第35話 もう一つ
息の詰まるデートになるかと心配したけれど、三人で過ごした時間はごく普通に楽しいものだった。
七星は盛り上げ上手だったし、夢衣も変に遠慮することなく笑っていたので、友達三人で遊んだという感じ。
なお、お仕事中でない夢衣は、先日よりも少しだけ振る舞いがだらっとしていたし、適当にスマホをいじっていることもあった。俺としては少し新鮮で、お仕事中は気を張っていたんだとわかった。
夢衣の態度の違いは、俺としては好印象。素の表情を見せてくれたことに、むしろ喜びを感じていた。
楽しい時間はすぐに過ぎて、一緒に夕食まで摂って午後八時にお開きとなった。
二人を送るべきかとも思ったけれど、夢衣は一人で帰宅。二人のデートを台無しにしてごめん、と最後に頭を下げた。
ちなみに、途中で夢衣個人の連絡先も教えてもらった。お仕事以外でも気軽に連絡してくれと言われた。でも、会社に知られるとまずいんじゃないかと思うので、気軽には連絡できないかな。
七星は、俺が家まで送り届けることになった。
七星は一人暮らししていて、セキュリティの比較的しっかりしていそうな、
「うち、寄ってく?」
エントランスまで送り届けた際、そんなことを尋ねられて、俺は固まってしまった。
「……いや、女性の一人暮らしの家に入るのは、ちょっと」
「じゃあ、泊まってく?」
「待て待て待て! なんでここでレベルが上がるんだ!? 泊まるわけないだろ!? 何考えてるんだよ!?」
「何って、エロいことだけど?」
「なんでエロいこと考えてんだよ!? 今日初めてまともに話すようになった程度の関係だろ!?」
「友達くらいにはなれたじゃん? 燈護がその気なら、泊まっていってもいいけど?」
俺をからかっている様子はない。まるで、本気で俺を家に泊めようとしているかのよう。
いやいや、そんなわけないだろ。俺にそうとわからないだけで、七星は俺をからかっているだけ。そうに決まっている。そうじゃなきゃおかしい。
「……俺は、帰るよ」
「本当に帰っちゃうの?」
「……お、おう」
「ふぅん……。ま、燈護が帰りたいなら、帰ればいいよ。でも、次はないかもしれないよ?」
次はない。つまり、今回は、本気で誘ってる?
なんで?
どうして?
どういうつもりで?
疑問がぐるぐると頭の中を回っている。何が七星にこんな発言をさせているのか、さっぱりわからない。
「いあ、でも……うぅ……んと」
俺がしどろもどろになっていると、七星がふっと息を吐いた。
「まだまだお勉強が足りないね、燈護。もーいーよ。またね、バイバイ」
「あ、うん」
七星が手を振るので、俺も手を振り返す。正直、ほっとした。
七星の家を訪問してみたい気持ちは山々だが、まだそういう段階じゃないと思ってしまう。
「あ、ただ、最後に一個いい?」
「ん?」
七星が俺に接近。何かと思ったら……そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。
ふぇ……? と惚けてしまう。
七星の手が俺の背中に回り、さらにその胸部の膨らみが押しつけられる。や、やわ、らかい? 至近距離から、七星の良い匂いも漂ってくる。何これすっごい。
「燈護、今日はあたしの彼氏なんでしょ? ぼうっとしてないで、抱きしめ返してよ」
「あ、うん……」
促されて、俺も七星の体を抱きしめる。
初めて、手以外の女性の体に触れた。
スポーツしていただけあって、華奢だけど体の芯に強さを感じる。
手のひらから体温が伝わってくる。温かくて、気持ちいい。
「本物の恋人代行相手じゃできないでしょ。どう? 初ハグは」
「……気持ちいい、かな」
「それ、やっちゃったときの感想じゃない?」
「そ、そうなのかな」
「今から試してみる?」
「ええ!?」
「嫌ならいいけど」
「嫌とかじゃなくて……。冗談、だよね?」
「うん」
「だよねー」
「冗談じゃなくしても、いいよ」
「……ごめん、もう七星が何を考えているのか、俺にはさっぱりわからない」
「童貞め」
「悪かったな」
「恋愛に正しい始め方なんてないんだよ」
「そうだろうな……」
「まぁいいや。燈護にはまだ早いね。恋人代行でもなんでも使って、もっとお勉強しなさい」
「……了解」
七星がそっと俺を押し返すので、俺も腕の力を緩めた。
離れていくかと思ったら、七星は俺を見上げる。
「ハグともう一つ、キスも教えてあげようか? 恋人代行は教えてくれないでしょ?」
真剣な眼差し。本気で言ってるっぽい? なんで? そういうの、好き合ってる者同士でするんじゃないの?
俺が応えられずにいると、七星はくすりと笑う。
「じょーだん。からかってごめんね?」
「ああ……」
七星が今度こそ離れていく。
「またご飯奢ってくれたら、恋人代行してあげる。明日はパスタでも食べたいなぁ」
「おい、明日も奢る予定になってない? 俺、明日はとびとびで夕方まで講義あるよ」
「じゃあ、晩ご飯だね!」
「いやいやいや」
「お昼に学食で奢ってくれてもいいけど?」
「いやいやいやいやいや、なんか変な話になってないか?」
「そうかなー?」
くすくすと、何を考えているかわからない笑み。ただからかわれてるだけだよね?
「じゃ、そゆことで。バイバーイ」
「あ、おい」
「あ、そうだ。ねぇ、燈護」
「え、なに?」
「もう恋人代行じゃ嫌だ……って言ったらどうする?」
「……え?」
「ごめん、なんでもない。今度こそ本当にバイバイ」
七星がオートロックを解除し、マンション内に入っていく。
恋人代行じゃ嫌だ? それ、どういう意味? ストレートに受け取っていい話?
「……本当にわけわかんねぇ」
七星と過ごすのは楽しかった。それは事実。
しかし、終始何を考えているのかわからない部分があった。
七星は、俺をなんだと思っているんだ? どういう関係を築きたいんだ?
ただの友達? 恋人未満の程良い関係? 恋人以上?
「……帰ろう」
恋愛と縁のない十八年。そこから始めた恋愛の勉強は、わからないことばかり。多少知識を増やしても、まだまだ足りないものが多すぎる。
七星を抱きしめたときの感覚を思い出しつつ、俺はよたよたと帰り道を歩くのだった。
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