第23話 観覧車

 閉園時刻が迫っている。

 改めてアトラクションに乗るのは難しいかなと思ったのだが。


「ねぇ、燈護君。最後に、あれ乗ろうよ。まぁ、もしかしたらダメって言われるかもだけど……」


 璃奈が指さすのは観覧車。急げば間に合うかもしれないが……。


「あれ? でも、個室に二人きりはダメなんじゃ?」

「それはあたし次第だよ。燈護君なら、いい」


 璃奈が俯き気味に言う。俺のことを信用してくれている、ってことかな。


「じゃあ、行ってみようか? 正直、観覧車は気になってた」

「うん。行こう」


 璃奈と手を繋ぎ、小走りに観覧車に向かう。

 時刻は十七時四十三分。いけるか。


「あの、まだ乗れますか?」


 受付の中年男性に尋ねると、時計をちらりと見た後、頷いてくれた。


「閉園は十八時だから、君たちが最後だね」

「ありがとうございます!」

「お礼を言われることじゃないさ。むしろ、ご利用いただきありがとうございます、だね」


 それから、俺と璃奈は観覧車の籠内に案内された。一周十五分程度で、この間は俺と璃奈の二人きり。

 二人で並んで座り、恋人同士のように寄り添う。


「燈護君……今日は、本当にありがとう。あたし、『彼女』として全然できてないことばっかりだったのに、燈護君は全然責めもしないし、むしろサポートもしてくれて、あたしの方がデートを楽しんじゃった」

「璃奈は、ちゃんとお仕事もできていたよ。俺は璃奈と一緒に過ごす時間が楽しくて、すごくいいデートになったって思ってる。俺の方こそ、本当にありがとう」

「……なら、お互いに今日はいい思い出になったってことだね」

「うん。そういうこと」

「良かった。けど……あーあ……」


 璃奈が悲しそうに溜息を吐く。


「今日のデートが終わったら、燈護君とはもう会えないのか……」

「え? なんで?」

「なんでって……。燈護君、またあたしとデートしてくれるの?」

「うん、まぁ。いつとは決めてないけど、璃奈となら、またデートしたい」

「……本当に?」

「本当だよ」

「……よっしゃ。早速リピーターゲット。二万円もなくしちゃったし、いいカモだわっ」


 璃奈が可愛く拳を握る。あれ? 璃奈の営業トークにまんまとはまっちゃった?

 若干不安になっていると、璃奈がふふと笑う。冗談ということで良さそうだ。


「……ええと、そうだね。俺は璃奈のリピーターになるよ。って言っても、お金は有限だから、そう何度も誘えるかわからないけど」

「……そっか。でも、そうだよね。仕方ないよね……」


 璃奈がまた深い溜息。璃奈は、どんな感情をその内に宿しているのだろう。

 単に稼ぎのため、俺をリピーターとして歓迎しているわけではないと信じたいが……。


「また、会えるよね?」


 か細く尋ねてくる璃奈の声には、ただのお客さんに対するものとは違う感情が、含まれている気がした。


「うん。また会えるよ」

「そっか。良かった」

「あ、そうだ。お金なくして、帰り道で困るだろ? 一万円くらい貸しておくよ」

「え? い、いいよ、キャッシュカードは無事だったから、コンビニで引き出せばいいし、スマホでも買い物できるし……」

「念のため、さ。貸しておくから、次会うときに返してよ」


 璃奈が苦笑し、こくりと頷いた。


「わかった。そういうことなら借りておく」

「うん」


 上っていく観覧車の中で、璃奈にお金を預ける。

 璃奈は、何故か愛おしげにそれを財布にしまった。


「……ねぇ、燈護君。そういえば、写真撮ってなかったよね? 一緒に撮ろうよ」

「ああ、うん。璃奈が良ければ」


 恋人代行は、基本的に写真も可。ただ、澪のときにもそうだったけれど、もしかしたら写真を撮られるのは嫌なのかなとか考えてしまって、こちらからは言い出せなかった。


「いいに決まってるじゃん。むしろ、燈護君からしたら、写真くらい撮らないと割に合わないよ。あ、ただし、ネットに投稿とかは当然NGだよ」

「わかってる」


 俺のスマホと璃奈のスマホ、両方で、ツーショットの写真を撮る。なんだか気恥ずかしい。

 そして、璃奈単体の写真もお願いしてみたら。


「……スマホの待ち受けにするなら、いいよ」

「ちょっと気恥ずかしいけど、わかった」

「ええ? 本気? 冗談だって! ただ……撮るんだったら、ちゃんと見返してよね。撮りっぱなしでおしまいにしちゃダメだから」

「了解」


 観覧車からの眺めを背景に、璃奈の写真を撮る。まだ空は明るくて、璃奈の笑顔はとてもまぶしかった。

 撮影が落ち着いて、もうじき頂点に達する頃。


「……燈護は、また他の女の子ともデートするんだよね?」

「そのつもり。恋愛の勉強中だから、色々な人と会って、女性との付き合いがどんなものなのか、もっと知っていきたいんだ」

「そっか。そうだね。あたしも、これから燈護君以外の人ともデートをする」

「うん。そういうお仕事だからね」

「でも、たぶん、こうして個室に二人きりになってもいいと思えるのは、燈護君だけだよ」

「……それは光栄だな」

「それに……あたしに、このお仕事の楽しさとやりがいを教えてくれたのは燈護君。この先ずっと忘れない、初めての人になってくれたのは、燈護君だよ」

「……初めての人って、ちょっとやらしいな」

「……女の子だって、たまにはやらしいんだよ」

「……そ、そうか」

「うん。そうだよ」


 璃奈が何を考えているのか、本当によくわからない。

 俺に対しどこまで気を許しているのだろうか。友達以上、恋人未満、的な?


「あたしね、単に自分を変えたいだけだったの。引っ込み思案で、臆病で、好きな人に告白もできないような自分を、変えたかった。けど、今は……それだけじゃない。

 燈護君は、あたしをすごく支えてくれた。今日のデートが、二人にとって良いものになるように。本当は、あたしがもっと頑張らないといけなかったのに」

「……デートは二人でするもんだろ? 一人が頑張るもんじゃないよ」

「また! そうやってあたしを支えようとしてくる!」

「ん、まぁ……」

「ずるいよ、燈護君。女性とのデートなんてまだ二回目のはずなのに、当たり前みたいに、あたしよりずっと相手を思いやってる。

 あたし、燈護君みたいになりたいって、思っちゃうじゃん。誰かを支えて、励まして、幸せになってもらえるように頑張れる人になりたいって、思っちゃうじゃん。

 燈護君は……あたしの、ライバルだ」

「ええ? ラ、ライバルなの?」


 友達でも、恋人でもなく。

 ライバル、なのか。

 うーん……。俺、誰かとデートするお仕事をするつもりはないんだけどなぁ。


「あたし、燈護君に負けないように頑張る。燈護君みたいに、誰かの心に、大きくて温かいものを残せる人になる」

「……うん。璃奈ならなれるよ」

「ふん。気安く言わないでほしいな。燈護君があたしにくれものの大きさを、燈護君は理解してないんだ」

「それは、そうかも」

「……今日は、本当にありがとう。燈護君とデートできて……あたし、幸せだ」


 なんと返せば良いのかわからなかった。

 ただ、璃奈は特に気にする様子もなくて。


「ねぇ、一つだけ、わがまま言っていい?」

「ん? いいよ」

「……あたしのこと、夢衣って呼んで」

「いいの?」

「あたしが、呼んでほしいの」

「そう……。えっと……。おほん。夢衣」


 璃奈がぴくりと震える。頬も紅潮して、体に力が入っているのもわかる。


「も、もう一回」

「夢衣」

「……あと三回くらい」

「なんだそれ」

「……あたしの、わがまま」

「そうだった」


 乞われるまま、俺は夢衣の名前を呼び続けた。

 恋人でもないのに、女性を名前で呼ぶのは妙な気分。決して、悪いものではないけれど。


「ありがとう。もういいよ」

「うん」

「あのさ」

「ん?」

「……また、会おうね」

「それ、さっきも約束したじゃん」

「そうだけど! そうだけどさ!」


 むぅ……と璃奈が唸る。

 それから。


「燈護君は、きっとどんな女性にも振られる」

「ええ!? 嫌な予言! やめてよ、そういうの!」

「だって、だって! ……燈護君、何にもわかってない……っ」

「……わかってない部分を、教えてくれるとありがたいんだけどなぁ」

「……教えられるわけ、ないじゃん」

「そうか……」


 璃奈がまた無言になる。

 一周回るまで口を開いてくれなかったのだけれど、この沈黙は、不思議と居心地は悪くなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る