第36話 椿鳴歌
七星との恋人代行ごっこの日から、二週間ほどが過ぎた。
あれ以来、夢衣と七星とはよく交流するようになっている。
夢衣はお仕事と関係なく普通に連絡してくるし、たまに俺の大学に乗り込んでくるし、友達として一緒に遊ぶようにもなった。恋人代行としてももう一度だけデートをして、恋愛の勉強もさせてもらった。
七星とは、大学でよく一緒にいるようになった。初期は主に七星から俺に絡みに来てくれていたのだが、次第に俺からも声をかけるようになった。そして、勉強を教え合ったり、一緒にご飯を食べたり、恋人代行ごっこをして遊んだり。
周りからは完璧にカップル扱いだが、俺と七星は一応否定している。カップルごっこ中、と説明するが、何それ? と疑問を持たれるばかり。ちゃんと説明するのも面倒くさいので、解釈はご自由に、としている。
二人との交流が増え、俺も少しずつ男の世界の住人からは抜け出せていると思う。たった二人でも、日常的に話せる女性がいれば世界の彩りは大きく変わり、輝いてすら見える。
世界にはやはり女性が必要だ。もっと多くの女性と親しくなりたい!
などという願望もありつつ、別に本気でウハウハハーレム生活を送りたいわけではない。特定の誰かと付き合い始めたのなら、その人を全力で大切にする所存。
本当だぞ?
「澪との再会は来週か……。初めてのデートからもう一ヶ月。多少は変わって見えるかな?」
今日は五月六日、金曜日。ちなみに時刻は午後十時半。澪とのデートは五月十四日の土曜日だ。
自宅のベッドに横たわりつつ、澪とのメールを軽く読み返す。
『もうすぐまた会えるね。すごく楽しみ!』
『次会ったら、最近仲良くしてるっていう二人のことも聞かせてね? 燈護の成長、感じられるかな?』
『早く会いたいなぁ。燈護とのデートは単純に楽しいから、今度も期待しちゃうなぁ』
『次はどんなデートになるかな? たくさん笑って、素敵な思い出作ろうね!』
営業メールだとはわかっている。五割くらいは脚色して『楽しみにしてる!』感を演出しているのだろう。
それでも良い。『どうせ営業のために取り繕ってるだけだろ、けっ』とかいじけるより、澪のおもてなしに乗っかる方が気分も良い。
澪にとって、俺はただのお客さん。越えてはいけない一線はある。
ただ、そういう関係だからこそ生まれる絆もきっとあるはずだ。
例えば教師と生徒だって、間接的にお金を介した関係。それでも、ビジネス上のドライな関係しか生まれない、なんとことはない。
他にもお金を介した人間関係なんて世の中にはいくらでもあって、それぞれの形で絆も生まれていくものだろう。
「プライベートでは、話せもしないし、会えもしないんだろうけどさ」
澪とは、恋人になれないまでも、一個人として友達になれたら良かったな、とは思ってしまう。人として非常に魅力的だった。
出会い方が違えば、友達になれただろうか?
いや、恋人代行として出会わなければ、俺は澪と打ち解けることさえできなかったかもしれない。
お客さんとして俺を精一杯もてなしてくれたからこそ、俺は澪のことを知り、信頼することができた。
「といっても、結局は結ばれることない関係、か」
恋人代行に、本気で恋してしまう男性は少なくないらしい。その気持ちはよくわかる。
澪を本当の彼女にできたらいいなぁ、とは思ってしまう。
あり得ないとわかっているから、期待もしないけれど。
「ま、結ばれない恋に嘆くより、もっと経験を積まなきゃな!」
明日は、夢衣とも七星とも違う女性とデートの予定。もちろん相手は恋人代行。七星と夢衣からは何故か不満そうにされたけれど、俺はもっと色々な女性と関わってみるべきだと思う。
そして、今回は少々今までと違う雰囲気の相手ではないかなとは思っている。どうだろう。会ってみないとわからない。
「……明日が楽しみ、だな」
決して結ばれることのない相手。それがわかっているからこそ、変な期待をせず、純粋に明日一日を楽しもうと思える。
もしかしたら、一生に一度しか会うことはないかもしれない。貴重な一日を、大切にしていこう。
そして、翌日土曜日、午前九時五十分。
以前よりはだいぶ落ち着いて、待ち合わせしている都心の駅に到着。
待ち合わせ場所はいつもと同じで、駅にある大型モニターの下。
先に到着したのは俺だけれど、待ち合わせの相手はすぐにやってきた。
「おお……目立つなぁ」
ピンクベージュのゆるふわドレスにカチューシャ。どちらもフリル、レース、リボンで彩られて、甘さが全面に押し出されている。右手には、白くて可愛らしいバッグ。
いわゆる、ロリータファッションというやつらしい。
また、ミディアムの髪も灰色に染めている他、同色のカラーコンタクトも装着しているし、目鼻立ちも整っているため、ファンタジー世界の住人が飛び出してきたような印象もある。
普段からこういう格好で出かけるわけではないが、俺が希望したら、特にオプション料もなく引き受けてくれた。私服と同じ感覚で着ているものだから構わない、らしい。なお、年齢は二十歳となっていた。
「初めまして。犬丸燈護です。椿鳴歌さん、ですよね?」
「初めまして、犬丸さん。椿鳴歌です。早速ですが、後悔していません? わたしの隣を歩くの、抵抗ありませんか?」
恋人代行としてはおそらく珍しく、お客さんである俺を前にしても笑顔を見せない。ただ、拒絶しているわけでもなさそうで、そういうキャラなのかなと思った。
「いえ、後悔なんてありません。むしろ、俺だけなんの変哲もない服装で申し訳ないです」
「構いませんよ。わたしはわたしの好きな格好をしますし、犬丸さんは犬丸さんでお好きな格好をされれば良いのです」
「そうですね。えっと、それじゃあ……」
「デート、開始ですね? 行く先は予定通り海浜公園で宜しいですか?」
「はい」
「ちなみに、恋愛のお勉強中だとか?」
「ええ、はい」
「わかりました。では参りましょう。こちらですね」
椿がバス停に向かって歩き始める。海浜公園へは、バスと電車を乗り継いで一時間ほどだ。
それはそうとして。
椿は俺のことを省みず、一人で歩いていこうとする。
ちょっと珍しいタイプ、なのかな? 少し余所余所しい雰囲気だし、苗字呼びだし、手も繋がないし。それとも、澪や璃奈が積極的に手を繋いでくれたのは、恋人代行として珍しい部類?
少々悩みつつ、椿についていく。
バス停に到着し、バスを待つ時間も、椿は静かに佇むばかり。話しかけてはこない。
俺とのデート、嫌だったのかな……?
これまた少々悩みつつ、恋人代行をやっている以上、こちらから話しかけるのもNGということはないだろうと、試してみる。
「えっと、椿さんって、趣味でコスプレされてるんですよね?」
こっちも敬語だなぁ……。距離感がわからん。
椿はすっとこちらを見る。笑顔はないが、拒絶の意志もなさそう。
「そうですよ。色んなキャラのコスプレをして、スタジオを借りて撮影したり、コスプレ友達とダンスしたりしています。あと、お友達と動画投稿、配信をすることもあります」
「へぇ、撮影の他に動画投稿もやってるんですね。どんな内容ですか?」
「主にコスプレの簡単な講座ですね。衣装やウィッグの作り方、コスプレイベントのマナー等々をお話しています」
「そっか。ちなみに、チャンネル名とか訊いても?」
「構いませんよ。……こちらをどうぞ。ただし、見るだけにしてくださいね。連絡を取るのはNGです」
椿がバッグから名刺を取り出す。椿のコスプレ写真と、SNSアカウントや動画のチャンネル情報が記載されていた。
「
「レイヤーとしてはその名前を使っています」
「なるほど……。っていうか、名刺とかも作成されてるんですね」
「ええ。作成されない方もいらっしゃいますが、あると便利な面もありますので。今のように、ですね」
「なるほど」
俺たちの笑いグループでは、名刺なんて用意したことはなかったな。特に必要ともしていなかった。
作ってみるか……と一瞬思ったが、美空の名刺のように可愛らしいものはできあがらない。別にいらねーや、と結論づけた。
「興味がありましたら、チャンネル登録宜しくお願いします」
椿が丁寧に頭を下げてくる。頭の下げ方が堂にいっている……などと思ってしまったのは、俺も自分たちのチャンネルで頭を下げることが多いからかな。
「はい。えっと、じゃあ今からでも……」
スマホを取り出すが、椿はそっと俺のスマホの画面を隠す。
「……登録は、わたしと別れてからにしてください。今見られるのは、少々恥ずかしいので」
「あ、はい……。わかりました……」
恥ずかしいのか……。一体どんな過激な配信を……? なんて思ったわけではないが、恥ずかしそうに視線を逸らす椿は可愛いと思った。
その後も会話が続く。大きな盛り上がりはないけれど、会話を拒絶する雰囲気はない。
今までとは勝手が違っているので戸惑う。ただ、リアルに女性とお近づきになろうとしたら、最初はこれくらいの態度をとってくることもあるんだろう。
ある意味、良い勉強になる恋人代行なのかもしれないな。
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