第69話 地響きと山の神々
重機の轍がついた道をあがっていくと、やがて、木が伐採されつつある現場に出た。
そこは谷川沿いの斜面で、完成したソーラーパネルが並ぶ敷地とは、川を挟んでちょうど反対側だ。
下の方には、不穏な気配を漂わせた渓谷が見えている。
山の上のほうは白くもやがかっており、ここよりも激しく雨が降っているようだ。
現場では、木が根元から切り倒されて、切り株が並び、平らにならされた一角には丸太が積み上げられている。
その側には、クレーンやアームのついた重機と、車体に「テッペンエナジー」と書かれたバンが停まっている。
辺りに重機やチェーンソーの音はせず、どうやら作業は行われていないようだ。
そして、人の声が聞こえた。
「どうして現場に来ないんだ!? 雨? 警報も出ていないし、大した雨じゃないだろう」
そちらへ近づいていくと、バンの側に、見覚えのある作業服の男がふたり立っていた。そのうち一方は携帯電話を耳に当てて、おそらく現場の作業員相手なのだろう、大声を出している。
その会話を漏れ聞いて、俺は状況を察した。
なるほど、テッペンエナジーのやつらと違って、現場の作業員さんたちは、今の状況が危ないと判断したってことだな……。
作業員さんは地元の人らなのかもしれないな。
俺は男たちに駆けよって、大きな声で呼びかけた。
「山が崩れるかもしれない! すぐにここを離れたほうがいい!」
男たちは俺の方を振り返って、眉を寄せた。
「またお前か」
「現場は部外者立ち入り禁止だぞ」
この期に及んで、まだそんなことを言う作業服たち。
こいつらは、どこまで危機感がないんだ!?
「そんなこと言っている場合じゃない!」
俺は呆れと腹立ちをなんとか抑え、大きな声で怒鳴った。
『愚かな人間かあ』
『山の神の怒りに飲まれるかあ』
カラスたちも、頭上を飛び回ってかあかあと、俺に参戦する。
その剣幕と、普通じゃないカラスの行動に驚いたのか、男たちは顔を見合わせた。
「ま、まあ、用事が済んだら、そろそろ行くか」
さすがに不安を見せ始める男たち。
「そうだな……うわっ」
そのとき、足元からゴロゴロと地響きが聞こえて、俺たちははっとして辺りを見回した。
「地震か?」
「いや、これはもしかして……」
そのとき、さらに大きな地響きが聞こえた。
『来るかあ、来るかあ』
カラスたちが、かあかあと大声で叫ぶ。
再び足元が震えた。
俺は谷川のほうを振り返って、目を見開いた。
「川が……」
谷川の上流から、突然ふくれあがった濁流が押し寄せていた。
土砂まじりの茶色い水が、白い波頭を立てて、下流へ向かってくる。
周りの斜面が巻き込まれて崩れはじめ、地響きが足元を揺らす。
後ろで車のエンジンの音が聞こえた。
はっとして振り返ると、青ざめた作業服の男たちが、大慌てでバンを発進させて、林道を逃げ去っていくのが見えた。
「あっ、あいつら……」
くそっ、こんなときだけ逃げ足が速いのか!
「てかやばい、俺、逃げ遅れるんじゃないか?」
絶体絶命の状況、大急ぎで逃げなければいけないのに、すべてがスローモーションで動くように見え、足は根が生えたように固まって動かない。
濁流は一瞬で駆け下ってきて、俺が立っている斜面の下まで到達する。
もう、間に合わない。瞬間的に俺は悟った。
そして、俺は見た。
荒れ狂う川を駆け下ってくる白い龍。赤いルビーのような瞳が、俺をい抜く。
龍の硬い横腹が山を削り、土砂崩れが起こって、泥の濁流が連鎖していく。
俺は、地面に身を投げ、伏して祈った。
「荒ぶる山の神、水の神よ、鎮まりたまえ——」
そんな愚かなことをしても、自然の前に無力なことは、俺だって知っていた。
だけど、「彼ら」に俺の声が届くかもしれないという、最後の望みがあった。
『ぬしは何をしておる』
何かに首根っこを乱暴につかまれ、ぐいと引っ張られるのを感じた。
そして俺の顔に、もふもふとしたやわらかいものが触れた。
次の瞬間、俺は灰色の巨大な狼の背中にしがみついて、すごい速さでどこかに運ばれていた。
俺は振り落とされないように、必死で灰色の毛をつかむ。
やがて狼は足を止めた。
『降りろ』
転がり落ちるように俺が狼の背から降りると、そこはあの大楠の側の崖の上だった。
「お犬様、ありがとうございます……」
俺は膝をついてお犬様に礼を申し上げた。
お犬様はちらと俺を見てから、てくてくと崖際まで歩いていく。
その崖の突端にいるものを見て、俺は目を見開いた。
「お白様!」
そこには、白蛇がいつものようにとぐろを巻いて、赤い目でこちらを見ていた。
『久しぶりに力を解放すると、すっきりするな』
そんなことをのたまうお白様。
俺は全身の力が抜けて、へなへなと地面に座りこんだ。
「……お怒りは、鎮まりましたか」
『ふん。怒ってはおらん。ただ、滞っていたものを動かしただけよ』
お白様は水のようにひんやりとした声で言った。
お犬様もそのかたわらで、しれっとした顔をして俺を見る。
眼下には、崩れるところは崩れて茶色い土をむき出しにした山斜面が見えているが、どうやら崩落は止まったようだった。
下の方のソーラーパネルが並んだ敷地も大きく崩れて、土台から傾いたり押し流されたパネルの残骸が見えている。
俺は改めて、彼らの力の恐ろしさを知って、ぶるっと震えた。
『ぬしに免じて、この程度で済ませたのだ』
「……それは、ありがたきお心」
これからは、もっと丁重に彼らを祀ろう。
俺はそう心に決めた。
いつの間にか雨がやんで、雲の切れ目から日の光がさし、ぬれた森をきらきらと照らしていた。
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