第64話 ラップ

「大事なことなのでお尋ねしますが、七星や夢衣とはどこまで行きましたか?」


 食事の後、俺が食器を片づけたところで、流美が神妙な顔で尋ねてきた。

 座卓を挟んで向かい合い、俺は居住まいを正す。


「ええっと……大したことはしてないんだけど……」


 七星とは唇を掠める程度のキスをした。

 夢衣とは間接キスのようなものをした。

 ということを聞きたいんだろうな。


「大したことではなくても、この場で言いよどむ程度のことはしているんですよね? 教えてください」

「うん……。隠すことでもないもんね」


 七星と夢衣との間で起きたキスと間接キスについて説明。

 流美はそれをふむふむと頷いた後。


「では、わたしともキスまではしても良いということですね?」

「待って。今、何を聞いていたの? 俺、七星からはキスされちゃったけど、夢衣とはしてないからね? 夢衣のは、間接キスとも言えないような何かだったからね? 俺、誰かとちゃんと付き合うまでは、そういうことしないって決めたんだよ?」

「わかりました。じゃあ、ラップ越しのキスならセーフですね?」

「それもアウトだと思うよ!?」

「お互いに触れているのはラップにすぎないので、これはキスとは呼べないと思います」

「そこまでしてキスまがいのことをしたいの!?」

「……したいですよ。いけませんか?」


 拗ねたように唇を微かに尖らせる流美。そんなこと言われると、心臓の高鳴りを抑えられない。


「……けど、俺はキスなんて初めてなわけで、そういう変則的な形で初めてを終えたくないという気持ちもあって……」

「確かに、それはちょっと可哀想ですね。ラップ越しのキスは諦めます」

「それは良かった……」

「代わりに……燈護さんの耳を舐めますね」

「……はい?」


 急に話が飛んだように感じて、首を傾げる俺。

 一方、流美は自分で言っておきながら顔を赤らめている。


「な、なんですか! なに言ってんのこの人? みたいな顔しないでください!」

「あ、いや……急だったもので。まぁ、流美はそういうのに慣れてるのかもしれないけど……」

「慣れてません。言っておきますけど、わたし、キスまでしかしたことありませんからね!」

「あ……そう、なんだ?」


 キスまでということは、流美は未経験というわけか。

 へ、へぇ……。意外だなぁ……。


「当然、他人の耳を舐めたことも、舐められたこともありません。……今のは、まぁ、その場の勢いでの発言ではあります」

「そ、そっか。そんな、したくもないことを勢いで言わなくていいのに」

「……したくないわけじゃ、ないですよ。燈護さん相手なら、してみてもいいかな、くらいには思っています」

「……そうなんだ」

「そうなんです。どうですか? 舐めましょうか? 本当は舐めてみてほしいんじゃないですか!?」

「やけくそ気味に体を乗り出さないで! 俺はむしろ舐められるより舐めたい派!」

「い、いいですよ!? わたしのを舐めてくださっても結構です! さぁ、どうぞ!」


 流美が髪をかきあげて右耳を露出する。可愛らしい耳に、何故か妙な興奮を覚えた。


「そういうことをする関係じゃないから! 今は舐めたりしないよ!」

「……むぅ。女の覚悟をことごとく無碍にする人ですね」

「変な覚悟しなくていいから。今日は穏やかに過ごそうよ」

「ふん。まぁいいです。キスも耳舐めも一旦置いといて……お風呂、お借りしてもいいですか?」

「……ふと、あえて風呂は貸さん! とか言いたくなった」

「い、いいですよ!? ちょっぴり汗臭い女性がお好みでしたら、覚悟を決めてこのまま燈護さんに全身を嗅がせてさしあげましょうか!?」

「ご、ごめん、今のなし! なんでもないから! お風呂どうぞ!」

「……始めからそう言ってください。正直、わたしも汗の匂いとかを嗅がれるのは恥ずかしいので」

「すみません。あ、お風呂、シャワーだけ? お湯沸かす?」

「シャワーだけで構いません。長々と浸かって、燈護さんと過ごす時間を減らしたくありませんし」

「……そう」


 流美が立ち上がり、諸々の荷物を持って浴室へ。大きめのショルダーバッグだとは思っていたが、着替えなどを持ってきていたらしい。

 流美がいなくなり、ふぅ、と軽く一息。


「……皆、積極的過ぎるんだよなぁ。男からすると夢みたいな状況だろうけど、我慢しないといけないと思うと、素直に喜べないよ……」


 三十分ほどで流美が戻ってくる。まだ髪が湿っているし、頬も上気していて、いつもより艶っぽい。それでいてどこか柔らかな印象に感じるのは、化粧を落としているからか。

 また、荷物を減らすためなのだろう、パジャマとして来ているのはラフなTシャツとショートパンツのみ。特に綺麗な脚が露わになっているのが扇状的だ。

 俺が目のやり場に困っていると、流美がやや視線を逸らしながら、ぼそり。


「……化粧をしてないとこいついまいちだな、とでも思ってるんですか?」

「なんでそうなるの!? むしろ魅力的だと思ってるけど!?」

「そうですか。なら良かったです」


 微笑む流美にドライヤーを渡す。流美が髪を乾かしている間に、俺もシャワーを浴びた。

 そして、生活スペースに戻ってくると。

 何故か、流美は空色の水着姿になっていた。ベッドに腰掛け、恥ずかしげにこちらを見つめている。


「……はい?」


 パレオも身につけているので下半身の露出はやや減っているが、上半身で隠れているのは胸部のみ。思ったより大きい……。


「……なんですか、その反応は。燈護さんの希望を叶えただけですよ」

「お、俺の希望って……?」

「前回のデートで言っていたではありませんか。『透けない水着』を着てほしい、と」

「あ、あー……確かに、言ったなぁ」


 水族館を巡っているとき、そんな話をしていたっけ。


「もっと喜んでくれてもいいんじゃないですか? 自分でやっておいてなんですが、結構恥ずかしいんですよ?」

「その……すごく嬉しいんだけど、戸惑いの方が大きかった……」

「撮影、しますか?」

「え?」

「背景が室内ではあまり見栄えもしませんが、好きなように撮っていいですよ? ポーズの指定があれば従いましょう」

「え、えっとー……」

「気乗りしませんか? ……俺は裸じゃないとテンション上がらねぇんだ、みたいな顔しないでくれません?」

「そんな顔してないから! もちろん裸だって撮りたいけどね!?」

「……脱ぎましょうか? ヌード撮影でも、燈護さんだけ、特別に許しますよ?」


 流美は冗談で言っているようには思えない。目は真剣で、頬は桜色に染まっている。


「ダ、ダメだって! そういう過激なのはやらないんだって!」

「……そうですか。まぁ、断られると思って言ったんですけどね。正直、ちょっとほっとしてしまいました」

「無理しなくていいから……」

「無理をしたくなるときだってあるんですよ。それでは、水着撮影会、しますか?」

「……宜しくお願いします」


 刺激は強すぎるが、こんなチャンスを逃す手はない。俺も健全な男子である。

 俺が頭を下げると、流美はクスクスと笑った。

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