第53話 大人しく
午後九時半過ぎ。
順番に風呂に入ったのは良かったのだけれど、七星は着替えを持ってきていなかった。仕方なく俺のTシャツとハーフパンツを貸したところ。
「今、下着つけてないよ? どきどきする?」
風呂上がりにわざわざ胸を強調するポーズを取りながら、七星は俺をからかう。ベッドの端に腰掛けていたのだが、なんとなく前傾姿勢になってしまう。
「ガチでどきどきするから余計なことは言うなっ」
七星の胸は普通サイズだと思う。BとかCとかDとか? その辺の基準は知らない。
しかし、胸部を守るのがTシャツの薄い生地だけだと思うと、その膨らみが一層艶めかしく感じられてしまう。
「挟んであげようか?」
「何で何を!?」
「もちろんこれであれを」
「そういうのしなくていいから!」
「せっかくのチャンスなのになぁ」
「俺はまだそういう気持ちになってないから! やれればいいとか思ってないから!」
「あ、そ。純情男子はからかい甲斐があるなぁ」
「からかってるって認めてるしっ。本気でするつもりないだろっ」
「そういうことにしてあげてんの。ってかさ、ぶっちゃけ訊くけどさ。あたし、夢衣、流美、桜庭。四人の中で一番好きなの、誰?」
今度は真剣な顔。冗談じゃなく、本気の質問らしい。
七星が隣に座り、容赦なく俺を見つめてくる。
「誰って……」
「なんとなくの優劣くらいあるでしょ? 今付き合う相手を決めろって言ってんじゃない。だから大人しく吐け」
「うーん……」
四人との思い出が蘇る。
それぞれとのデート、日頃のやりとり。
四人とも魅力的で、誰か一人とでも付き合えたら、人生大成功と言えてしまいそう。
まぁ、澪は俺のことをただのお客さんだと思っているだろうし、ここで名前を挙げるのは違うかな。
それなら……。
「その四人で言うなら……七星が一番好きだよ」
明け透けで気安い性格。さりげなく場を納めてくれる気遣い。一緒にいて単純に楽しい。
交流している時間も関係するかな。同じ大学だから、接する時間も長い。
自然と好意は抱いてしまう。
「え、嘘? 本当に? じゃあもうヤるしかないじゃん」
「待て待て待て! 服を脱ごうとするな!」
そそくさとTシャツを脱ぎ捨てようとした七星の腕を掴んで制止させる。くびれた腰とおへそが綺麗だったよ!
「なんで? もうヤるしかなくない? あたしのこと、好きなんでしょ?」
「あくまで、無理にでも優劣を付けるならの話! 正直言えば、他の三人も気になるし、自分の気持ちもはっきりしてないし……」
「男のくせに細かいなぁ。ヤれるときにヤっときゃいいんだよ」
「その発想は軽すぎるっ」
「燈護なら、ヤった相手のことは自然と大切にするようになるよ」
「そういう問題でもなくてっ」
「あたしとしたくないわけ?」
「その質問はずるい! ノーなんて言えるわけない!」
「今日あたしとしなければ、燈護は一生童貞。さぁ、どうする?」
「変な呪いかけようとするな! 今日はしないってば!」
「わかった。あと二時間半待って、日付が変わったらね?」
「トンチを利かせてる場合でもないから!」
七星がむすっとむくれる。そんなにしたいのか? 俺と? なんで?
「なぁ……七星って、なんで俺としたいの?」
「燈護が欲しいから」
「……欲しいって、俺のことを好きってこと?」
「まぁ、好きだよ」
「なんで? 俺の何がいいの?」
「……あたしは、幸せな恋がしたい」
「幸せな、恋?」
「優しくない人。あたしを大切にしてくれない人。あげた分を返してくれない人。あたしのために一生懸命になってくれない人。人間としての魅力がない人。女の悪い部分を受け入れられない人。謝れない人。自分と他人が違うって理解できない人。特定の彼女がいるときでも一途になれない人。
……あたしは、そんな人が本当に嫌いなの。絶対、そんな人とはもう付き合わない。
燈護は、あたしの嫌いなタイプと全然違う。だから、好き」
七星の痛みをこらえるような表情からは、俺への好意より、過去の恋愛への後悔が滲んでいる。
全て忘れたいわけではないと言っていたけれど、やはり複雑な気持ちを抱えているようだ。
「……そっか。俺も、そんな立派な人間じゃないけどなぁ」
「知ってるよ。燈護はあたしの理想の男性そのままなんかじゃない。頭沸騰するほどの熱烈な恋愛感情を抱いてるわけでもない。
けどね、やっぱり燈護が欲しいの。燈護と恋人になって、幸せな恋愛をしたいって思ってるの。燈護となら、それができるって思ってるの。
立派じゃなくていいよ。未熟でいいよ。不完全でいいよ。あたしだってそうだもん。
一緒に、成長していけばいいじゃん。一人と一人が結びついて二人になるって、そういうことでしょ?」
七星なりの、愛の告白めいたもの。
心が揺らぐ。この勢いに流されて、七星と致してしまいたい気持ちもふつふつと沸いてしまう。
元々好意的に見ていて、さらに好意をぶつけられたら、どきどきせずにはいられない。
心臓が痛い。体温も上がる。七星の顔を見ていられない……。
視線を外すと、七星の両手が俺の顔を包む。
「目、逸らさないでよ。逸らすくらいなら、もうあたしを選んでよ。別にいいじゃん。あたし、燈護を幸せにできると思うよ?」
七星の瞳が、蛍光灯の明かりに照らされてきらりと光る。七星でも緊張することがあるのか、その頬は風呂上がりとはまた別の意味で赤い。
返事ができず、視線も逸らせず、しばし見つめ合う。
圧力さえ伴う瞳の力。心をぎゅっと握りしめられているかのようだった。
七星が、ほんのりと距離を縮めてくる。
キスをしようとしているのが、なんとなくわかった。
キス、したいよね。こんな表情をした女性の誘いを断る強靱なメンタル、俺にはない。
七星の手に導かれて、少し顔を俯ける。ああ、顔が近い。こういうときの作法は知らない。思わず目を閉じる。
唇に、一瞬だけ柔らかいものが触れた。
それは本当に一瞬だけで、触れたと思ったら離れていて、七星の両手もすぐに離れた。
目を開けると、先ほどよりも赤い顔をした七星が立っていた。
「……言っておくけど、キスとかしてないからね?」
「……あ、そう、なの?」
じゃあ、今の感触は?
「ちょっと指を触れさせただけ。キスじゃない。だから、燈護は今のことを忘れてもいいよ」
「……そう」
これは、嘘だろうか? 本当だろうか?
嘘っぽい。けど、見ていないから、本当のことはわからない。
「今日はこの辺で許してあげる。無理矢理奪うのは……あたしも違う気がするし」
「うん……」
「一緒に動画でも観ない? 燈護が動画よりもあたしの裸見たいって言うなら、それでもいいけど」
「……動画でも観ようか」
「あん? あたしの裸は動画よりも魅力がないって?」
「そういう話じゃないだろ! そりゃ裸の方が見たいけどさ!」
「遠慮しなくてもいいよ?」
「遠慮する! さぁ、動画を観よう! 映画とかでもいいぞ!」
さぁさぁと七星を促し、適当に座らせる。
これ以上、七星を意識するのはまずい。なるべく気分が紛れるものを観よう。
七星は不満そうだったが、シンプルに楽しいコメディ映画を観ることにした。おかげで気分は紛れて、男女っぽい濃密な空気は霧散。
一息吐いたところで、午後十二時前。
「じゃあ、ベッドは一つしかないし、一緒に寝よっか?」
最後の関門が、待ちかまえていた。
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