第8話 憑りつかれた少女のお祓い①
夕方になると、まだ日が暮れていなくても、森の中は薄暗い。
俺は軽く息を切らせて長い階段をのぼって神社に着くと、本殿の裏の森に生えている榊の木を探した。
つやつやとした濃い緑で、葉の縁がぎざぎざの、小さめの木だ。魔除けの力があると言われる榊は、神社での儀式には欠かせない。
俺は一礼をしてから、「ちょっといただきますね」と声をかけて、枝をハサミで数本切り取った。榊の木は特に文句も言わなかったから、ほっとしてお社の方に戻る。
「お祓いの準備っと……」
うろ覚えの部分もあって心もとないが、まあ、ちょっとくらい間違えても、うちの神様は寛容だから、大丈夫だろう。
お社の床に御座を敷いて、台の上に盛塩やら器に入れた水やらを並べ、さっきとってきた榊も一緒に飾る。それに、木の棒の先に紙垂(しで)という紙のひだをたくさんくくりつけた「大麻(おおぬさ)」というお祓いの道具。神主がばっさばっさと振るあれだ。
「さて、できれば、うちのお方の手助けがほしいんだけど……」
拝殿は十畳くらいの広さの壁がない建物で、その奥には、こぢんまりとした本殿がある。木の壁に囲われて、本殿の中は見えないようになっている。本来なら、御祭神はこちらにおわすはずだが……。
「お白様、お白様」
俺が呼びかけても、しんと気配もない。
仕方がないので、俺は居住まいを正すと肚に力をためて、謡うように御祭神に呼びかける。
「掛けまくも畏き 白水の大前――」
うちの神社、正式な名前を「白水神社」と言う。山の中には清き水の湧き出る水源があって、それを守る白蛇の神様「白水龍神」が、御祭神である通称「お白様」だ。ちなみに、蛇は弁財天の化身とも言われているので、後からお招きした弁財天も祭られている。でも、弁財天様は有名な神様だから、こんな片田舎の小さな神社に本当に現れることは滅多にない、というのは内緒だ。
だから、お白様が幅をきかせて、我が物顔で神社をうろついている。まあ、元々この山の神様だから、弁財天よりも古株だしな。たぶん。
「どうかご顕現くださいますよう、恐み恐み(かしこみかしこみ)お願いもうす」
最後の方は、それっぽいアレンジで適当に奏上をくくると、頭上から眠そうな声が降ってきた。
『うるさい奴だな』
いきなり拝殿の梁から、ぶらんと白い蛇が降りてきて、赤く光る目が俺の顔の真ん前に現れた。叫び声はとっさに飲み込んだが、反射的に飛びすさって胸をおさえる。
「お、お白様。そんなところにおいででしたか……」
『何用だ』
「少々、お白様のお力をお借りしたいと思いまして……」
『ふむ。おもしろそうな話だな。よかろう』
「……まだ内容を説明してないんですけど」
『その娘が何に憑りつかれているのか、見てほしいと思っとるんだろ』
本殿の前でとぐろを巻いた白蛇は、あっさりとそう看過する。
「げげ、さすが神様」
『お主の考えなどダダ洩れよ』
白蛇は得意そうに、細い舌をちろちろと出し入れする。
俺は両手をぱんっと顔の前で合わせて、お白様を拝み倒した。
「お願いします、お助けください。俺、その手の霊感はからっきしなくて、相談されてもよくわからないんですよね」
『森の八百万(やおよろず)のものとは、相性がよいのにな』
「親父もそうだったし、遺伝ですよ」
『まあ、この神社の神主には相応しいことだ』
「ありがたく存じます」
正直、古代ならいざしらず、現代の神職に霊感や不思議な力をもった人がどのくらいいるのか、俺はよくわからない。
まず、俺に霊感があるのかと聞かれると、微妙なところだ。この神社の境内限定で、俺にはお白様はじめ、森の不思議なものたちの姿が見え、交流もしているが、神域を出ればただの人だ。
幽霊も見たことがないし、怪奇現象にあったこともない。
その時、鳥居の方から叫び声が聞こえて、俺ははっと振り向いた。
「お母さん、何するの、離してよ!」
「いいから、来なさい」
さっきの女性とその娘の声だろう。
俺は立ち上がると、拝殿の前で訪問者を待った。お白様がいつの間にか俺の肩に乗っている。
やがて、先ほどの中年の女性が、中学生くらいの女の子の腕を引いて現れた。
娘さんのほうは、赤色のメッシュが入った長い髪に、耳にはいくつもピアスがついて、短パンに長袖のゆるっとした白シャツという恰好が、ちょっと神社には似つかわしくない。
「お待たせしました。これがうちの娘です」
母親にうながされて、娘はしぶしぶといった様子で、黙って会釈した。
彼女は顔を上げたところで、はっとしたように、俺の肩に視線が釘付けになっている。俺は「おや」とその様子に目をとめた。――おそらくこの子には、お白様が見えている。母親の方は特に反応していないから、たぶん見えていないのだろう。
「まずは、手を清めてから、上におあがりください」
手水舎でお清めをしてから、靴を脱いで社殿の座敷にあがるよう、俺は素知らぬ顔ですすめる。ふたりが並んで正座し、俺はそれに向き合って座った。
「さて、お祓いをご所望とのことでしたね」
「そうなんです。この子、最近様子がおかしくて」
「おかしくなんか、ないよ」
娘が声をあげたが、母親はそれを無視して言葉を続ける。
「夜中にふらふら、出歩いたりするんです」
えーっと。それは、単にちょっと、思春期の難しいお年頃だからなのでは? 俺は内心でそう突っ込んだが、口には出さずに続きをうながす。
「それに、ときどき、何もない場所をじっと見ていたりするんです。そういうときは、声をかけても聞こえていないみたいで」
母親がそう言うと、娘はあからさまに目を泳がせた。
俺はそんなふたりの様子を、冷静に観察していた。
「そうですね……。お祓いをする前に、娘さんと少し、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「申し訳にくいのですが……お母様には、少しお席を外していただきたく」
「一緒に聞いては、いけないのですか?」
母親が眉をひそめて、不服そうに言う。
「もしかしたら、何かよからぬものが憑いているかもしれませんし」
俺が意味深にそう言うと、母親はぎくりとして、「わかりました」としぶしぶ認め、手水舎の方まで離れた。
「さて、お白様。どうですか?」
俺が口をほとんど動かさずに、お白様にたずねると、蛇は空気を探るように舌を出し入れしてから、『うむ』と言った。
『確かに、憑りつかれておるようだな』
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