第38話 お誘い

 突然の微笑みに見とれていると、椿が素に戻って首を傾げる。


「どうされました?」

「あ、いえ、綺麗に笑う人だなって思って」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「まぁ、こんなことは言われ慣れてるとは思いますが」

「ええ、まぁ」

「……ですよねー」


 綺麗だねとか、可愛いねとか言うだけで照れてくれるヒロインっていないよね。うん、知ってた。


「犬丸さんは、丁寧で、礼儀正しく、気遣いのある方ですね。こんなこと、言われ慣れてるかと思いますが」

「そう、ですか? 別に言われ慣れてはいませんけど……」

「自覚はありませんか? まだ十八歳の大学一年生でしたよね? それなのに、わたしとの距離感をよく考え、丁寧に、礼儀正しく接しています。そして、わたしが積極的に話さなくても、犬丸さんがお話をしてくれます。

 わたしは、何気ないおしゃべりは得意ではありません。こんな仕事をしているので、苦手だから楽しくおしゃべりはできません、とは言えませんが、次々に楽しい話題を提供できるほどではありません。

 そんなわたしには、犬丸さんの接し方に好感が持てます。

 そして、本来はわたしがリードすべきなのに、犬丸さんに気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「あ、いえ、これくらいは、恋愛の勉強をする者として当然と言いますか……」

「恋愛をあえて勉強しようとする姿勢も、素晴らしいと思いますよ。

 高いお金を払い、こうして実際に異性と接し、恋愛や人間関係の機微を学ぼうとするのは、とても良い心がけです」

「あ、どうも……。ありがとうございます……」


 素っ気ない態度に見えて、椿はこちらのことをよく観察していたらしい。

 確かにおしゃべりが大得意な雰囲気はないけれど、きちんと会話は噛み合うし、評価も述べてくれる。

 当初は不安もあったが、椿は椿で、良い恋人代行なのかもしれない。


「とはいえ、恋人代行の利用は、ガールズバーで店員とおしゃべりするのと似た部分もあります。わたしは犬丸さんをお客様としておもてなしする立場ですので、恋人代行との接し方を、そのまま一般女性との接し方に当てはめて良いわけでもありません。それはお忘れなきよう」

「そうですね。気をつけます」


 ぼちぼち海浜公園の出入り口に到着。入場料は当然俺の支払い。

 敷地内に入ると、椿が言う。


「これはわたし個人の好みの問題ですが、自分から誘うより、相手から誘われる方が好きです」

「……えっと、そうでしたか」


 はて、急になんの話だろうか?

 困惑していると、椿はじっと俺を見つめてくる。その視線が下がり、俺の右手に向かった。

 つまり?


「……女性がいつも、希望を口にしてくれるわけではありません」

「えっと、はい」

「男性からすると、面倒だとは思います。その程度のこと、はっきり言えばいいじゃないかと思うこともあるでしょう」

「……はい」

「女性は、わがままで、面倒で、わけのわからない何かなのです」

「……はい」

「お誘い、待っていたんですけどね?」


 椿が左手を軽く俺に差し伸べる。

 お誘い。つまりは。


「えっと……手、握ってもいいですか?」

「ええ、どうぞ。お待ちしていました」


 その手を握る。少しひんやりしているのは、緊張のせいだろうか。そして、椿がゆるりと微笑んだ。

 たまに見せる笑顔が、本当に綺麗だ。


「繰り返しますが、女性は、わがままで、面倒で、わけのわからない何かなのです」

「……そうでしたか」

「恋愛なんてやってられないと、感じることもきっとあるでしょう。それでも……犬丸さんが女性に寄り添い続けることができたなら、一人では得られない素敵な何かを、得られることもあるでしょう」

「……はい」

「……偉そうなことを言ってしまって申し訳ありません。わたしだって、恋愛マスターなどではないのに」

「構いません。俺は、椿さんのことを知りたいです。そして、一般的な多数の女性に好かれる方法より、椿さんに好かれる方法を学びたいです」


 椿は何か探るように俺を見つめ、こくりと頷いた。


「わかりました。それなら、わたしにもできそうです。……そろそろ、行きましょうか」

「はい」


 並んで歩き出す。

 苗字呼びもそろそろ止めませんか? くらいは言ってもいいよなぁ、とか思いながら。

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