第37話 微笑み

 移動中、椿は常に目立っていた。

 バス、電車に乗り込んでくる人は皆、一度は椿に視線を留める。物珍しげにジロジロと見てくる者もいたが、椿は全く素知らぬ顔。注目されることには慣れているらしい。コスプレでもしていたら、これくらいは日常なのだろう。

 また、一時間ほどの移動中、椿のやや素っ気ない態度は変わらない。こちらから話しかければ応えてくれるが、俺が黙ったら椿もずっと黙ってしまいそう。

 今日のデート中に打ち解けられるのかなぁ……?

 不安が芽生えつつ、俺と椿は海浜公園の最寄り駅に到着。

 改札を抜けたら、公園の入り口までは徒歩五分。海が近いはずだけれど、周辺に見えるのは線路と道路と歩道のみ。

 俺はこの辺りに来るのは初めてのことで、歩きながら物珍しさにキョロキョロと周囲を見てしまう。一方、椿は至って冷静。


「椿さんは、海浜公園によく来るんですか?」

「ええ、そうですね。季節ごとに色々な花が咲く場所がありますので、それを背景に撮影をします。結構いらっしゃいますよ、コスプレで撮影されている方たち」

「なるほど。コスプレってなんとなく写真で見る程度でしたけど、する側も楽しそうですね」

「興味がおありでしたら、犬丸さんもやってみますか?」


 椿が、初めてくらいにうっすらと微笑む。本気で誘われているのだろうか? 単なる社交辞令?


「興味はありますけど……コスプレが似合う容姿じゃないような……」

「犬丸さん!」

「は、はい?」


 急に大きな声を出されてびっくり。椿は真剣な顔。


「コスプレは、容姿が優れている者だけに許された特殊な趣味ではありません! コスプレをしたいという思いがあれば、どんな方でも楽しむことができるのです!」

「あ……そう、なんですか?」

「そうです! 容姿が悪ければコスプレをしてはいけないなんて、あまりにも野蛮な発想です!」

「そ、そこまでは言ってませんけど……」


 何か、椿の繊細な部分を刺激してしまったらしい。

 きっと、椿にとってコスプレはとても大切なものなのだろうな。だからこそ、俺からすると些細なことでも過敏に反応してしまう。


「そ、そうでしたね……。失礼しました。コスプレのことになるとつい……」


 椿が気恥ずかしそうに視線を逸らす。頬も若干赤い。

 微笑んで見せたり、大きな声を出したり、頬を赤らめたり。

 ようやく、椿の人柄にちょっとだけ触れられた気がする。


「椿さん、本当にコスプレが好きなんですね

「……ええ、好き、ですよ。好きの一言では片づけられないくらいに、とても」

「そうでしたか。じゃあ……きっと、辛いこともたくさんあるでしょうね」

「……どうして、そう思うんですか?」

「好きなことって、好きになりすぎると辛い面もたくさん出てくるでしょう? 思い通りにいかないことがあるのはもちろん、好きなことやってるのに辛いと思っちゃうことが辛いとか、周りの人と溝ができるとか」


 椿が小首を傾げ、俺をじっと見つめてくる。


「犬丸さんも、何か特別に思っている趣味がおありですか?」

「ああ、俺、細々とですがお笑いやってるんです。友達二人と。俺は主に裏方で、脚本書くのがメインですけどね」

「へぇ……お笑い……。珍しいですね」

「でしょう? お笑いやってる人なんて周りに誰もいないから、なんでそんなことやってるの? って感じで見られることもよくあります」

「お笑いは、一般人がするイメージはありませんものね。コスプレは割と普及していますけれど」

「お笑いはちょっと敷居高いんですよね。誰かの真似をするだけじゃなく、自分で創作する面もあって。

 歌だったら、歌手と同じように歌えたら評価されます。素晴らしいって賞賛してもらえます。

 でも、お笑いは誰かのネタをそのまま使っても、全然評価されません。ただのパクリと罵られます。

 真似するだけじゃなく、自分たちなりにオリジナルを作り上げるって大変です。だから、なかなか大多数があえて取り組むものにはなりませんね」

「……そうですね。お笑いに比べると、コスプレは最初のハードルが低いです。お金さえ払えば衣装からウィッグまで、一式全部買ったり借りたりすることもできます。あとはそれを着て撮影するだけ。興味があれば、誰でも始められます」

「その気安さがお笑いにはないんですよねー。おかげで、高校時代には俺たちは珍獣扱いでした」


 それなりに笑いも取れていたから、見下されるような状況じゃなかったのは救いかな。


「その高いハードルを越えてもやりたくなるほど、お笑いがお好きだったんですね」

「いやぁ、実のところ、始めた頃はそこまでなかったんですよ。なんか面白いことやりてーって言ってる友達に誘われて、なんとなくやってみただけ」

「そうなんですか?」

「はい。ただ、そのいい加減さが良かったのかなと思います。特別に好きでもないから、ネタ作りが上手くいかなくても、反応があまり悪くても、まぁしょうがないかって気持ちを切り替えられました。

 失敗にめげず、色々と試行錯誤しながら挑戦していくうち、だんだん反応も良くなって、気づけば高校時代に一番熱心に取り組んだのは、お笑いでした。

 そして、実のところ、お笑いが好きっていう感覚は希薄です。生活の一部だからやってる……みたいなところはありますよ」

「なるほど……。好きだからというより、生活の一部になってしまう感覚、わかります。コスプレをしたい、コスプレをしよう、と考えるまでもなく、暇さえあれば、次は何を着ようかと考え続けてしまいます。

 ここまで行くと、ちょっと病的ですね。依存症にでもなった気分です」

「わかります。俺もたぶん、お笑い依存症です」

「ふふ。そうでしたか」


 椿が、花が開くように柔らかく微笑む。今度こそ、本当の笑みを見られた気がした。

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