第47話 虎
どうしてこうなった?
嘆いているわけではないし、どちらかというと喜ばしい話ではあるのだが、鳴歌が俺の部屋で昼食を作るための準備をしている。キッチン周り、冷蔵庫の中身などをチェック中だ。なお、食材自体は購入してきてくれた。
昨日と違い、鳴歌の服装は一般的に見ても奇抜とは呼ばれない、カットソーとパンツルック。髪を後ろで一つに束ねていて、うなじが少し覗いているのに密かにドキリとしてしまう。
男としての夢が実現しているとも言えるけれど、急すぎて理解が追いつかない。
昨日、サポートしてくれるなら是非、半信半疑で答えたものの、本当に家までやってくるとは思わなかった。冗談です、と済まされるかと思った。
「どうかしました?」
スマホ片手に、ちらちら鳴歌を見ていたのに気づかれた。
昨日に引き続き、表情は乏しい。むしろ、昨日よりも少し冷たい印象に見えてしまう。これ、ただ緊張してるだけだよね? 俺、何も悪いことしてないよね? 無理矢理来るように強要したわけでもないしさ?
「あ、えっと、なんでもないんですけど……。女性が俺の部屋にいるのが初めてで、なかなか落ち着かないものだなぁ、と」
「ごめんなさい。無理に押し掛けちゃって……」
「いやいや、別に迷惑とかじゃないですよ? こっちとしてはそりゃ良いシチュエーションでして……。あ、だからってやましいことをするつもりはありませんから、ご安心を」
「その辺は心配していませんよ。燈護さんが強引に何かをしてくる方だとは思っていませんから」
「ええ、まぁ……」
「それにしても、男子校出身にしては女性に慣れているなとは思いましたが、こういう状況にはまだ慣れていないですね。恋愛の勉強をされているみたいですが、実際に誰かに声をかけたりはしていないんですか?」
「俺から声をかけたことはないですね……」
「勉強だけしてても、自分から動かないと意味ないですよ? ……ん? 燈護さんから、ってことは、逆に声をかけられたことはあるんですか?」
「うーん、ちょっとしたきっかけで興味を持ってもらえた相手はいると言いますか……」
「ふぅん……」
鳴歌の瞳が細められる。雰囲気が凍てついてない?
「そうは言っても、恋人代行ごっこをして遊ぶ程度です。まぁ、俺を恋愛対象として見てるわけじゃないと思いますけど……」
「その話、詳しく聞いてもいいですか?」
「ええ、まぁ……。隠すことでもないので……。あ、ちなみに、声をかけてくれたその子と、また別にもう一人女友達はいますよ」
「へぇー……そうですか。その女友達についても、是非伺いたいですね」
鳴歌、口元に亀裂が入ったような笑みを浮かべる。なんか怖い……。
鳴歌が料理をしてくれている間、俺は夢衣と七星について話す。
出会いやこれまでの経過を話し終えると、鳴歌はふむと一つ頷いて。
「……危ないところでした」
「え、何が?」
「いえ、こっちの話です。とにかく、そのお二人とはあくまで友達なわけですね?」
「そうですね」
「……燈護さんとしては、女性として意識することはないんですか?」
「そりゃーありますよ。二人とも可愛いですし、性格もいいので。でも、向こうは俺に興味ないと思うので、こっちが勝手に意識してしまってるだけですよ」
「……わたしは、どうですか?」
鳴歌が一歩近づいてきて、じっと俺を見つめてくる。
「えっと、鳴歌さんを、女性として意識するか、ですか?」
「そうです」
「それは……意識しちゃいますよ。当然じゃないですか。だから、あんまり近づかないでください。暴走して何しでかすかわからないですよ……」
「そう、ですか……」
鳴歌が俺から距離を取る。最後に甘い香りをふわりと漂わせることに、動揺しないでもない。
「まぁ、だからって、鳴歌さんはあくまでお詫びとしてここに来てるの、わかってますから。安心してください」
「……鳴歌じゃありません」
「え?」
「わたしの名前は、
「あ、はい……」
「仕事中でなければ、わたしのことは流美と呼んでください」
「いいんですか……?」
本名で呼んでしまうと、あまりにもプライベートに踏み込んでしまっているような……。
「燈護さんには、わたしを碧沢流美として見てほしいんです」
「それは、どうして……?」
「わかりませんか?」
鳴歌……流美が、再び一歩踏み出してくる。
年上だけれど、身長は俺の方が高い。見上げてくる視線が、いつになく力強い。
え、これって……?
俺が何かを答える前に。
家のチャイムが鳴った。玄関ではなく、エントランスからの呼び出しだ。俺の住むマンションは、家賃は低めだけれどオートロックの設備くらいはある。
「あ、ごめん、ちょっと出てみます……」
「……はい」
流美の視線から逃れ、インターホンを取る。なお、映像は見られず、音声のみだ。
「はい。どちら様でしょうか?」
『や、燈護。家にいて良かった良かった。突然で悪いけど、ちょっと入れてくんない?』
「え? 七星? 今日は友達と遊ぶんじゃ……」
『急にキャンセルになっちゃってさー。暇だからあたしと遊んでよ』
「ええ? それは……えっと……」
まさか、七星が急に家に来るなんて。
以前、家の場所は確かに教えていた。でも、やってくるなんて全く想定外。
「どうされました? もしかして、例のお友達がいらっしゃったんですか?」
流美の笑顔の口元に薄い笑み。本当に笑ってる……?
『え、今、女の人の声しなかった!? 時雨さんじゃないよね!? 誰!? 桜庭さんって人!?』
「ああ、えっと……そうじゃなくて……」
『そうじゃなくて!? じゃあ誰!? 一体何人の女にちょっかいだしてるの!?』
「いや、それは……」
なんだろう。二股男の心境をほんのり味わっているのだけれど、俺は何も悪いことしてないよね?
困惑する俺の手から、流美がインターホンの受話器を取る。
「話はわたしにも聞こえていました。碧沢流美と言います。燈護さん、今日はわたしと過ごす予定なので、あなたのご期待には応えられないかと」
『待った待った! どういう状況なの!? とにかく早くエントランス開けて! すぐそっち行くから!』
漏れ聞こえてくる声は、とても焦っているように感じる。
「燈護さん、どうしますか? わたしが代わりに追い返しましょうか?」
『おいこら! 勝手に追い返そうとしてんじゃない! 早く入れろ!』
「騒々しい方ですね。燈護さん、本当は彼女に付きまとわれて迷惑してません?」
『失礼なやつだな! さっさと開けろ! っていうか燈護! 早く開けて!』
流美の視線も冷たい。でも、ここで七星を追い返すという選択肢もない。
「……ごめん、予定外だったけど、七星をいれるよ」
「……そうですか。燈護さんがそうおっしゃるなら仕方ありませんね」
渋々、という風に、流美が開錠のボタンを押す。
それから三十秒と待たずに、バタバタと七星が俺の部屋にやってくる。三階なのに、早かったな……。
玄関の鍵はかけていなかったので、七星はこちらから招き入れる前にドアを開け、つかつかと中に入ってくる。その手には、ハンバーガーチェーン店の袋を提げていた。
「こいつ誰よ!?」
ぎろり。
七星に睨まれて、俺はたじたじ。マジで二股男みたいなんだけど。
「えっと、昨日知り合った女性で……」
「もしかして、また恋人代行だとか言うんじゃないでしょうね!?」
「そうだけど……」
「あんたもう恋人代行禁止! つか、恋人代行をお持ち帰りしちゃダメなんじゃないの!?」
「お、お持ち帰りって……。流美さんとはそういうのじゃなくて、昨日は普通に家に帰って、改めて今日、サポートのために来てくれただけで……」
「サポート? どういうこと? ……あ、右手に湿布? 何? 怪我でもしたの?」
「まぁ、ちょっと」
「だったらあたしを呼べばいいじゃん! なんで昨日会ったばかりの女を家に連れ込んでんのさ!?」
「ええ!? いや、七星にそんなお願いは……」
「あたしは家に入れたくないって!?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ、あたしでいいじゃん!」
「それはどうかと……」
「もういい! とにかく、そっちの人! サポートとか必要ならこっちでやるんで、お気になさらず!」
「そういうわけには参りません。わたしのせいで燈護さんが怪我をされました。わたしがきちんと面倒を見る責任があります」
「……燈護、無理矢理この人に襲いかかって返り討ちにあったときの怪我なのに、この人に責任取らせようってわけ?」
「待て。それは流石に言いがかり過ぎる。俺は何も悪いことはしていない」
「そうですよ。燈護さんはわたしを守ってくれました。だから、お礼として面倒を見るのは当然のことです」
七星と流美が視線をぶつけ合う。
あの、これ、どういう状況?
虎と竜が対峙するような緊張感。俺、冷や汗だらだら。
……本当、どうしてこうなった?
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