第4話 甘い

 澪が連れてきてくれたのは、女性とカップルしかいないような、甘い雰囲気のスイーツカフェだった。名前は『スイーツホリック』。扱っているのは主にお菓子とケーキで、店内でも食事ができる。

 俺一人だったらまず近寄ることさえ困難なお店で、澪と一緒であっても気後れしてしまう。場違い感が酷すぎて今にも逃げ出したくなる。


「……こんなお店、本当にあるんだなぁ」


 澪と向かい合ってテーブルにつき、俺はおのぼりさん状態で呟く。


「ぷっ、何その反応? そりゃあるよ? スイーツのお店は、何か空想の世界のお店だとでも思ってた?」

「……それに近いかもしれない。スイーツのお店なんて、漫画とかアニメでしか見たことないし……。家族とはファミレスくらいしか行ったことない……」


 俺の言葉の何が面白いのか、澪はくつくつと愉快そうに笑う。やべ、綺麗な女性が俺の目の前で笑ってるとか至福過ぎる……っ。


「燈護って、面白い人だね」

「え? そう? 俺は……別に、ただの冴えない大学生だよ」

「そうかなぁ? 確かにまだ野暮ったいところはあると思うよ? 髪も、服も、高校生そのままっていう感じ。だけどね、燈護が思ってるほど、燈護はダメな人じゃないよ。それは確か」

「そうかな……。でも、俺なんて、表舞台に立つのは苦手で、いつも裏方で、女性にアピールできるものなんて何もない……」

「そんなことないよって、今は何回言っても信じてもらえないかな。さ、まずは食べよ? 美味しいよ? あと、ご馳走してくれてありがとうね」

「どういたしまして」


 恋人代行をしている間の出費は、全て俺が払うことになっている。

 当然と言えば当然のことで、俺としては全く不満もない。

 ただ、恋人代行の自己紹介欄に、食事を提案する文言を見ると、ご飯代を浮かせたいのかなぁ、なんて発想もちらっと頭をかすめる。

 恋人代行としての収入がありつつ、食事も奢ってもらえたら、実質時給が上がったのと同じ。

 ……なんてことを考えるのは、ちょっとこの場には相応しくないかな。よし、忘れよう。

 そんなことより。


「あのさ、澪」

「ん? どうしたの?」

「えっと……こんなことをお願いしていいのかわからないけど……あれ、やってみたい。彼女に食べさせてもらう奴」

「あーん、って奴?」

「そう、それ」


 人前でやるのは少々気恥ずかしい。しかし、安くないお金を払っている以上、憧れは実現してみたいのである。

 俺の希望を聞いて、澪はまたくすくすと笑った。


「あ、ご、ごめん、気持ち悪かった……?」

「ううん。そうじゃないの。燈護は、本当に素直だね」

「素直、かな?」

「うん。素直だよ。だって、そういうのって普通、男の子の方から言わないでしょ?」

「み、みっともない、かな? ごめん、そうだよね……」

「みっともないとかじゃないよ。男の子って、色んなプライドがあるから、そういう可愛らしいお願いはなかなかできないじゃない?

 男の子からおねだりするのを、好まない女性もいるとは思う。けど、私は、素直で可愛らしくて、いいなって思うよ」

「可愛らしいは……褒め言葉、なのかな?」

「かっこいいばかりが、男の子の魅力じゃないよ?」

「……そうかぁ。奥が深いなぁ」

「私は燈護みたいな人、好きだよ。私を喜ばせるんだったら、燈護はそれでいいんだよ」

「ん……わかった」

「それじゃあ、早速?」


 澪が俺の分のフォークを手に取り、チーズケーキを切り分ける。一口サイズになったケーキを俺の口元に運んで。


「はい、あーん」


 くっ! 可愛すぎてその笑顔が直視できない!


「い、いただきます……」


 若干視線を逸らしつつ、俺はフォークに乗ったケーキをぱくり。女の子に食べさせてもらうこの甘い空気……。チーズケーキも五割増しで上手い! いや、ここのケーキが美味いっていうのもあるけどさ!


「ほんと、可愛いなぁ」

「……どうも」

「もう一口いっとく?」

「……うん」

「素直で宜しい」


 もう一口、澪の手から食べさせてもらって、俺は大変満足である。


「ありがとう。あとは自分で食べるよ。澪も食べたいだろうに、俺を優先させてしまってごめんね」

「謝らないでよ。……あまりお仕事的なことは言いたくないけど、本来なら、今日は私が燈護のために尽くしまくる日なの。私が精一杯頑張って、燈護に素敵な思い出を作ってもらって、幸せな気分で一日を終えてもらう。燈護を優先するのは、当然なんだよ」


 今の澪は、恋人の顔じゃなく、仕事人の顔をしている。

 そう言えば、この子は恋人代行なんだって、ふと思う。


「……それもそうか。けど、それはなんだか、ちょっぴり寂しいな。澪はそういう立場だけど、できれば、俺は澪にもたくさん楽しんでほしいし、喜んでほしい。

 俺はいつか、自分の好きな人を目一杯楽しませて、喜ばせられる人になりたい。だから、澪は気を遣って俺を優先してくれなくていい。澪が素の笑顔を見せてくれるのが、俺にとって一番素敵な思い出になるんだから。

 ……って言っても、この状況じゃそれは難しいよな。って言うか、俺、ずるいよな。澪は俺を裏切れないし、ちょっと嫌なことがあったって笑顔を絶やせない。それがわかってるのに、都合良く素の笑顔が見たいだなんて……。

 ごめん、俺、やっぱりダメダメだ。

 本当は、澪には天使でいてほしい。俺を傷つけることは一切しないでほしい。つまりは、俺のために目一杯気を遣って、俺を優先してほしいんだ。

 澪は、できる限りのサービスを俺にくれ。俺も、できる限り、澪の笑顔を引き出せるように頑張るから」


 俺の勝手な一人語りも、澪は真剣な表情で聞いてくれる。

 お客様のために一生懸命。それも澪のサービスの一つであり、澪の真面目な一面の現れ。だよね?


「……燈護は真面目だなぁ」


 澪がさざ波のような笑みを浮かべる。


「お互い様、じゃない?」

「そうかも。うん、でも、やっぱり燈護は素敵な人だと思う。燈護とは、もっと別の形で出会ってみても、面白かっただろうなって思うよ」

「別の形……?」

「ううん、なんでもない。とにかく、お互い、相手を楽しませるために頑張りましょ?」

「うん。そうだね」

「じゃ、私もいただきまーす」


 澪が自分のミルフィーユをフォークで掬ってぱくり。

 あ。


「……そのフォーク、俺が使ったやつ」

「え? あっ」


 澪が、おそらくは本当に素の表情で驚く。頬も赤らんでいた。


「……ごめん、俺の話が長くて、フォークのこと忘れさせちゃった」

「……私こそ、迂闊うかつで……」

「えっと、フォーク、取り替えてもらおうか。俺がそれを使うのも良くないし、かと言って澪に使わせ続けるわけにもいかないし」

「……いいよ。もう気にしないで」

「いいの?」

「うん。私のミスでもあるし。ちなみに……燈護は、どっちのフォークを使いたい?」


 未使用のフォークと、澪が使ったフォーク。

 ぶっちゃけ澪が使ったフォークを使いたい。間接キスをしたい。

 けど、どっちが正解だ? 澪に俺の使ったフォークを使わせるのも問題な気がする。

 えっと、えっと……。

 ぐるぐると考えること数十秒。


「澪の持ってるフォーク、かな」

「……わかった。はい」


 フォークを手渡してくれる。え、いいの? 間接キスになっちゃうよ?


「本当に、いいの?」

「……間接キスは、まぉ、禁止事項になってないし? って言うか、むしろ燈護が嫌じゃない?」

「それはありえない」

「なら、いいよ。それと、恋愛に疎い燈護に教えてあげる。間接キスなんて、大人になったらいちいち騒ぐことでもないんだよ?」


 そう言う割には、澪は気恥ずかしげに視線を逸らしている。

 平気ではなさそうだ。俺ほど心臓バクバクではないだろうけれど。


「……なら、遠慮なく」

「どうぞ。遠慮なく」


 俺はそのフォークを使い、チーズケーキを口に含む。

 なんでだろう。澪に食べさせてもらったときより、甘みが強いような気がした。

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