第65話 山中の夜

 雨はみるみる強まって、激しい雨音にお互いの声も聞き取りにくいほどだった。

 俺たちは、岩とクスノキの根で囲まれた小さいくぼ地の中で身を寄せて、雨が止むのを待った。


「止むかな……」

 結衣ちゃんが膝を抱えて座りながら、不安げにつぶやく。

 まだ夕方早い時間のはずなのに、辺りはまるで日が暮れたかのように暗い。

「まあ、大丈夫っすよ。雨は待ってたらいつか止むんで。休憩しましょや」

 リュウさんは岩にもたれて目をつぶり、昼寝をはじめた。

 この人も図太いな。


 俺は、前に道に迷ったときの反省もあり、もしかしたら山に泊まることがあるかもと予測して、薄い毛布やランタン、ちょっとした食料などを持ってきていた。

 結衣ちゃんの持ってきたお菓子や、リュウさんのペットボトルの水などもあって、一晩くらいは問題なくしのげそうだ。


 俺たちはお菓子をつまみながら、黙ったり、ぽつぽつと言葉を交わしたりして、くぼ地の外を流れる雨水を眺めていた。

 外では大楠が腕組みして、仁王立ちしていた。

 雨をものともせず、堂々とした姿だ。

 まるで見張り番を買って出てくれているようで、すごい安心感があるな。


 ふと思いついて、俺はムラ爺に話しかけた。

「あの、ムラ爺。地下水ってどんな風に流れてるか、ご存知ですか?」

 ムラ爺は、妙に山のこと自然のことに詳しいから、もしかしたら知っているかもしれない、と思ったのだ。

 ムラ爺は指をあごにあてて、ふむ、と考えるそぶりを見せた。

「わしも詳しいわけではないがの。雨が降ると、地面に染みこんで、水が流れやすい場所を地下水として流れていくのではないかね」

「水が流れやすい、というのは?」

「地層には、水を通しにくい硬い岩盤などの層と、水の通りやすい土の層があるんじゃよ。地下水は、浅いところと深いところで何層もになっておる。他に、川が地面の下をくぐる伏流水などもあるの」

 詳しくないと言いつつ、妙に詳しいムラ爺。

 この人、やっぱりただの爺さんじゃないよな。


「村田のお爺さん、さすが詳しいのね」

 結衣ちゃんも感心したように言った。

「今さらですが、ムラ爺って何者ですか?」

 俺がたずねると、ムラ爺は「何者でもないですわ」と笑った。

「神主さん、知らないんですか? 村田のお爺さんは、大学の先生なのよ」

 結衣ちゃんが、横から口を挟んだ。

 俺はその言葉に驚いて、ムラ爺の顔を二度見する。

「え!? ムラ爺もしかして、大学教授なんですか!?」

「ほっほ。とっくに退官して、今は畑いじりが趣味の、ただの爺さんですがの」

「どうりで、ただ者じゃないと思った……」

 ここにきて明かされる、ムラ爺の正体。


 俺は、このくぼ地に身をひそめるメンバーを見ながら、つくづく、よくここまで、色んな人間が集まったものだと感心する。

 元大学教授のムラ爺。

 高校生で巫女見習いの結衣ちゃん。

 樹上作業の職人・空師のリュウさん。

 そして、ITエンジニアで神主な俺。


 田舎には人材がないというが、捨てたもんじゃないな。

 今度、動画チャンネルでも開設するかな……。


 刻々と時間は過ぎるが、雨は止む気配はなく、いよいよ、本格的に辺りが暗くなってきた。

 俺はランタンのスイッチを入れた。LEDの光が、くぼ地の中を明るく照らした。


「結衣ちゃん、ごめんな。今日はちょっと、キャンプになりそうだ」

 俺はこんな事態に巻き込んでしまって、なにより結衣ちゃんに申し訳なかった。

 心配性な結衣ちゃんの母親は、大丈夫だろうか。

「大丈夫。さっき、友だちのうちに泊まるって連絡したから」

「あれ、携帯電話の電波あった?」

「うん、ときどき入るよ」

「そっか。ほんとごめんな」

「全然。冒険みたいで、ワクワクする」

 結衣ちゃんが目をキラキラさせて言った。

 楽しんでくれているようで、よかった。


 みんなで携帯食を分けあって夕食にすると、ランタンを消して、寝ることにした。

 毛布は結衣ちゃんとムラ爺に使ってもらって、俺とリュウさんはそれぞれ、上着を布団がわりのように体にかけ、目をつぶる。


 みなが黙ると、静かな山の中に、雨の音だけが断続的に響いた。ときどき誰かが姿勢を変えようともぞもぞしたり、咳払いをする音が混じる。

 俺はなかなか眠ることができないまま、あれこれと思いを巡らせていた。


 夜の山には不思議な気配が満ちている。それを感じると、お犬様のことが浮かんでくる。

 山を司るオオカミは、今どこで何をしているのか。

 それに、水のこと。

 俺はとりわけ、地面の下の見えない水脈に思いをはせた。

 地中に走る水の道、うねうねと蛇のように、龍のように、うごめいている。



 知らぬ間に、眠りに落ちていたのか。

 俺は夢を見た。

 荒れ狂う川を駆け下ってくる白い龍。赤いルビーのような瞳が、俺をい抜く。

 龍の硬い横腹が山を削り、土砂崩れが起こって、激しい地響きが辺りを揺らす。

 俺は、地面に身を投げ、伏して祈った。


「荒ぶる山の神、水の神よ、鎮まりたまえ——」

 

 

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