第34話 side 音海七星

side 音海七星


「時雨さんって、燈護が好きなんでしょ?」


 訊くまでもないと思いつつ、あえて尋ねてみる。

 すると、時雨は間髪入れずに答える。


「うん。好きだよ」


 迷いはない。そして、バッターボックスに立つ燈護を見る眼差しは、恋する乙女そのものだ。

 見つめているだけで胸一杯。ほんの少しでも会話ができたら、その日は最高に幸せ。そんな感じ。

 同い年らしいけれど、恋愛に関して言えば、だいぶ経験の差があると思う。出会って間もない相手にあんな情熱的な視線を送ることは、あたしにはできない。


「デートしたの、一回だけでしょ? そんなに良かった?」

「……うん。って言っても、あたしがちょろいだけかもしれないけど」

「彼氏、いたことない?」

「ない」

「でしょーね」

「音海さんは?」

「一人いたよ。一つ上の先輩で、一年くらいは付き合ってた。で、向こうが浮気したから別れた」

「浮気……」

「ま、距離が離れたら、気持ちも離れるもんだよね。先に大学に入った先輩は、同学年の女と仲良くなって、そのまま付き合い始めちゃった。せめてあたしと別れてから付き合えばいいのに、二股してる期間があったのはむかついたな」

「そっか……」

「もう半年以上前の話。でも、あれから、決めたことがある。自分の好みのタイプとは、付き合わないって」

「へ? どういうこと?」


 心底意味がわからない、という風に時雨が首を捻る。


「あたし、たぶん男の趣味が悪いんだよね。だから、好みの相手は選んじゃダメなんだ。その二股先輩もさ、色々と他の人の話も聞いてみると、元々女癖は悪かったみたい。高校生のときにあたしと付き合ってる間にも、他の子と浮気してたんじゃないかな」

「うわぁ……酷い……」

「本当、最悪。そんな男に入れ込んで、バカみたいに尽くしてたあたしも、本当に最悪」

「そう……」

「わかりやすくかっこ良くて、頼りがいがあって、たまに優しいけど普段は少し素っ気ない……。そんな男は、もう選ばないって決めた」

「それで、今は燈護君に興味があるの?」

「そーだね。あたしの好みとは全然違うから、割と冷静に燈護の善し悪しを判断できる。それに、あたしもトチ狂って盲目的に尽くすことはしないかな。もし付き合うとしたら、良い距離感を保てると思う」

「……そういう恋でいいの? なんだか、少し寂しいような……」

「熱烈な恋もいいけど、あたしは幸せになりたいの。大好きな人に裏切られて泣くのはもう嫌」

「そっか……」


 今なら笑い話にもできるけれど、当時はとても辛かった。一週間くらい学校にも行けなくて、毎日泣いていた。

 このまま死んでしまいたいとさえ、考えていた。

 あんな恋の終わりは、二度と経験したくない。


「言っておくけど、これでもちゃんと燈護のことは気に入ってるの。人として好感が持てて、一緒にいると楽しいし落ち着く。察しが悪すぎるとか問題もあるけど、それは今後変わっていくでしょ。この人と恋人として付き合ってみたいな、くらいには思ってる」

「……告白、するの?」

「まだしない。燈護がどう変化していくかも、自分の気持ちの変化も、もう少し様子を見たい。幸せになりたければ、そういうのって大事じゃないかと思ってる」

「そう……。けど、ホ、ホテルまで行ったとか……? それで燈護君がその気になっちゃってたら、どうするつもりだったの?」

「さぁ? やっちゃって、そのまま付き合うってのもありだったかもね」

「や、やっちゃって!? そんな気軽さでいいの!?」

「いいんだよ。気に入ったからとりあえず付き合ってみるってスタンスも、あたしは全然ありだと思う。恋心なんて後からついてくるよ」

「そ、そう、なのかな……?」


 これも、時雨には早すぎる話だったかな。

 けど。


「恋愛の形は多様でいいんだよ。例えば、告白してから恋人として付き合い始めるって、別に世界共通じゃないらしいよ? なんとなく一緒にいる時間が長くなって、流れで恋人として付き合い始めるってのもよくあるみたい。恋人宣言する前にやっちゃうのも珍しくない。

 あたしはそういうのでもいいと思ってるんだ。恋愛に正しい始め方もないしね」

「そう、かもね……?」


 時雨の頭上に『?』が浮かんでいるかのよう。恋愛観が中学生くらいで止まってそうだし、理解しがたい考えかもしれない。

 きっと、燈護も同じだろうな……。


「時雨さんは、いつ告白するの?」

「わからない。……次会ったら告白しようって思ってたけど、このまま突っ走っても、燈護君に迷惑な気がする……。今日も、燈護君と音海さんのデートの邪魔なんてしちゃって。

 もし付き合えたとしても、あたしが暴走して、燈護君に窮屈な思いをさせたり、傷つけてしまったりする気がする。音海さんの振る舞いを見てたら、自分が本当に幼稚だって思っちゃう。こんなんじゃ、ダメ……。

 あ、そういえば、その、本当にごめんなさい。あたしが……どうしても、燈護君が音海さんと二人きりでいることに耐えられなくて……それで……」

「……仕方ないよ。好きなんだもん。他人の迷惑なんて省みず、欲しいものを手に入れるために一直線……。それも、恋愛の一面だよ。燈護も、誰かと本気で付き合うつもりなら、恋愛のややこしさも学ばなきゃね」


 恋愛は綺麗で美しいものじゃない。

 時に人を醜く狂わせる、魔性の何か。


「音海さん、大人だね……」

「まだまだ子供だよ。恋も愛も、あたしにはよくわからない。今は燈護と付き合ってみたいなぁと思ってるけど、実際付き合ってみたら、思ってたのと違うって失望するかもしれない。

 あたしも手探りで、自分の幸せを探している最中。自分に一番相応しい相手なんてわからない。時雨さんとそう変わらないよ」

「……やっぱり、大人だなぁ」


 時雨が溜息。この子は、これからどう変化していくだろうか? 燈護への強い気持ちは、これからもずっと続くだろうか?

 その行く末を見届けたくなる。

 燈護と恋人にならず、この二人の恋を応援するだけのポジションにいても面白そう。

 でも、あたしもやっぱり幸せになりたい。

 気に入った相手とは、深い関係を築いていきたい。他の誰かが、幸せになれなかったとしても。

 こんな不安定にゆらゆら揺れているのでは、大人とは呼べないよね。


「時雨さん。あたしはこれから、少しずつ燈護を好きになると思う。誰にも渡したくないって、思っちゃうときがくる。

 時雨さんはどうする? さっさと告白する? 今ならまだ止めないし妨害もしないけど?」

「……わからない。どうしたらいいのか……。告白してもいいのかな?」

「告白するのは自由。でも、恋人としては上手くいかないかもね。時雨さんの気持ちの強さに、燈護の気持ちは全然追いついてない。

 一方的に強い愛情をぶつけても、相手は困ってしまう。重い女って思われて、避けられてしまうかもしれない。……ま、こんなのはあたしの経験でしかないから、時雨さんなら上手くやるのかもね」

「うーん……一方的じゃ、ダメだよね……」


 時雨がしゅんとしてうなだれる。

 告白は、保留にしそうだな。

 あたしとしては都合がいい。あたしは、もっと燈護のことを知る時間が欲しい。

 今は停戦、かな。でも、いずれはまたぶつかることもあるだろうね。

 そして、今のところもう一人。

 燈護が最初にデートしたという女性は、どう出てくるだろう?

 参戦してくる? それとも、興味ない?

 なんだか面白くなりそう、なんて思っていたら、燈護が戻ってきた。


「百キロくらいだったら案外当たるもんだな。って、俺、もう少し席を外そうか?」


 燈護が、黙り込むあたしたちを見て気まずそうにする。

 そんな燈護と手を繋ぎ、ぐぃっと引き寄せる。


「もういーよ。話は終わった。ちなみに、三人で遊ぶのは認めたけど、今日の彼女はあたしだからね? ちゃんとあたしを彼女としてもてなすこと! 時雨さんと手を繋ぐとかはダメだから!」

「ああ……わかった」


 燈護の手を強く握る。

 さほど鍛えてもいないだろうに、男の子の手は分厚くて力強い。

 男の子は、やっぱり男の子だよね。

 この手はきっと、あたしを優しく労ってくれるだろう。

 間違っても、あたしを傷つけることはないだろう。

 まだ燈護のことを明確に好きなわけではないはずなのに、ずっと手を繋いでいたい気持ちも芽生えている。

 人恋しいだけ? そうかもね。どっちだろ? どっちでもいいか。


「三人でカラオケ大会しよっか! 採点でどうせビリになる予定の燈護は、あたしたち二人に後でスイーツを奢ることー」

「なんだその偏見。俺だって……うーん、歌に自信はないけど」

「つか、負けろし。空気読めし」

「ああ……そうね。うん。わかった」


 あたしと燈護がベタベタしているのを、時雨がぐっとこらえる顔で見つめている。こんな視線を浴びて、どうして燈護は時雨の気持ちに気づかないのか。

 まぁ、いっか。今はデートの続きを楽しもう。

 こんな変則デートも、恋人ごっこのときにしかできない。

 今しかできない楽しみ方があるなら、時雨と合流したのも、そう悪いことばかりじゃないよね?

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