第15話 二回目

 澪とのデートは本当に楽しかった。

 楽しいだけじゃなく、色々と学びになるデートだった。

 とはいえ。

 女性と一日デートしただけで、童貞をこじらせた俺の人格が急変するわけもなく。

 デート後も、俺は相も変わらず男の世界で生活している。自分から女性に話しかけることは全くできず、当然向こうからこっちに話しかけてくることもない。

 ま、一度女性とデートしただけでモテ男に急変できるなら、世の中童貞に迷う男なんていなくなる。俺が誰かと本気の恋愛をする日はまだまだ先だ。

 澪にまた会いたいなー……という思いが募るけれど、澪が恋人代行をやる日は多くない上、やはり人気があるらしく、次に会えるのは一ヶ月先になってしまった『楽しみにしてるね♪』と可愛らしいメールを送ってきてくれたのが心の支え。

 そして、浮気するわけではないけれど、澪と会った次の土曜日である今日、別の恋人代行を予約している。

 俺の最終目標はリアルの彼女を作ることであり、恋人代行と仲を深めて、あわよくば本当の恋愛関係になろうということではない。

 澪だって、俺のことはあくまでお客さんと認識している。もしかしたら、仕事を通じて仲良くなった友達程度には思ってくれるかもしれないが、決して恋人にしようとまでは思わない。

 俺は俺で他の女性と遊ぶし、澪は澪で別の男性とデートをする。

 そういう関係で、何も問題はない。よな?


「……またも着くのが早すぎた」


 待ち合わせ場所は、一週間前と同じ、都心の駅近く。午前十時に会う約束が、今日も今日とて九時半に到着してしまった。一週間前よりはマシになったとも言えるが、やはりデートだと思うと緊張してしまい、家でじっとしていることができなかったのだ。

 なお、集合場所は同じにしたが、今日は都心でのデートではなく、ここから遊園地に向かう予定。

 それと。

 澪は、少々料金お高めの、経験値のある恋人代行だった。しかし、今日のお相手は、料金設定が低い上、そもそも今日が初めての仕事だという恋人代行。澪のときとは全く違ったデートになるだろうと予測している。事前のメールのやり取りも、少しぎこちなかった。


「さて……どうするかなぁ」


 あと三十分。じっと待つのもなんだし、また適当に散歩でも……。


「あああ、あの! もしかして、犬丸さんですか!?」

「ん?」


 スマホを眺めていたら、突然女性から名前を呼ばれた。

 俺の名前を知る女性なんて限られているわけで、だとすると……。

 視線を上げると、小柄で、少しあどけない顔立ちの女性が立っていた。ボブカットの栗毛に大きな瞳、控えめな鼻と桃色の綺麗な唇。愛嬌があって、相対する者の心を和ませる力を持つ人だった。薄緑のカーディガンに、チェック模様のパンツが似合っている。背中の小さな黒鞄も、可愛らしい雰囲気を引き立てているように感じる。

 名前は桃瀬璃奈ももせりな。俺と同じ十八歳らしい。


「桃瀬璃奈さんですか?」

「はい! 桃瀬璃奈です! 初めまして! 犬丸さん、早いですね? まだ三十分前ですよ?」


 元気溌剌……という感じだが、若干無理しているのを感じる。お仕事モードとして、明るく振る舞っているのだろう。


「初めまして。犬丸燈護です。家にいても落ち着かなくて、早く来てしまいました。っていうか、桃瀬さんこそ早すぎません?」

「いやぁ……あたしも全然落ち着かなくて。それに、遅刻しちゃダメだと思ったら、無駄に早く来てしまいました。あ、でも、おかげで犬丸さんをお待たせすることがなかったので、結果オーライですね!?」

「確かに、早く来てくれて助かりました。けど……こういう場合ってどうなるんですかね? 早めに始めててもいいんでしょうか?」

「えっと……どうなんでしょう?」


 はて? と桃瀬が首を傾げる。初めてのお仕事で、ちょっとしたイレギュラーについても対応がわからないらしい。

 少し悩み、しかしすぐに気を取り直して。


「んー……た、たぶん大丈夫です! ここに来て、あと三十分は他人のふりで過ごしましょう、なんて変ですし! 早速始めてしまいましょう! あ、追加料金とか取らないので、安心してくださいね!」

「わかりました。ありがとうございます」

「こちらこそ、あたしを選んでくれてありがとうございます! 初めてのことで、至らないところも多々あると思いますけど、どうか宜しくお願いします!」


 ぺこりと丁寧に頭を下げてくる。俺もまだ二回目の利用なのに、その初々しさに心がほっこりしてしまう。


「こちらこそ、宜しくお願いします」

「はい! では、遊園地ですよね? えっと、じゃあ……」


 桃瀬が右手を差し出してくる。お支払いをお願いします、ではない。お金は事前に振り込んでいる。

 これはつまり。


「宜しく」


 俺は左手を差し出し、桃瀬と手を重ねる。きゅっと握ると、桃瀬がぴくりとびっくりしたように震えた。


「よ、宜しくお願いしましゅ」


 あ、噛んだ。

 桃瀬の頬がみるみる赤く染まっていく。恥ずかしいらしい。


「ご、ごめんなさい! 緊張してしまってっ」

「気にしないでください。全然構いませんよ」

「お、男の人と手を繋ぐの、小学生以来で……。自分から差し出しておいて、なんだかもう心臓ばくばくです……」

「そ、そうなんですね……」


 小学生以来……。

 ってことは、桃瀬って彼氏がいたことはないのかな? そういう経験なしで、いきなり恋人代行をやるってのも度胸がある。

 おっかなびっくりの妹系のキャラを感じる。しかし、実のところかなり肝の据わった人なのかな?


「あ、えっと、始めるに当たって……呼び方、変えましょうか? 燈護さんって呼んでいいですか?」

「うん。いいよ。俺も璃奈って呼ぶ。あと、しゃべり方もそんなに丁寧じゃなくていいから」

「あ、う、うん! わかった! じゃあ、早速行こう! まずは駅だね!」


 璃奈に引かれて歩き出す。まだ緊張が抜けないけれど、必死に頑張っている笑顔がとても可愛らしい。

 リードしてもらえる安心感はない。初めての相手が璃奈だったら、俺も困惑するばかりだったかもしれない。

 最初に澪とデートしていて良かった。おかげで、璃奈とのデートも落ち着いて楽しめる。少しテンパっている雰囲気なのも、一層可愛らしいと思えるくらい。

 璃奈は璃奈でとても良い子に見えるし、今日も楽しい一日になりそうだ。

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