第10話 椿のいたずら
毎朝神社の境内の掃除をしていると、様々なことに気がつく。
例えば、どの木の落葉が多いとか。
いつも蜘蛛の巣がはっている木立とか。
朝早く、お社のてっぺんにとまって高らかに鳴く灰色の鳥がいるとか。
いつも同じ時間に犬の散歩をするおじいさんがいるとか。
そんなもろもろの小さいこと。どれも、会社員時代には、気にもとめていなかったことだった。
「前は灰色のアスファルトと電車のつり広告とスマホの画面しか見てなかったよなー」
気づいたことのひとつとして、この季節、椿の赤い花がたくさん地面に落ちている、ということがある。境内の一角に大きめの椿の木が生えていて、そこはいつも、ぱっと目をひく華やかな赤色に彩られていた。
「椿って、桜と違って花ごとぼとっと落ちるんだな」
箒で枯れた花を掃き寄せながら、そんなことを知る。
ちょうど、桜が散り始めている時期で、風が吹くと境内にはピンク色の桜吹雪が舞っていた。
そのとき、頭上からくすくすと、そよ風のような笑い声が聞こえて、俺はひょいと視線を上げた。
椿の細い枝に腰かける少女がいた。白地に赤い大輪の花模様の着物をまとい、下駄をはいた足をぶらぶらさせている。
「そんなとこで、危な……」
そう注意しかけて、人ではないことに気づく。彼女の座っている枝はとても細く、子どもでも体重をかければ折れてしまいそうだ。なのに、少女は体重をまったく感じさせない様子でいる。
つやつやとした長い黒髪が風になびき、光を映していた。
『お兄さん、何してるの』
少女が赤い唇を開き、俺に話しかけてきた。
「見ての通り、掃除を」
『大変ね。お花がいっぱい、落ちているものね』
「まあ、そうだな……」
少女は何がおかしいのか、くすくすと笑う。
俺は受け答えをしながら、少しばかり警戒した。この少女の雰囲気には、ちょっと嫌な予感がしていた。何かを企んでいる気がするのだ。
「それじゃ、俺は掃除の続きをするので……」
俺がそう言って立ち去りかけたとき、少女の赤い唇が、いたずらっぽそうに弧を描いた。
次の瞬間、少女の首が胴体から離れ、ぽろりと俺の足元に落ちてきた。
「うわっ!」
思わず俺は大声で叫び、飛びすさろうとして足がもつれ、尻もちをつく。
地面に転がった少女の生首と目が合うと、赤い唇がにやりと笑った。
『あっははは!』
頭上から笑い転げる声が聞こえる。見上げると、何事もなかったかのように、ちゃんと頭のある少女がそこにいた。尻もちをついている俺を見下ろし、お腹を抱えて笑っている。
「なっ、さっき確かに首が……」
地面に目を戻すと、生首だと思ったものは、いましがた落ちた椿の花だった。ぽとりと枝についていた姿のまま、地面に転がっている。
「完全に騙された……」
そう言えば、椿の花の落ちる様子が、ちょうど首が落ちるようで縁起が悪いというので、昔の武家なんかは椿を庭に植えるのを嫌った、なんて逸話を聞いたことがある。
椿はそれを再現してみせたというわけか。
なんてタチの悪いいたずらだ。
『あーおかしい。こんな単純ないたずらに引っかかるなんて』
「リアルすぎてびびったわ」
『前の神主にやっても、知らん顔だったわよ』
「さすが親父、百戦錬磨だな……」
そのとき、椿の少女がはっとしたように、真顔になった。恐る恐るといった様子で周囲を見回し、何かに気づいたのか目を見開くと、みるみる顔色が青くなっていく。
『いやーー』
椿は叫び声をあげると、今度は本当に枝から転がり落ちた。
「なんだ、どうした?」
俺が椿の横に膝をついてたずねると、少女は真っ青になって、ぶるぶる震えながら叫んだ。
『私の、大嫌いな、あいつら!』
細い指で、椿の梢の一角を指さしている。
俺が近寄って見てみると、葉むらの一部に「あいつら」がいた。
黒っぽい体に、白く長い毛がびっしりと生えている、いかにも非友好的なフォルムの、あいつら。ぱりぱりと、音が聞こえそうな勢いで、椿の葉を食い荒らしている。
そう、毛虫だ。
密集してうごめいているその姿に、俺も鳥肌が立って、腕をさすった。
「大発生しているじゃないか……」
虫って、一匹ならまだしも群れていると、どうにも怖気が走るんだよな。
毒があるやつだったら困るなと、手早くスマホを取り出して、ネットで「椿 毛虫」と入れて検索する。そうすると、すぐに情報がヒットした。
「チャドクガっていうのか……」
毒のある毛虫で、触ると猛烈に痒くなるから、要注意らしい。
『お願い、なんとかして! はやく、今すぐ!』
椿が泣きわめいて、俺の着物の袖を引っ張っている。毛虫がよっぽど苦手なようだ。まあ、こいつにとっては、身体を食べられているようなもんだしな……。
「困ったな……」
神社にいる生き物は神の使いだというから、殺すのはご法度なんだけど……。
毛虫には、ご退場いただいてもいいだろうか。たぶん、いいよな。誰かに被害が出ても困るし、椿を食い荒らされるのも、さすがにかわいそうだ。涙目の椿を見ていると、さっきのいたずらは脇に置いておいて、助けてあげようという気になる。
「よし、ちょっと待っててくれ。今日中にはなんとかするから」
俺は一旦家に帰って、大急ぎで毛虫対策を調べることにした。
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