第27話 お試し恋人代行

「……いや、その……流石に、まともに関わるのは今日が初めてって人の家には行けないよ……」


 己の思い切りの悪さに辟易しつつそう答えると、音海はふふと愉快そうに笑った。


「そう言うと思った。犬丸、いざというときも、怖じ気づいてなんにもできなさそうだもんね」

「……そ、そう、かなー」


 ここでいういざというときってのは、つまり、女性にあれに誘われたときのことだよね? いや、俺だってやるときはやる男……だよ。たぶん。


「幸運の女神には前髪しかない……だってね。ま、それよりご飯ご飯! あたしの手料理が食べたいなら、お好み焼きでもいかない? 自分たちで焼くとこ」

「お、いいね。……音海さんの料理の腕前、気になる」

「火傷に気をつけてね?」

「え? それ、俺に言うこと? 自分が気をつけるんじゃなく?」

「絵的にはこう……どひゃぁ、ってね?」


 音海がヘラを使ってお好み焼きをひっくり返す動作。しかし、おそらくひっくり返らずに前に吹っ飛んでいる。


「……隣同士に座ろうか」

「お、積極性を見せてきたね?」

「身の危険を感じたもので」

「じゃあ、ひっくり返すときは二人でやろうか? せーので息を合わせてこう……うりゃぁ!」

「思いっきり俺に向かって投げつけようとしてる動作止めて!」

「あっはっは」


 リアルにそんなことしたら笑い事じゃないからな? もう……。

 まぁ、冗談だろうとは信じている。そして、なんだかんだやっぱり女性は笑うと綺麗で、何をされても許してしまいそうな気分にはなる。


「……とにかく行こうか。お腹空いたし」

「そだね。行こ行こ」


 二人並んで歩き始める。澪や璃奈のときと違い、デートではないので手を繋ぐことはない。付かず離れず、友達よりは少し通り距離感。

 この距離が縮まることは、たぶんない。音海も気まぐれで俺を誘ってみただけで、次があるとは思っていないだろう。人生で一回くらい、いつもと違う雰囲気の奴と遊んでみてもいいかな、と思っている程度。

 そんなことを考えていたら。


「あのさ、あたし、恋人代行やってみたいんだけど」


 大学から少し離れたところで、音海が妙なことを言い出した。


「……へ? どういうこと? バイトを紹介してくれって?」

「違う違う。バイトしたかったら自分で勝手に探すよ。今日、今から、犬丸の恋人代行やってみたいって話」

「……つまり、デートしてやるから金寄越せってこと?」


 ああ、そういうデートのお誘いだったわけね。こいつ、デートさせたら金くれるぞ、と。


「んー、正直言うとお金は求めてなかったんだけど……もしかしたら、何かもらった方がそれっぽいのかな? じゃあ、お昼奢ってよ。そしたら、残りの今日一日、あたしは犬丸の恋人代行になる」

「え? お昼奢るだけで? 安過ぎない?」

「相場は知らんけど、これって安いの?」

「安過ぎだよ。お昼なんて千円もいかないだろ? ほぼ半日恋人代行をお願いしたら、四、五万円が飛ぶよ」

「ほへー、たっかいんだねぇ。ま、おねだりしたらもうちょっと出してくれそうだけど、お昼ご飯だけでいいよ。せっかく友達になろうとしてるのに、お金を介した関係になるなんてもったいないじゃん?」

「……お、おう」


 友達になろうとしていたのか? それはそれでありがたいことだが……。


「どうする? 奢ってくれる? 奢ってくれない?」

「……わかった。奢るよ。音海さんは遊び半分だろうけど、これもまた勉強だ」

「勉強? なんの?」

「恋愛のべんきょーだよ。俺の目標は、大学でリアルの彼女を作ること。そのために恋人代行で勉強中」

「あ、なるほど。うんうん、じゃあ、あたしも手取り足取り教えてあげるよ、女って奴をさ?」

「そういうちょっと刺激的な言い方は控えるように。童貞はそれだけでドキッとしちゃうんだから」

「わかってないなぁ。だからやるんじゃないの」

「性格悪くない……?」

「うん。そうだよ? 言っとくけどね、リアルには天使も聖女もいないの。まずはそこんとこ、押さえといて」

「断る! もっと男に夢を見させてくれ!」

「あっはっは」


 ケラケラ笑っているけれど、たぶん、音海はとても性格の良い部類の女性なのだろう。恋愛関係にはなれなくても、こういう人と友達になれたら俺としてはプラスしかない。

 遊び半分の恋人代行。これをきっかけに、良き友達になれたら良い。

 そんなやりとりをしつつ、俺たちは大学から徒歩と電車で三十分弱のところにあるお好み屋へ。

 俺の席は音海の正面。そして、それぞれの注文の品が来たら、俺が音海の分を焼き、音海は俺の分を焼いた。若干の不安はあったけれど、音海が焼きたてのお好み焼きを俺に放り投げてくることはなかった。

 少々雑な印象はあったものの、格別に料理が下手な印象もない。砂糖と塩を間違えたことがあったとしても、それはたまたまだったのだろう。

 焼きあがって、それぞれの焼いたお好み焼きを食べる。

 変な材料が入っているわけもないし、黒こげになっているわけでもないから、当然美味しかった。


「どう? あたしの手料理は」

「美味しいよ。ありがとう。っていうか、こんな形であっても、母親以外の女性の手料理って初めてだ……。感慨深いなぁ」

「あたしが犬丸の初めてをもらってしまったわけか。手料理童貞、卒業おめでとー」

「そんな言葉初めて聞いたぞ」

「あたしも初めて言った。おあいこだね。あ、犬丸の焼いた分も美味しいよ。ありがとー」

「それは、どうも」

「奢りの飯は特に美味い!」

「本当に良い性格してやがる」

「ちなみに、あたしも男の子の手料理食べるの初めて。あたしの処女、捧げちゃった」

「……平然とそういうワードを口にしないでくれ。ってか、彼氏がいたことくらいあるんだろ?」

「あるよ。本当に処女ってわけでもないし。けど、手料理作ってくれるような彼氏じゃなかったからなぁ。いつもあたしの方が色々頑張って、向こうはそれを当然のごとく楽しんでた感じ」

「……そう」


 笑顔ではいるけれど、音海の声には僅かな後悔が滲んでいる。

 あまり上手くは行っていなかったのかもしれない……。


「あたしが恋愛について語れることなんてほとんどないんだけどさ。どっちかが一方的に尽くして、ようやく相手がちょっとだけ振り向いてくれるなんて関係、まともな恋愛じゃないよね。恋人として思い合っているなら、絶対そんな歪な関係にならない」


 そういう恋を、してしまったんだろうなぁ。

 恋の辛さも苦さも、存分に味わってしまったんだろう。


「良い恋ではなかったかもしれない。ただ……苦い恋を知っている音海さんは、なんだかとても綺麗に見えるよ」


 俺の言葉に、音海はくすりと笑う。


「なに? もしかして口説いてるの?」

「そういうわけではないんだけど……」

「なら、励ましのつもり?」

「どちらかというとそうかな」

「そう。だったら……もっと彼氏っぽい感じで励ましてよ。あたし、今日一日は犬丸の彼女なんだからさ?」

「彼氏っぽく……?」


 彼氏っぽい励ましとはなんぞ?

 皆目見当もつかないが、いざ彼女ができれば、相手を励ます場面も出てくるはず。

 彼女の励まし方なんて誰にも教わってないからわかんない、とも言っていられない。

 うむむ、と唸る俺を音海がにやにやしながら見つめてくる。

 さて、なんと言うべきか……?

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