第43話 喧嘩
席を立ち、シュンタの腕を掴む。
「あの、止めてください。彼女、嫌がってます」
「はぁ?」
先ほどまでの、少なくとも陽気ではあった雰囲気が一転。急に不機嫌そうに俺を睨んでくる。
わかっていたけれど、やっぱり危うい人だ。
喧嘩なんてしたことない。睨まれただけでも足が震える。けど、引くわけにはいかない。
「彼女が嫌がっているの、わかりませんか?」
鳴歌と呼ばないのは、少しでも相手の機嫌を損ねないようにするため。気安く名前を呼ぶんじゃねぇ、とか怒り出しそうだ。
「嫌がるわけないだろ! 鳴歌ちゃんは俺に撮影されるのが楽しいんだ! 邪魔をするな!」
シュンタが俺の手を強引に振り払う。思ったより力が強い。たぶん、多少は鍛えている。……俺も鍛えていれば良かった。
ただ、鳴歌から手が離れた。シュンタと向き合いつつ、鳴歌に離れるよう手で合図。鳴歌が、シュンタの手の届かないところへ避難。
「彼女はあなたに撮影されたいとは思っていません。むしろ怯えています。お引き取りください」
「そんなわけない! っていうかお前は誰だよ!? 鳴歌ちゃんは俺の彼女だぞ!?」
えっと……この人、本気で言っているわけじゃないよね? 恋人代行を好きになるだけじゃなく、本当の彼女だと勘違いするなんてありえない……はず。
「……それは、ないです」
「はぁ!? お前が俺と鳴歌ちゃんの何を知ってるんだよ!? 鳴歌ちゃんはな、俺にだけ特別な笑顔を見せてくれるんだ! 鳴歌ちゃんが俺のことを好きなのは明らかだろ! 俺も鳴歌ちゃんが好きだ! だから、俺たちは恋人同士なんだ!」
うわぁ、もう発言の全てがヤバい人だ。
今にも殴ってきそうなことより、歪んだ発想が怖い。
彼の生い立ちはわからない。たぶん、寂しい日々を過ごしてきたのだろう。
特に女性からは、全く相手にされることなく……。
こういう人とどう接すればいいのか、皆目見当がつかない。話せばわかる、が通じないのは察した。
「あの、落ち着いてください。俺もちょっと、事情も知らずに言い過ぎました」
「ふん! 部外者は引っ込んでろ!」
シュンタが鳴歌に近づこうとする。俺が間に入って止めた。
「待ってください」
「まだなんか用か!? 邪魔するな!」
「今日、彼女はあまり具合が良くないんです。もうこれ以上歩き回るのは難しいです。だから、撮影会は後日にしてください」
「具合が悪いなら座って撮影すればいい! そうすれば歩き回らなくて済む!」
いやいや、具合の悪い人に無理をさせるなよ。せめて、俺が嘘を吐いていると非難してくれ。
「……ダメです。彼女を大切に思うのなら、具合の悪いときにはゆっくり休ませてあげてください」
「多少の具合の悪さなんかに鳴歌ちゃんは負けない! 俺のために元気な笑顔を見せてくれる!」
「おいおい……」
体調不良を隠してステージに立つアイドルじゃないんだから……。
殴られる覚悟で、はっきり言おう。
「あなたに、彼女の彼氏を名乗る資格はありません」
「はぁ!? お前が勝手に決めんな!」
「では、本人から聞きますか?」
ちらりと背後を振り返る。鳴歌は、両手を組み、怯えながらも成り行きを見守っていた。
「鳴歌さん。彼は、あなたの恋人ですか?」
「違います!」
「ですよね。知ってました」
軽く微笑んで見せる。少しでも、鳴歌が安心してくれればいい。
「鳴歌ちゃん……」
シュンタが悲しそうに眉を寄せる。しかし、次の瞬間には。
「ああ、この男に言わされているんだね? 本当は俺のことが好きなのに、それを言えないでいるんだね!?」
怖い怖い怖い! この人本当に怖い!
人間って、ここまで歪むのか……。
「違います! わたしは、あなたのことなんて好きじゃありません!」
「もう大丈夫。俺が鳴歌ちゃんを解放してあげるよ!」
シュンタが俺の胸ぐらを掴んでくる。
「鳴歌ちゃんを解放しろ! さもなくば痛い目を見るぞ!」
「……構いません。どうぞ、お好きなようにしてください。ただし、ここは密室ではなく、目撃者が多数存在することは忘れないでください」
「ああ!?」
「あなたが俺を殴った場合、あなたは暴行罪か傷害罪に問われます。そのときには、大変面倒だとは思いますが、警察や弁護士を巻き込んで、あなたにきっちり罰が与えられるように努めます。
多少の罰金や慰謝料で済む可能性も高いでしょうが、前科がつくと今後の生活に支障が出るのは目に見えています。
周囲から白い目で見られるでしょう。仕事をクビになるかもしれません。再就職も困難になるかもしれません。
それでも宜しければ、どうぞ、殴るなり蹴るなり、お好きなようにしてください」
俺は暴力に暴力で対抗できない。
男らしくはないかもしれないが、頭で勝負するしかない。
過程はどうあれ、鳴歌を守れれば良いのだ。たくましくてかっこいい、なんて賞賛される必要はない。
「この……っ」
「言っておきますが、胸ぐらを掴んでいるこの状況だけで、既に暴行罪が成立する可能性もあります。嘘だと思うのでしたら、ご自分で調べて見てください。そして、暴行罪は、二年以下の懲役、もしくは三十万円以下の罰金などを科される可能性があります」
シュンタが迷いを見せる。どうせ話してもわからない、などと思ったことは撤回しよう。恋愛に関しては認知が歪んでいても、身の危険についてはちゃんと理解できた。
ちなみに、俺のこの知識は、お笑いのネタから来ている。壁ドンでも暴行罪成立、みたいな内容だ。
シュンタが手を離す。そして、周囲の状況を確認。
大多数が、シュンタを非難するように見ている。
「俺は……」
「もう、彼女に関わらないでください。あなたは彼女を愛していないどころか、大切にすら思っていません。大切に思う相手に対し、具合が悪くても俺のために頑張れ、なんて言うわけありません。
一方的すぎる片想いは……恋でも愛でもなく、ただの暴力です」
余計な一言だったな、と後悔することになるのだけれど。
シュンタが逆上し、結局俺を思い切り突き飛ばしてきた。
そのまま後ろに倒れて、テーブルや椅子を巻き込んで周囲を荒らしてしまう。腰を打ったのは痛かったし、右手首もちょっと捻ったかも。
痛みに呻いている間に、シュンタはその場から走り去っていった。
捕まえたら罪に問えるだろうけど、俺としてはどうでもいい。変に逆恨みされても面倒だ。……あるいは、警察に捕まえてもらって、きっちり罪を自覚させた方が良いのだろうか? うーん、わからん。
「燈護さん! 大丈夫ですか!?」
鳴歌が心配そうに俺の傍で膝をつく。
「ああ、大丈夫大丈夫。まぁ、ちょっと痛むところもあるけど、放っておけばすぐに治るよ」
「でも……」
鳴歌がおろおろと俺の状況を確認しようとする。
その手が俺の右手に触れた瞬間、ピリッと痛みが走る。骨は無事だけれど、捻挫になってしまったかも。
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、平気平気。本当に大したことないからさ」
軽い調子で立ち上がる。うん、多少痛むけれど、生活に支障はないだろう。
……右手は痛むかな。字を書くのには、支障が出るかも?
「病院に……」
「本当にそんな心配はいらないよ。頭を打ったわけでもない。ちょっと突き飛ばされただけだからさ。あ、それより……」
俺が倒れたせいで、周りの人に迷惑がかかってしまった。せっかくの食事が地面に散らばってしまっていることも。
「すみません、皆さん! ご迷惑をおかけしました! あの、食事とか、台無しにしちゃった分、弁償します!」
頭を下げていくと、弁償なんていいよ、君は悪くない、災難だったね、立派だったね、と声をかけてくれた。
結局、本当に弁償する必要もなくて、出費が増えずに済んだ。むしろ、労いとして、俺たちにハンバーガーを奢ってくれるおじさんもいた。あったけぇ……。
次第に周囲も落ち着き、俺たちは少々気まずさを感じながらも食事を済ませる。
鳴歌は色々と思うところがあったようだけれど、とりあえず食事が終わってから、と言っておいた。
一時はどうなるかと思ったが、どうにか無事にやり過ごせて良かった。
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