第58話 夜の神社とヤマユリ
集会から戻ると、時刻は夜の十時前だった。
電灯の明かりが少ない田舎では、星がよく見える。
端っこの少し欠けた月が、頭の真上で明るく輝いていて、足元にくっきりとした濃い影ができていた。
「東京では、月の影とか気にもしてなかったな、そう言えば」
東京は夜でも街が明るい。
ビジネス街では、夜遅くまでビルの窓に明かりが灯り、「社畜たちが今日も遅くまで働いているな……」と同じく社畜だった自分は、疲れでぼんやりとした頭で、その明かりを眺めたものだ。
その電気の一部が、田舎の山を削って作られると思うと、皮肉な気がした。
「お犬様は戻ってきたかな」
俺は山の麓から、神社がある辺りを見上げた。
もしかしたら、何かを見つけて戻っているかもしれない。そう考えると気になりすぎて落ち着かなかった。
「念のため、見に行くか」
俺は一旦家に戻って懐中電灯を取ってくると、鳥居をくぐって参道の階段をのぼりはじめた。
「夜の森って、暗いよな……」
月や星の明かりもさえぎられる森の中は、暗くて不気味だ。
虫の声がリーン、リーンと聞こえ、ときどき森の中でガサガサと、何かの動く気配がする。たぶん、ネズミか、タヌキか、もしかしたら鹿か……。
動物だけではない。
人気の少ない夜は、「人ならざるもの」の気配が色濃いようだった。
森の奥の薄暗がりに、小さな光やうっすらとした影が、動いている気がする。
「こんな時間にうろついていると、普段遭わないやつから、ちょっかいをかけられそうだよな……」
ヤバい。来なければよかったかな。
それでも、俺はお犬様の様子が気になっていたから、足を止めずに階段をのぼっていった。
ふと風が吹いて、甘く濃い匂いが、すっと鼻をくすぐった。
「……花の匂い?」
足を止めて森の中に懐中電灯の光を向けると、少し離れたところに白い大きな花が、いくつか群れて咲いていた。
「あれは……ユリかな?」
すらっとした茎の先に、うなだれぎみの白い花がついている。
その甘い匂いが、俺のところまで匂ってきていた。
気がつくと、側にほっそりとした少女が立っていた。
背丈は俺の半分くらいしかなくて、長い金髪に色白の肌、頬にはそばかすが散っている。ユリに宿る精だなと、すぐにわかった。
『お兄さん、こんばんは』
少女は可憐な声で、そう俺に話しかけた。
「どうも、こんばんは」
夜の森で出くわしたのが、かわいらしい花の精だったことに、俺はほっとして挨拶を返す。
「いい匂いだね」
俺がそう言うと、少女は恥ずかしそうにうつむいた。
『こんな夜に、どこに行くの?』
上目づかいで俺の顔をちらちらと見てくる。
「ちょっと、上の神社まで。山の神が待っているかもしれないから」
俺はそう説明したが、ユリは聞いているのかいないのか、首を傾げて関係ないことをつぶやく。
『ミツバチがね、遊びにくるのよ』
「へー、そうなんだ。蜜を集めにくるのかな?」
『チョウがね、お便りを届けてくれるの』
「そ、そうなんだね」
会話があんまり成り立っていない気がする。
この子、不思議ちゃん系だな……。
俺がそこそこで会話を切り上げて、歩き出そうとしたとき、ユリが気になることを言った。
『ミツバチがね、言ってたよ。水がないって』
「え?」
俺は驚いて、ばっとユリの方を振り返る。
「そ、それはどこの水のこと?」
『知らない』
ユリはふるふると首を振った。
「ミツバチは、他に何か言ってなかった?」
俺がたずねると、少女は首を傾げた。
『ブンブン言ってた』
「ほ、他は?」
要領を得ない少女の返事に、俺は急く気をなんとか抑えて、続きをうながす。
『困ったなって』
「うん、それで?」
『水を探さなきゃって』
「どこかに水があるのか?」
『知らない』
俺がユリから聞き出せたのは、それだけだった。
ミツバチと直接話せたら、何かわかるのかもしれないが……それも難しそうだった。虫の声はすごく小さくて、俺にはほとんど聞き取れないのだ。
「教えてくれて、ありがとう」
俺がユリに礼を言うと、少女ははにかんだような笑みを浮かべた。
残りの階段を、俺はほとんど走るようにしてのぼっていった。
やっぱり森で何か変化が起こっている。森にすむものたちは、それを感じているようだ。
「水を探さなきゃってことは、水が枯れたわけではないのか?」
ユリが断片的に語った言葉では、そんな風に聞こえた。
それ以上を知るには、もっと事情をよく知っていて、俺と話ができる「古い力」を持ったものを、探さなければならないのかもしれないな……。
俺は二段飛ばしで階段をのぼり、鳥居の前で足を止めると、息を落ち着けていつも通り礼をした。そうすると、焦っていた気も落ち着いてくるようだった。
鳥居をくぐって、境内に足を踏み入れる。
木々の間から月の光が差し込み、辺りを明るく照らしていた。
そして、その淡い光の中に、灰色の狼が静かにたたずんでいた。
「……お犬様」
その姿の神々しさに、俺は息をのんだ。
まるで俺の知っているお犬様ではないようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます