグでしかないのにな……。現実はうまくいかないものだ。

 そんなことを考えていると、上からするっと白蛇が降りてきて、俺の肩の上におさまった。

 希は当然お白様が見えていないから、何も気づいていない。

「あの、翔太くん」

 希が顔を上げて、意を決したように言った。

「ちょっと聞きたいんだけど……」

「うん、どうした?」

 希の雰囲気で、今度こそ本題が始まりそうだと知って、俺はきちんと座り直して希のほうへ体を向けた。

「あのさ……霊って、本当にいるの?」

 希が真面目な顔で聞いてきた。

 俺は意表をつかれて、しばらく無言になってしまった。

「きゅ、急になぜそんなことを?」

 もしかして、俺のことがバレてしまったのだろうか。

 あ、リュウさんが希に言ってしまった!?

 俺がひとりで焦っていると、勘違いしたのか希があわてたように手を顔の前で振って、ごまかすように笑った。

「あ、ごめん。変なこと聞いて。やっぱり、そんなのいないよね」

 どうやら、俺のことがバレたわけではないようだった。

 俺は気を取り直して、言葉を選びながら答えた。

「信じるか信じないかは、人それぞれだけど。『いる』と感じる人がいるのは、間違いないと思うな」

 現に今だって、俺の肩の上には、額に角の生えた、赤目の白蛇が鎮座している。

 山奥の水源を守る、水の神の化身で、うちの神社の御祭神だ。

 ということを、俺は知っているけれど、見えない人にそれを証明することはできない。するつもりもない。

「そっか……」

 希がしばらくうつむいていたが、やがて思い切ったように言った。

「リュウさんがね、言うのよ。私に何かが憑いているって」

 希は不安を隠せない目で俺を見る。

 俺はすっと息を吸い込むと、瞬きすることなく、希の目を見返した。

 そこには何の陰りも見えない。

 だが、リュウさんは「見える人」だ。その彼が言ったという事実に、俺は警戒心を抱いた。

 俺は、八百万のもの以外とは相性が悪くて、『幽霊』の類は見えないのだけれど、死んだ人や動物の霊は存在しないと、否定するつもりはなかった。

 むしろ、いたっておかしくないとは思っている。


「翔太くんは、神主さんだから。もしかして、そういうことも、わかるかなって思ったのよ」

 だから相談したかったの、と希が説明する。

「なるほど……どうでしょうか」

 後半の言葉は、お白様に向けたものだ。

 以前「憑りつかれた人」がお祓いに来たときも、同じようにお白様に助けてもらったものだ。

『ふむ』

 お白様はチロチロと舌を出し入れした。

 俺は静かにお白様の言葉を待った。


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