第35話 もう一つ

 息の詰まるデートになるかと心配したけれど、三人で過ごした時間はごく普通に楽しいものだった。

 七星は盛り上げ上手だったし、夢衣も変に遠慮することなく笑っていたので、友達三人で遊んだという感じ。

 なお、お仕事中でない夢衣は、先日よりも少しだけ振る舞いがだらっとしていたし、適当にスマホをいじっていることもあった。俺としては少し新鮮で、お仕事中は気を張っていたんだとわかった。

 夢衣の態度の違いは、俺としては好印象。素の表情を見せてくれたことに、むしろ喜びを感じていた。


 楽しい時間はすぐに過ぎて、一緒に夕食まで摂って午後八時にお開きとなった。

 二人を送るべきかとも思ったけれど、夢衣は一人で帰宅。二人のデートを台無しにしてごめん、と最後に頭を下げた。

 ちなみに、途中で夢衣個人の連絡先も教えてもらった。お仕事以外でも気軽に連絡してくれと言われた。でも、会社に知られるとまずいんじゃないかと思うので、気軽には連絡できないかな。

 七星は、俺が家まで送り届けることになった。

 七星は一人暮らししていて、セキュリティの比較的しっかりしていそうな、瀟洒しょうしゃな雰囲気のワンルームマンションに住んでいた。俺の家からもさほど遠くはなく、徒歩十五分圏内。


「うち、寄ってく?」


 エントランスまで送り届けた際、そんなことを尋ねられて、俺は固まってしまった。


「……いや、女性の一人暮らしの家に入るのは、ちょっと」

「じゃあ、泊まってく?」

「待て待て待て! なんでここでレベルが上がるんだ!? 泊まるわけないだろ!? 何考えてるんだよ!?」

「何って、エロいことだけど?」

「なんでエロいこと考えてんだよ!? 今日初めてまともに話すようになった程度の関係だろ!?」

「友達くらいにはなれたじゃん? 燈護がその気なら、泊まっていってもいいけど?」


 俺をからかっている様子はない。まるで、本気で俺を家に泊めようとしているかのよう。

 いやいや、そんなわけないだろ。俺にそうとわからないだけで、七星は俺をからかっているだけ。そうに決まっている。そうじゃなきゃおかしい。


「……俺は、帰るよ」

「本当に帰っちゃうの?」

「……お、おう」

「ふぅん……。ま、燈護が帰りたいなら、帰ればいいよ。でも、次はないかもしれないよ?」


 次はない。つまり、今回は、本気で誘ってる?

 なんで?

 どうして?

 どういうつもりで?

 疑問がぐるぐると頭の中を回っている。何が七星にこんな発言をさせているのか、さっぱりわからない。


「いあ、でも……うぅ……んと」


 俺がしどろもどろになっていると、七星がふっと息を吐いた。


「まだまだお勉強が足りないね、燈護。もーいーよ。またね、バイバイ」

「あ、うん」


 七星が手を振るので、俺も手を振り返す。正直、ほっとした。

 七星の家を訪問してみたい気持ちは山々だが、まだそういう段階じゃないと思ってしまう。


「あ、ただ、最後に一個いい?」

「ん?」


 七星が俺に接近。何かと思ったら……そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。

 ふぇ……? と惚けてしまう。

 七星の手が俺の背中に回り、さらにその胸部の膨らみが押しつけられる。や、やわ、らかい? 至近距離から、七星の良い匂いも漂ってくる。何これすっごい。


「燈護、今日はあたしの彼氏なんでしょ? ぼうっとしてないで、抱きしめ返してよ」

「あ、うん……」


 促されて、俺も七星の体を抱きしめる。

 初めて、手以外の女性の体に触れた。

 スポーツしていただけあって、華奢だけど体の芯に強さを感じる。

 手のひらから体温が伝わってくる。温かくて、気持ちいい。


「本物の恋人代行相手じゃできないでしょ。どう? 初ハグは」

「……気持ちいい、かな」

「それ、やっちゃったときの感想じゃない?」

「そ、そうなのかな」

「今から試してみる?」

「ええ!?」

「嫌ならいいけど」

「嫌とかじゃなくて……。冗談、だよね?」

「うん」

「だよねー」

「冗談じゃなくしても、いいよ」

「……ごめん、もう七星が何を考えているのか、俺にはさっぱりわからない」

「童貞め」

「悪かったな」

「恋愛に正しい始め方なんてないんだよ」

「そうだろうな……」

「まぁいいや。燈護にはまだ早いね。恋人代行でもなんでも使って、もっとお勉強しなさい」

「……了解」


 七星がそっと俺を押し返すので、俺も腕の力を緩めた。

 離れていくかと思ったら、七星は俺を見上げる。


「ハグともう一つ、キスも教えてあげようか? 恋人代行は教えてくれないでしょ?」


 真剣な眼差し。本気で言ってるっぽい? なんで? そういうの、好き合ってる者同士でするんじゃないの?

 俺が応えられずにいると、七星はくすりと笑う。


「じょーだん。からかってごめんね?」

「ああ……」


 七星が今度こそ離れていく。


「またご飯奢ってくれたら、恋人代行してあげる。明日はパスタでも食べたいなぁ」

「おい、明日も奢る予定になってない? 俺、明日はとびとびで夕方まで講義あるよ」

「じゃあ、晩ご飯だね!」

「いやいやいや」

「お昼に学食で奢ってくれてもいいけど?」

「いやいやいやいやいや、なんか変な話になってないか?」

「そうかなー?」


 くすくすと、何を考えているかわからない笑み。ただからかわれてるだけだよね?


「じゃ、そゆことで。バイバーイ」

「あ、おい」

「あ、そうだ。ねぇ、燈護」

「え、なに?」

「もう恋人代行じゃ嫌だ……って言ったらどうする?」

「……え?」

「ごめん、なんでもない。今度こそ本当にバイバイ」


 七星がオートロックを解除し、マンション内に入っていく。

 恋人代行じゃ嫌だ? それ、どういう意味? ストレートに受け取っていい話?


「……本当にわけわかんねぇ」


 七星と過ごすのは楽しかった。それは事実。

 しかし、終始何を考えているのかわからない部分があった。

 七星は、俺をなんだと思っているんだ? どういう関係を築きたいんだ?

 ただの友達? 恋人未満の程良い関係? 恋人以上?


「……帰ろう」


 恋愛と縁のない十八年。そこから始めた恋愛の勉強は、わからないことばかり。多少知識を増やしても、まだまだ足りないものが多すぎる。

 七星を抱きしめたときの感覚を思い出しつつ、俺はよたよたと帰り道を歩くのだった。

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