第28話 けっ

 いざというとき、延々と悩んではいられない。

 上手くやろうなんて都合のいいことは考えず、思い切って挑戦してみよう。


「えっと……。じゃあ、笑われる覚悟で、やってみる」

「うん。さぁ、どうぞ?」


 緊張する。どれだけ精一杯やっても、ケラケラ笑われる未来しか想像できない。

 けど、それでもいいさ。俺はこれでもお笑いをやっている身。

 笑ってもらえるのなら、それで本望だ。

 ふぅ、吐息を吐いて、それからもう一度吸って、音海おとみの彼氏になったつもりで語り始める。


「……たぶん、音海さんには、俺にはとても想像できないような辛いことや苦しいことがたくさんあって、人知れず泣くこともあったんだと思う。

 それでも、大きな歪みもなく、今みたいにたくさん笑える人になったことは、とても尊いことだ。

 音海さんは、そのたくましさと純粋さで、これからもっと強く、もっと綺麗になっていくんだろうな。

 俺はまだまだ未熟で、音海さんからすると大きな子供くらいにしか見えないかもしれない。けど、音海さんを見習って、俺も成長していきたい。

 そして、楽しいときは一緒に笑って、辛いときは支えあって。一方的に尽くすわけじゃなく、一方的に守るわけでもなく。お互いを大切にしていけたらいい。

 音海さんを見ていたら、そんなことを思ったよ」


 さぁ、笑いたければ笑うが良い!

 そんな覚悟でいたのだけれど、音海は穏やかな笑みを浮かべるのみ。

 そして、ふぅん……と意味深に唸った後。


「ありがと。ちょっと元気出た」

「……そう? それは良かった」

「犬丸、想像してたよりずっといい感じ。もっとしょうもないこと言うかと思ってた」

「例えばどんな?」

「俺がずっと側にいるからもう大丈夫! 過去なんて忘れちまえ! とか」

「それ、しょうもないこと?」

「側にいればいいってもんじゃない。誰かに寄り添うって、本当に難しいこと。泣いている誰かが目の前にいたって、何て声をかければいいかも本当にわからない。

 泣いてる本人だって、なんて言ってほしいかもわからない。誰かに救われることなんてないのかもしれない。

 ずっと側にいるなんて、無責任に言わないでほしい。

 それにさ、昔のことを忘れたいわけでもないの。楽しいときだってあったよ。忘れたいことばっかりじゃなかったよ。愚痴ってる姿からはわからないかもしれないけど、苦い思いばかりが残ってるわけじゃない。

 励ましてほしいけど、あたしの過去を否定してほしくはない。

 ……そんな気持ちを、彼氏もわかってくれたらいいなぁと思う。

 犬丸は、わからないまでも、わかろうとしてくれるんじゃないかな」


 いつも陽気な人だと思っていたけれど、やはり年相応に色々なことを悩み考えてきた人なんだな。

 その積み重ねたものが、音海を綺麗に彩っているように思う。


「……まぁ、俺の根本的な発想として、他人の気持ちは完全には理解できないってのはある。だから、わかったつもりになるのは止めて、わかろうとする努力はすごく大事だと思ってるかな」

「そっかそっか。犬丸、意外と大人だ。高校時代、陰キャで他人と関わりがなかったってわけでもなさそうだね」

「数は少なくても、友達はいたよ。いなかったのは彼女と幼馴染と妹姉と美人教師だけ」

「何? 犬丸って、女なら誰でも良い人だったの?」

「高校時代は、『全ての萌えを愛でる者』っていう称号を与えられていた」

「なにその称号。バカみたい」


 音海がケラケラと体を揺らす。うん、本当に、こうして俺のバカみたいな話で笑ってもらえたら、それだけで生きてて良かったと思えるよ。


「俺はバカな生き方をしたいな。くだらないことでたくさん笑って、小さな笑いを積み重ねていったら、きっと人生は幸せで溢れたものになる」

「……そうだね。きっと」


 それから、概ねしょうもない話をしながら食事を進めた。

 音海はよく笑う人で、話しているだけでもとても充実した気分になれた。音海が商売として笑っているわけではないと思うと、充実感も強い。

 昼食を終え、お好み焼き屋を出たところで、不意に音海が俺と手を繋いできた。それも、恋人同士がよくやる指を絡める奴。


「え? ちょ、ええ!?」


 急な接触に動揺し、体温が上がる。変な汗も出てしまった。


「何、その反応。ご飯奢ってくれたら、恋人代行やってあげるって言ったじゃん?」

「そ、そうだけど……。急だったし、接触はしたくないんじゃないかなと……」

「そんなん恋人っぽくないじゃん。あ、でも、流石にキスとかはしないよ?」

「そこまでは期待してない……」

「ってか、例の恋人代行と、キスはしたの?」

「いや、キスとか過剰な接触は禁止だから。できるのは手を繋ぐとか、腕を組むくらいまで」

「ふぅん……。男の子からすると物足りないんじゃない? それで一時間五千円とかでしょ? 高くない?」

「安いとは言えないなぁ。ただ、あの二人に関して言えば、お金を出した分の見返りはあったと思う。すごく楽しかったし、色々と学ばせてもらった。

 それに、俺みたいに女性と全く縁がなくて、関わり方もわからない奴のために、かなり本気で恋人のふりをするんだよ? 女性からしたら、ちょっと割高と思えるくらいのお金をもらわないとやってられないんじゃない?

 あと、高めの料金設定って、女性を守る意味もあると思うんだ。一時間千円で遊べるとかだったら、きっと雑多なお客さんが集まってしまう。あまり品の良くない人もいるだろうし、恋人代行に対する扱いも雑になると思う」

「……犬丸は、童貞のくせによく女の子の気持ちも立場も考えてるね。

 確かに、時給千円で見知らぬ誰かの恋人のふりなんてできないし、変な人が集まるのも嫌だ。犬丸くらい普通の人ならまだしも、ガチで女性との関わり方がわかってない上に、根本的に性格ヤバめの人とのデートは勘弁」

「ま、安くないお金を出す価値がないと思えば、利用しなければいいだけの話だよ」

「それもそーだ」


 音海が頷き、何故か俺に身を寄せてくる。


「ちょ、近くない?」

「あたしに近寄られるの、嫌?」

「嫌とかじゃなくて……」

「犬丸さ」

「な、なに?」

「好きな人とか、気になってる人、いる?」

「……いや、特には」

「ふぅん」

「ふぅん、ってなんだよ」

「髪は長いのと短いの、どっちが好き?」

「どちらかというと、長い方に憧れるかなぁ……」

「けっ」

「けっ、ってなんだよ」

「黒髪と染めてるの、どっちが好き?」

「んー……その人に似合ってれば、どっちでもいいのかなって」

「強いて言うなら?」

「黒かなぁ」

「けっ。童貞がっ」

「痛っ、手を握り潰そうとするなよ!」

「ふん。じゃあ、可愛い、綺麗、かっこいい、女の子に求めるのはどれ?」

「……可愛い、かなぁ」

「けっ! あんたなんか嫌いだ!」


 音海が急に怒り出して、俺の脇腹を肘でぐりぐりしてくる。痛いのとくすぐったいので、体をよじってしまう。


「や、止めろよ! なんなんだよ!?」

「今の流れが全てだ! わからんあんたが悪い!」

「ええ? なんだそれ……」

「もっと女心を勉強しろ! 出直してこい!」

「……そう言いながら手は離さないのか」

「手は離してやらん!」

「意味がわからん」

「それはあんたが悪い! バカにもほどがある!」

「うーん……」


 よくわからないが、とにかく俺は音海の機嫌を損ねる何かをしてしまったらしい。なんだろう?


「本当に何もわかってない顔してる……。ちょっと怖いかも……。もういいや。とりあえず、罰としてあたしのことは七星ななせって呼ぶこと。あたしは燈護って呼ぶから」

「それは罰なのか?」

「細かいこと言うな。もっとノリで話せ。バカ」


 ぷりぷりしながら、音海……七星は俺の手を引いてずんずん進んでいく。

 どこに行こうとしているのか、目的地も知らない。

 不機嫌なのか、何なのか。

 俺を置き去りにしないから、完全に怒っているわけではないのだろうけれど……まぁ、俺が悪いんだろう。

 こういうとき、相手の気持ちもすぐに察せられるようになればいいなぁ……。

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