第16話 電車移動

 遊園地までは、電車とバスを乗り継いでだいたい一時間ほど。

 まだ人の少ない電車の中で並んで座っていると、璃奈は申し訳なさそうに言う。


「……その、移動だけで随分時間を使ってしまってごめんね。遊園地前に待ち合わせでも良かったんだよ?」

「気にしないで。だって、移動の時間だってデートだろ? メールでも伝えたけど、俺はこのデートを通して恋愛について学んで、将来的に本当の彼女を作りたいんだ。

 彼女ができたとき、『遊園地は遠いから現地集合で!』とかならないでしょ? 移動の時間をどう過ごすのかも、ちゃんと学んでおきたいんだ」

「そっか。なるほどね。あたしも、彼氏に『現地集合で!』とか言われたら、一気に冷めちゃうかも」

「一緒にいる時間は、たぶん全部デートだから。俺は、この時間を無駄だなんて思わないよ」

「……そうだね。けど、ごめんなさい。正直、あたしはあんまりおしゃべり上手ってわけでもなくて……。あ、そ、その、こういうことをしている以上、そんな言い訳をしちゃいけないっていうのはわかってるの。ただ……期待に応えられるか、自信がなくて……」


 璃奈が心底申し訳なさそうに視線を下げている。

 厳しい人から見れば、これは恋人代行のしていい態度ではないと言うのかもしれない。

 けれど、俺からすると、こんな初々しい態度にはむしろ親近感を覚え、リラックスできる。

 璃奈にとって、俺が初めての相手。このデートが成功と呼べるものになるかどうかで、璃奈の今後の恋人代行生活が左右されるかもしれない。

 自信を持って、いつも前を向いてお仕事をできるようになるか。

 あるいは、自分には向いていないのだと思って、最悪の場合恋人代行をいっそ辞めてしまうのか。

 俺、重要な位置にいるんだろうな。だったら……璃奈がこれから自信を持ってお仕事ができるよう、応援したい。

 俺の彼女作りとは直接関係しない話かもしれないけれど、誰かを少しでも支えられたなら、それはとても嬉しいことだ。


「……あのさ、璃奈もまだ初めてのことで、たぶん即座にお仕事モードってわけにもいかないんだと思う」

「あ、ご、ごめん! 全然彼女っぽくできてないよね! い、今からちゃんと……」

「いいからいいから! 急に切り替えるって、そりゃ誰だって難しいよ。だから……今はまだ、少し素の状態でいい。お仕事前のプライベートと思って、気楽にしてよ」

「で、でも……」

「大事なお客さんの要望だよ? これくらいも聞いてくれないの?」

「あの……お客様の要望であれば、構わないと思う」

「じゃ、そういうことで。えっと、とりあえず手も離しておくかな」


 ずっと璃奈の手に力が入っているのは気づいていた。この状況では落ち着けないだろう……と思ったのだが。


「手、手は! そのままで……。燈護君はそう言ってくれるけど、あたしは、ちゃんと彼女をやらないといけないの……っ。せめて、手を繋ぐくらいは……」


 きゅっと、さらに手に力が籠もる。

 璃奈がそう言うのなら、俺から振り払うわけにもいかない。


「わかった。手はこのままで」

「うん。お願い」

「けど、もう少し力を抜きなよ。そんなに固く握らなくても、俺は逃げないから」

「あ、ご、ごめん! 痛かった!?」

「痛くない。平気」

「そう……。あ、で、でも、ちょっと待って!」


 力を緩めたと思ったら、璃奈が手を離し、ごしごしと手のひらを服で拭った。


「ごめん、手汗が、気持ち悪かったよね……」

「いや、全然気にしてなかったよ」


 いっそ気づいてもいなかったくらい。

 むしろ、その手汗は俺のでは? と思わないでもない。


「じゃ、じゃあ……改めて……」


 璃奈が再び俺の手を握る。きゅっと、少しだけ力を入れて。

 なんだか、寂しさを感じた幼い子供が、父親にしがみついているかのようだった。

 ……これはこれで、可愛い、な。

 澪はお姉さんタイプで、俺をしっかり導いてくれた。その頼りがいのある姿に見とれてしまったし、本当に素敵な人だと思った。

 しかし、璃奈の小動物的な感じとか、守って上げたくなっちゃう感じも、すごく可愛らしくて魅力的だ。

 璃奈は自分が未熟なのを憂うけれど、これはこれですごく需要がある気がする。


「璃奈って……その……あれだよね」

「あれって?」


 可愛いね、と言うのが少し気恥ずかしく、言葉を濁したら、璃奈が首を傾げてしまった。

 仕方ない。思い切って言ってしまえ。


「んーと……可愛い、ね」

「へ!? か、可愛い!? な、なんで!?」


 璃奈が顔を赤らめる。この反応も可愛い。


「説明が難しいけど、璃奈の頑張ってる姿、すごく可愛いと思う。今の時点で、もうかなり満足度高い」

「あ、あたし、まだ何もしてないよ!」

「そうなんだけど……普通の振る舞いに、どうしようもなく可愛さが滲み出ているというか……」

「あ、あたし、可愛くないよ!」

「そんなことないさ。すごく可愛い」

「そんなこと、ない……」

「あるある。可愛いよ」

「うー……あんまりそういうこと、言わないで……恥ずかしい……」

「そう言われると、もっと言いたくなるなぁ」

「燈護君、意地悪だ……」


 可愛いくらい言われ慣れているとも思うのだが、璃奈は顔を赤くして俯いてしまった。

 澪だったらさらっと受け流して、ありがとう、って笑顔で応えるんだろうな。って、あまり女性を比べるものじゃないよな。自重自重。澪は澪、璃奈は璃奈。


「っていうか、燈護君……。恋愛の勉強したいって言ってたけど、本当は結構女性慣れしてるでしょ」

「え? 全然そんなことないよ。小学生のときを除けば、初めて女性の手を握ったのは先週。今日と同じことしててさ。中高は男子校で、女子との触れ合いは皆無。慣れてるわけないよ」

「けど……今だって、すごく冷静だし」

「俺も男だから、可愛い女性には少しだけかっこいいところを見せたいだけ」


 かっこいいところも見せたくなってしまうし、璃奈があわあわしてるのを見ると、こっちは落ち着いてくるという面もあるんだよな。後半は言わない方がいいと思うので、黙っておくけれど。


「ま、また平気な顔で、可愛いって……っ」

「事実を言うことに何もためらう必要はないでしょ?」


 少し調子に乗って、きざったいことも言ってみる。若干顔が熱くなっているのだけれど、璃奈は気づいていないだろう。

 耳まで赤くしながら、下ばかり向いているのだから。


「……ばかっ」


 たぶん、璃奈が恋人代行じゃなかったら、その一言で惚れていたね。

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