第39話 名前
「椿さん。鳴歌さんって呼んでもいいですか?」
俺たちが向かっているのは、海浜公園内のフラワーミュージアム。今はバラが見頃であるらしい。その途中、椿に尋ねてみた。
「構いませんよ。では、わたしも燈護さんとお呼びしますね」
「あ、はい。お願いします」
あっさり承諾された。特に深い意味があって苗字呼びしていたわけではないらしい。
これも、こっちから言ってほしかったことなのかな。
「燈護さん」
「はい」
「なんでもありません。呼んでみたかっただけです」
ふふ、と小さく微笑む。うわぁ、なんかすっごい胸に刺さる微笑み。
名前を呼んでみたかっただけ、なんてとこも、男心をくすぐるなぁ。
見方によっては素っ気ない椿が、恋人代行としてやっていける理由を垣間見た気がする。
「……鳴歌さん」
「なんでしょう?」
「……呼んでみたかっただけです」
「お返しですか? 可愛らしいですね」
「いやぁ、やられたらやりかえす、的な」
「それなら二回繰り返してはいかがです?」
「……鳴歌さん」
「なんでしょう?」
「……呼んでみたかっただけです」
「素直ですこと」
ふふ、とまた控えめに微笑む。かわええ。
「燈護さん」
「あ、はい。なんでしょう?」
「
「……ありがとうございます」
「わたし、人の名前、好きなんですよね。誰もが持つものでありながら、特別で尊いものです。
大多数の人が、生まれてから死ぬまで、その名前で過ごすことになります。燈護さんご両親は、考え抜いて、ありったけの願いを込めて、その名前をつけたのでしょう。
ある意味、名付けは願いの押しつけかもしれません。窮屈に感じることも多々あることでしょう。呪いのように人を
負の一面がありつつも、やはり、その思いの丈を考えると、とても尊いものだと思います」
「確かに、そうですね」
「燈護さんは、ご自身のお名前、お好きですか?」
「ええ……あまり意識してませんけど、好きですよ」
「それは良かったです。たまに、ご自身のお名前を嫌悪されている方もいらっしゃいますので」
この話をされて、ふと気づく。
「……ああ、なるほど」
「なるほど、とは?」
「あ、その……苗字呼びしていたのは、自分の名前が嫌いな人もいるからなのかなって」
「それも大きな理由の一つです。……彼女らしくないことを言ってしまいますが、以前、気軽に名前を呼び合ってデートをした最後、本当は名前を呼ばれるのが嫌だった、とおっしゃった方がいました。それ以来、どちらで呼ぶかは様子を見ることにしています」
「そうでしたか……。世の中、色んな人がいるんですよね」
「そうですね。女性の中にも、名前で呼ばれるのが嫌という方がいます。そういうときには、特別なあだ名でも付けて差し上げると良いかと思いますね」
「わかりました。ちなみに、鳴歌さんは、ご自身のお名前、お好きですか?」
「本名は別ですが、鳴歌も本名も、好きですよ」
「それは良かった」
「お互い、両親と運に恵まれましたね」
「運にも、ですか?」
「はい。例えば、圧倒的に知能派なのに、強くたくましくという願いを込められ、剛健の剛で
「確かに」
ふむ。名前呼びをしないことに意味があるのなら、敬語が抜けないのも意味があるのかな?
「ちなみに、その丁寧なしゃべり方にも何か意味があるんです?」
「ええ。ありますよ。……敬語キャラって可愛い、という理由ですけど」
「あ、そうでしたか」
おかしくて笑ってしまう。
「む、なんですか? 可愛いじゃないですか、敬語キャラ。萌えません?」
「可愛いと思います。すごく」
「でしょう?」
おちゃめな一面もあるのね。
素っ気ない態度って思ってたけど、これはクーデレキャラに近いのだろうな。
これはこれで、すごくいい。
そんな話をするうち、俺たちはフラワーミュージアムに到着。色とりどりの花が咲き乱れているが、主にバラがメインとなっている様子。
たくさんの人が訪れていて、その中には……。
「あ、本当にコスプレしてる人がいますね」
入り口付近にある煉瓦の塀をバックに、写真を撮っているレイヤーさんたち。六人いて、女子四人に男子二人。……もしかして、コスプレやるとハーレムが作れるのか?
なんて、不埒な考えはすぐに捨てて。
「うーん、
「ええ、本当に。燈護さんもコスプレ始めてみますか? 特別に無料で色々と教えて差し上げますよ?」
「うーん……なんでも挑戦してみる価値はありますよね」
「すぐには踏ん切りがつきませんか? まぁ、無理にとは言いません。ただ、ご存じでしょうが、趣味は人の縁も繋いでくれます。興味がありましたら是非」
「そうですね」
どちらかと言うと、俺が着るより誰かに着せたいかな。夢衣や七星に頼んだら着てくれるだろうか? ……着てくれそうだな。変な妄想が広がってしまうぜ。
「あの! もしかして、美空さんですか!?」
妄想にふけっていたら、コスプレ集団の女性二人が、こちらに駆け寄ってきた。
二人とも魔法使いのような格好。たぶん大学生、かな?
向こうは鳴歌を知っているようだが、鳴歌は相手を知らない様子。
「あ、はい。そうですよ?」
「動画観てます!」
「写真も見てます!」
「それはそれは、いつもありがとうござます」
鳴歌が丁寧に頭を下げる。
「美空さんの動画観てコスプレ始めました!」
「実際に衣装とかウィッグ作ってる姿見られて、すごく参考になってます!」
「って言っても、自分でやったら大惨事になることもたくさんあるんですけど!」
「自分で作成できるって本当にすごいですよね! 尊敬します!」
二人の勢いに圧倒されてしまう。それは鳴歌も同じらしく、おろおろと頭を下げるばかり。
「あ、っていうか、今彼氏とデート中ですか!?」
「すみません、お邪魔してしまって!」
「あ、これは……えっと……」
状況からすると、俺は彼氏に見える、よな。手を繋いでいるし。
彼氏として振る舞うべき?
鳴歌と顔を見合わせる。
困り顔の鳴歌を見るに、恋人代行をやっていることは、あまりおおっぴらにしない方が良いのかな? 否定したかったら、即座に否定するだろうし。
「えっと、美空さんの彼氏です。いつも美空さんを見てくれてありがとございます。お邪魔だなんて思ってないので、気にしないでください」
俺も軽く頭を下げておく。へぇーへぇー、と興味深そうに見られ、有名人の彼氏にでもなった気分。
「美空さん、人を見る目がありますね」
「ほんとほんと。ただの陽気なイケメンとかじゃなくて、誠実で優しそうな人を選ぶのがいいですよね」
お? 俺、意外と好印象? ……いや、単なるお世辞の可能性もあるか。話半分に聞いておこう。とりあえず、気さくな感じで返す。
「ありがとうございます。けど、美空さんが可愛すぎるので、自分なんかでいいのかって、いつも恐縮してますよ」
「自分なんかってことないですよ! 美空さんには、あなたみたいな人が良いと思います!」
「美空さん、クールですけど寂しがり屋な面もありそうなので、しっかり支えられる方いいと思います!」
クールに見えて、寂しがり屋、か。そうなの?
隣を見ると、鳴歌は頬を染めて視線を逸らしている。
「あまりからかわないであげて。恥ずかしがり屋でもあるんです」
「ですよね! すみません!」
「いや、でも、本当に可愛いですよね! 女の私でもドキッとしちゃいます!」
はしゃぐ二人に、鳴歌が言う。
「あの……そろそろわたしたちは……」
「あ、ですよね!」
「あーでもその前に! 五分でいいので、写真撮らせていただけませんか!? 一緒に!」
「ええ? でも、わたしはコスしてなくて……」
「その格好もめっちゃ可愛いので問題ありません!」
「むしろ私服の美空さんに萌えます!」
鳴歌がこちらを見る。拒絶したい雰囲気はないかな。
「美空さんの好きにしていいですよ。俺、待ってますから」
「……わかりました。五分だけ」
「ありがとうございます!」
「彼氏さんイケメン!」
調子のいい二人だなぁ。
二人に促されて、鳴歌はコスプレ集団に合流。他のメンツも鳴歌のことを知っているみたいで、芸能人に偶然会ったみたいな勢いではしゃいでいる。サインをねだる人もいた。鳴歌はサインをした名刺を配って、受け取ったメンツは大はしゃぎ。
鳴歌、その道では結構有名人だったのか?
俺、もしかして結構すごい人とデートしてる?
ともあれ、コスプレ同士たちと共にいる鳴歌は、俺といるよりもはしゃいでいるように見えた。
ちょっと悔しいなぁ、とは、やっぱり思ってしまった。
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