第66話 山の神の言葉

 目を覚ますと、辺りはいまだ真っ暗で、雨の音が続いていた。

 ゴロゴロと、雷のような低い音が感じられる。


「今のは夢か……」

 それにしては、リアルな夢だった。

 まわりを見回すと、他の三人がそれぞれ岩や木の根にもたれて眠っている。 


『……人の子よ』


 声がした気がして、俺ははっと体を起こした。

 こわばった体を動かして、外をのぞき見る。

 闇の中に、木の影がぼんやりと浮かび上がっている。


『目を覚ましなさい』


 今度は確かに声が聞こえた。

 俺は体にかけていた薄手の上着を身につけフードをかぶると、そろっとくぼ地の外へはい出た。

 まだ雨が降っているが、昨日に比べると、だいぶ弱まっている。

 

 森の中は暗いが、空にはほのかな光が見えた。

 どうやら、明け方が近いようだ。

 クスノキの巨木の脇には、苔色の着物を身にまとった大男がいて、黙って俺を見ている。

「あなたが俺を呼んだんですか」

 俺がたずねると、大楠は頭を振って、視線を巨木の向こうにやった。


『あちらでお待ちだ』


 俺はぬれてすべる地面をそっと踏んで、クスノキの巨大な幹を回り、谷が見える岩の縁のほうへ近づいた。

 森が切れて、崖の上に、夜の空が遠くまで見はらせる。

 空はまだ雨雲に覆われているようだが、ところどころ雲の切れ目があるようで、深い藍色の空が見えた。

 

 その岩の縁、空を背景にして、黒い影があった。

 ふわふわの毛並みにぴんと立った耳。ふさふさとした尾。

 双眸が金色に光る。


「……お犬様」


 偉大なる狼姿のお犬様が、崖の縁に立っていた。

 俺は足をすべらせないように気をつけながら、お犬様に近づいた。


 お犬様の一歩手前でひざまずくと、手を合わせて一礼する。

「掛けまくも畏き山の大神よ、怒りをお鎮めください」


 お犬様が金色の目で俺を見た。

『……ふん。ここは、大楠の根が地をおさえている』

 いつもと変わらない調子の返事があって、俺はほっとした。

 怒りで言葉も通じなくなっていたら、どうしようと思っていたのだ。

「俺はてっきり、お犬様が山ごと、あのメガソーラーを壊してしまう気かと思いましたよ」

 俺が冗談めかして言うと、お犬様が口を開けて不気味な笑みを浮かべた。

『地を保つ根のなき場所は、いずれ崩れるであろう』

 お犬様の声はひんやりとしている。

「……まさか、報復されるおつもりですか」


 確かに、人間の都合で山を切り開いてしまう事業者に、俺自身も憤りを覚えたが、だからと言って、大きな災害を願ったわけではなかった。

 それだと、関係のない人にまで、被害が出るかもしれない。


『それを報復ととるのは、人の勝手』

 お犬様がすっと目を細めた。

『われらは、あるがままに動くだけだ。この雨で、水は動きだしている』

「お白様がどこにおられるのかは、わかりました。だけど、俺ではそこにたどり着けないんです!」

 お白様は、この山の中を流れる水の化身なのだと、俺は確信を持っていた。

 だけど、どうすればお白様を見つけられるのか、地面の下にもぐることのできない俺にはわからなかった。

 いや、見つけたとして、どうすることもできないのかもしれない。


『ならば、流れに身を任せることだな』

 お犬様が再び、不気味な笑みを浮かべた。

 そのときはじめて、俺は本当の意味で、お犬様への恐れを感じた。

 普段は穏やかで親しみがあるのに、今は手に負えない力と威圧感をはなっている。

 

 山や水が動くとき、人は無力だ。

 できるのは、祈り、願うことだけ。

 だからこそ、人はそこに神を見る。

 それはテクノロジーの進歩した現代でも変わらないのかもしれない。

 俺はそんな神々の姿を、今さらながらに悟った。


 ゴロゴロと、地響きのような音が足元から聞こえた。

 雨が再び強まってきて、俺の全身を打ちつけた。 


『人には、人のできることをするがよい』

 お犬様が静かな声で言った。

 金色の目がまっすぐに俺を見つめた。

『われらの声を聞くお主は、いち早く気づいている。できることはあろう』

 その言葉は、お犬様のやさしさだったのかもしれない。

 

 次の瞬間、お犬様は崖の上から跳躍して、あっという間に姿を消してしまった。


 俺はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて拳を握ると、大急ぎでみんなのところへ戻った。


「急いで山を下ろう!」

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