第45話 幼馴染の悩み

 翌日も午前中は雨が降っていたが、午後には止んで晴れ間が差した。

 俺は浅葱色の袴を身につけて、希との約束の時間よりも早めにお社へ向かい、細々とした仕事を片付けた。


 神社の境内では、灰色の子犬が水たまりをバシャバシャやって遊んでいた。泥だらけになりそうなのに、毛がふわふわのままなのが、さすが神様だ。

 水たまりの水がはねるたび、木漏れ日をうけてきらきらと光った。

 今日も相変わらず、境内は清らかな力に満ちている。

「雨の恵みは偉大だな……」

 山の緑も、日々濃くなっていくようで、あちこちで小さきものの気配を感じた。

 日のあたる石の上では、小さなトカゲが日向ぼっこをしているし、山の花々に集まるのか、ミツバチがぶんぶんと羽音を鳴らしてあちこち飛んでいた。

 俺はお社にお参りして、念入りに、恵みをもたらす天と山に感謝を述べておいた。


 そのとき、俺は「チイチイ」という小さな鳥の鳴き声に気がついた。

 どこから聞こえるのだろうと探してみると、お社の裏側の軒下に、ツバメの巣がかかっていた。今しも、ツバメがすいっと飛んできて、ヒナに食べ物をやると、またすいっと飛び去っていく。

「おお、なんだかよい兆しな気がする」

 ツバメは幸運をもたらすというし、落ち着かない場所や悪い気の籠るところには巣を作らないというしな。巣の下に糞が落ちるのが難ではあるが。今度、糞を受ける木の板を巣の下につけるか……。


 俺がまじまじとツバメのヒナを観察していると、黒いワンピースを着た、ショートボブに眼鏡の女性が、鳥居をくぐって神社に現れた。幼馴染の希だ。俺がツバメの巣を見ているのに気づいて、こちらへやってくる。

「何を見ているの?」

「ツバメの雛がかえったみたいなんだよ」

「あ、ほんとね」

 希はツバメの巣を見上げてから、視線を移して俺のほうをまじまじと見てきた。

「翔太くんがその格好をしているの、不思議ね」

 浅葱色の袴をさして、希が感慨深そうに言った。

「そうか? 昔も、時々手伝いで着ていたけどな」

「だって、学校で見慣れた翔太くんは、制服だったじゃない」

「まあ、そうだな」

 制服とか、懐かしいな。遠い昔の話だ。


 立ち話もなんなので、俺たちは藤棚の下のベンチに移動した。

 藤棚の上で日向ぼっこをしていた藤娘が、藤の葉の間から俺たちを見下ろしている。お犬様がてけてけとやってきて、希の足元にちょこんと座った。

「かわいい犬ね。変わった毛色」

 希がお犬様をモフモフすると、お犬様は満足げに金色の目を細めた。

『見慣れぬおなごだな』

 モフられながら、お犬様がちらりと俺を見た。そして、気になることを言った。

『におう』

「え?」

 思わず、すんすんと匂いをかいでみるも、俺には何も感じられない。

 希が不審げな顔で俺を見ているのに気づいて、俺はあわててゴホンと咳払いした。

「で、相談ってなんだ?」

「そう、ちょっとね……」

 希はうつむいて黒いワンピースの袖をいじっている。俺は希が話し出すのを待った。

「えーっと、そうそう。最近、うちの猫がちょっと変なのよ」

「ミケさんが?」

「よく夜中に家を抜け出すの。窓を閉めてても勝手に出ていくし……。前はそんなことなかったのに」

「なるほど……」

 長生きしているせいで、だんだん猫又じみてきている三毛猫のことだ。夜中に会合にでも出かけているのだろう。

 とはちょっと言いにくくて、俺は返答に困った。

「ま、まあ心配することないだろ」

 俺は適当な返事をするも、希の顔は晴れない。

「事故にでもあったら、心配じゃない」

「猫なんて、秘密のひとつやふたつ、あるもんだよ。ミケさんはしたたかだから、大丈夫だって」

 ふてぶてしい三毛猫の表情と声を思い出しながらそう言うと、「したたかって」と希はくすりと笑った。

「そうね。好きにさせるわ。ありがとう」

「礼を言われるような話じゃないよ。……相談って、それだけ?」

「……う、うん。そうね」

 希はうなずくも、歯切れが悪い。

 これは他にも何かありそうだなと直感して、俺はしばらく黙って待つことにした。

 希はうつむいて、お犬様をなでている。

 お犬様がふいに、希の手をぺろりとなめた。


『やっぱり、におう』

 

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