第49話 神楽の稽古
梅雨が明けて、いよいよ夏だった。
まだ午前中早めの時間なのに、陽射しが強まってきて、窓の外に見える神社境内の砂利を白々と焼いている。
明るい敷地に、ちらほらと見える参拝者。
立派な拝殿の屋根には、一対のカラスがとまっていて、見張り番のように辺りを睥睨している。
しゃらん、しゃらん、と巫女鈴の静謐な音が響く。
「結衣ちゃん、腕が下がってきているわよ。こうやって、水平に保って。足はすっと抜いて」
「あ……すみません」
声がして、鈴の音が途切れた。
ぼうっとしていた俺は、注意を室内へ戻した。
緋袴姿の結衣ちゃんの横に立って、体の動きを指導しているのは、隣町の神社の巫女さん。
夏祭りで奉納する神楽の稽古をしているのだ。
毎年は、ここの神社の巫女さんに来てもらって、巫女舞をしてもらっていたのだが、今年は結衣ちゃんも一緒に舞うことになった。
うちの神社の手伝いをするようになってから、日本舞踊や雅楽にも興味が出てきたらしく、結衣ちゃんは熱心に練習している。
手に巫女鈴と榊を持って、腕を水平に掲げ、ゆっくりと舞う姿は、なかなかに様になっていた。
初めのころは、巫女見習いをすることに、結衣ちゃんの母親が不安がっていたそうだが、一度、真剣に舞の稽古をつける姿を見てから、何も言わなくなったらしい。
まあ、この熊野神社は、うちの零細神社と違って常駐の神主さんがいて、きちんと運営されているしな……。その雰囲気に、安心したのだろう。
「おや、山宮さんはおさぼりですか」
聞こえた声に、俺はどきりとして振り返る。
こちらの神社の宮司さんが稽古場に顔をのぞかせた。枯れ木みたいに痩せて長身の、五十過ぎくらいの眼鏡男性。親父の代から、うちの神社がいつもお世話になっている人だ。
「ちょ、ちょっと一休みしていただけですよ」
俺はあわてて、龍笛を持ち上げた。
結衣ちゃんだけではなく、俺もまた、神楽に合わせる笛の練習をしていたのだ。
小さいころに親父の真似をして、しばらく練習したことがあったが、もう十年以上も龍笛には触っていなかったから、だいぶ忘れていた。
「結衣ちゃん、なかなか上手ですね」
「ですよね。覚えが早いし、所作もきれいで」
「うちにスカウトしたいくらいですね……」
宮司さんの眼鏡がきらりと光った。俺はあわてて、それを止める。
「あ、ダメですよ! 結衣ちゃんは未来明るい高校生なんですから!」
俺の言いように、宮司さんは苦笑した。
「神社で働くというのは、決して楽しいことばかりでは、ないですからね」
「まずは社会を知って、それからでも遅くないです!」
「一度企業で働いていた山宮くんの言葉だと、説得力がありますね」
「社畜の経験も、無駄にはなりませんよ」
俺たちがひそひそ話している横で、結衣ちゃんがゆっくりと舞う。
その手に掲げられた、いくつもの鈴が連なった巫女鈴が、しゃらん、しゃらん、と音を立てる。
結衣ちゃんの様子を横目にしながら、俺は気を取り直して、龍笛を唇に押し当て息を吹きかける。長く伸びる笛の音が、稽古場に流れ出した。
「いいですね、ふたりとも、随分と上達しましたね」
「今日もありがとうございました」
稽古を終えた俺と結衣ちゃんは、宮司さんと巫女さんに向かってぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。明日の手伝いは、よろしくお願いしますよ」
「もちろんです」
稽古をつけてもらう代わりに、俺はこちらの神社の仕事を手伝っていた。
最近、出仕の若い神主さんが辞めてしまったとかで、人手不足で困っているのだとか。名の知れた大きな神社ならいざ知らず、地方の小さな神社はどこも苦労しているのだ。
俺と結衣ちゃんが社務所を出て、境内を歩いていると、黒い影がさっと視界を横切った。
バサバサと重い羽音がしたかと思うと、俺の前に黒いカラスが舞い降りた。
「あ、いつもの子ね」
結衣ちゃんがカラスを見て声をあげた。
以前、巣から落ちてしまったヒナを助けたことがある、御神木の主のカラスだ。
助けて以来、妙に恩義を感じられているようで、やたらと光りものをくれたりする、律儀な奴らだった。
カラスはひょこひょこと、お辞儀をするようにしながら俺の足元に近づいてきて、くちばしにくわえた何かを、地面に置いた。
『これやる』
カラスがしわがれた声でそう言った。
以前は彼らの声が聞こえなくて、意図を察するのに苦労したものだが、山の神をお招きして以来、白水神社の外に出ても、八百万のものたちの声が断片的にだが、わかるようになっていた。
「あ、ども」
俺はかがんで、地面のものを拾い上げた。
「ガラスの破片?」
結衣ちゃんも横からのぞきこむ。
確かに割れたガラスのようだが、ビンなどよりも、しっかりしたガラスに見える。車のフロントガラスみたいな感じだな。光ってきれいだから、どこかから拾ってきたのだろう。
そう思っていると、もう一羽のカラスが、今度は何か黒っぽいものをくわえて飛んできた。同じように、俺の足元に置いていく。
「何これ?」
表面に縞模様が入った、何かのパネルのようなもの。
明らかに、何かの部品だ。
「お前、これどうしたの?」
『やまで ひろった』
カラスがかあ、と得意げに鳴く。
一体これを、どうしろというのだろうか。カラスの意図は相変わらず不明で、俺は苦笑するしかなかった。
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