第22話 落とし物

 クレープも食べ終わり、璃奈の希望通りもう一度絶叫系に挑戦しようかというところで。


「あ、あれ? おかしいな……」


 璃奈が、小さな鞄をごそごそと確認。


「どうした?」

「あ、えっと……その……財布、落としたかも……」

「財布を? それは大変だっ」


 財布をちゃんと持ってたんだな、という軽い驚きもある。恋人代行中の出費は全て俺負担だ。でも、移動にお金を使うこともあるし、いざというときのために持っておくのは当然だ。


「あ、でも、ポケットとかに……」


 璃奈がポケットその他、財布を入れていそうな場所を探していく。しかし、財布は見つからない。


「どこで落としたんだろ……財布なんて取り出さないし……あ、トイレで他のを出したときに落としたのかな……?」

「行ってみよう。もしトイレになければ、管理事務所に届いてるかも知れない」

「うん……」


 璃奈と共に、急ぎ今日利用したトイレを回っていく。三カ所だけだから二十分もあれば全て回れたが、財布は見つからなかった。

 さらに、管理事務所にも電話で問い合わせてみたけれど、璃奈の財布と特徴の一致するものは届けられていなかった。


「……ごめんなさい。デートの最中なのに、財布探しなんてさせちゃって……」


 璃奈が心底へこんだ様子で俯いている。

 これがただのデートだったら璃奈もここまでへこまないだろう。しかし、今は有料のデート中。ここで時間を浪費することは、俺の支払っているお金が無駄になるということだ。

 もっとも、運営側に状況を報告すれば、財布の捜索時間はデート時間に含めなくても良いと言われる気もする。それでも、お仕事中にこんな初歩的なミスをしてしまったことに、璃奈は心を痛めているに違いない。


「気にしないで。トラブルなんてのは、デートの最中だろうとなんだろうと、急に起きるもんだろ? 今回のも、『本番のデートで彼女が落とし物をしたときの予行演習』って思えばいい」

「……燈護君、ポジティブ過ぎるよ」

「ネガティブ過ぎるよりマシだろ?」

「それはそうだけど……」

「ちなみに、財布には何が入ってた? お金だけ? 他にも何か?」

「お金と……保険証、かな? あと、銀行のキャッシュカード……。小さい財布だから、それくらいのはず……」

「どれも諦めはつくけど……銀行のキャッシュカードはちょっと危ないな。まぁ、暗証番号を適当に入力してお金を引き出せる可能性は低いけど……」

「あ、あのさ! もう、探さなくてもいいよ? お金だって、たぶん二万円くらいだし、保険証もキャッシュカードも再発行すればいい。管理事務所にも連絡したから、そのうち誰かが届けて、連絡くれると思うし。ね?」


 璃奈は必死で笑顔を取り繕っているけれど、諦めて切れていないのはわかる。

 それに、なんだろう? お金とか、保険証とか、キャッシュカードとかの話じゃなくて、何かが気になっているような……。


「……ねぇ、璃奈。もしかしてだけど、その財布自体、何か大事なものだったりする?」

「え!? そ、そんなこと、ないよ!?」


 わかりやすく狼狽うろたえている。俺にしては勘が冴えてるな。


「……嘘吐かなくていいよ」


 笑顔を心がけて言うと、璃奈がきゅっと唇を引き締める。


「俺は単なるお客さんかもしれない。今日一日限りの付き合いに過ぎないって思ってるかも知れない。それでも、俺は璃奈自身のことを好ましく感じていて、友達にはなれなくても、友達のような関係にはなれたと思ってる。璃奈が困っていたら、ちゃんと助けたい。

 だから、璃奈も我慢しなくていい。俺はお客さんとしてじゃなくて、犬丸燈護として、璃奈を助けたい」


 璃奈が泣きそうな顔で笑顔を作る。ばかだなぁ、なんて小さく漏れたのにも、俺は可愛さしか感じない。


「ありがとう。……実は、あの財布、友達が誕生日にプレゼントしてくれたものなの。バイトして稼いだお金で、わざわざあたしのために……。だから、お金とかは返ってこなくても、財布だけは取り戻したい……」

「そっか。なら、必ず見つけないとな」

「……うん」

「よし、それじゃあ、これからは財布探しデートだ。……二手に分かれて探した方が効率はいいんだろうけど、流石にそれは寂しい気もするから、二人で行こう。いいかな?」

「うん。むしろ、あたしもその方がいい……っ」

「わかった。行こう」


 璃奈と手を繋ぎ、まずは今日訪れたアトラクションを順に見て回る。施設の人にも、財布の落とし物がないか尋ねて回った。

 園内は意外と広いから、それだけでも一時間以上かかってしまった。

 時刻は十七時を過ぎた。営業終了まで、あと一時間。

 しかし、財布を見つけることはできなかった。誰かが拾い、それを持ち去ってしまった可能性も高い。

 せめて、お金だけ抜き取って、あとは放置してくれればいいのだけれど……。

 当てもなく園内を彷徨さまよっていると、璃奈が気落ちした様子で言う。


「……ごめん。せっかくのデート、台無しにしちゃって……」 

「台無しなんかじゃない。アトラクションも楽しいけど、俺、なんか変な自信があるんだ。これから先、何十年経ったとしても、こうして璃奈と財布を探し回ったこと、ずっと忘れないと思う。

 この時間は、俺にとって一生ものの思い出だ。全然、台無しなんかじゃない」

「……燈護君、やっぱり意地悪だ」

「ええ? そうかな?」

「……何十年経っても、あたしの失敗をずっと笑い続けるんだ。ひどいや」

「いや、そういう意味じゃなくて……」


 言い方がまずかったかな、と焦ったところで、璃奈がふふと笑う。


「わかってる。ごめん、あたしの方が意地悪だったね。……燈護君は、優しすぎるくらいに、優しいよ。あたしも、きっと今日のことは何十年先も忘れない。燈護君の優しさに救われたこと、ずっとずっと、忘れない」

「……うん。それは、良かった」


 なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らす。

 しかし、やはり璃奈の財布は見つけてやりたい。

 財布が見つかれば、今日のことは、本当に良い思い出として残るはず。

 それからさらに、三十分ほど財布を探し回る。

 見つからない。

 やはり誰かが持って行ってしまったのか……。

 諦めかけたとき。

 俺のスマホに着信。

 そして。


「あ、見つかりましたか!? 本当ですか!?」


 璃奈の顔が華やぐ。良かった。その笑顔を見られたなら、探し回った甲斐があったというもの。

 そして、話を聞くに、財布は施設内のゴミ箱に捨てられていたらしい。お金は抜き取られていたが、保険証とキャッシュカードは無事。

 俺と璃奈は、急ぎ管理事務所へ。

 受付にて、老年の男性がにっこりと微笑む。


「いやぁ、見つかって良かったね。まぁ、念のため確認だけど、お名前と生年月日を訊いても? 本人確認が必要だから」

「あ……はい……」


 璃奈がちらりと俺を見る。そういえば、俺は璃奈の本名を知らない。聞かれたくないかもしれないな。


「あ、俺は外に……」

「いいよ。わざわざそんなことしなくて。名前は時雨夢衣しぐれむいです。時の雨に、夢の衣。生年月日は……」


 時雨夢衣、か。

 聞いてはいけないことを聞いてしまい、申し訳ないような、嬉しいような……。


「うん。本人だね。もう落とさないように気をつけて」

「はい。ありがとうございました」


 璃奈が、桜色の小さな財布を受け取る。それを大事そうに抱きしめて、にこり。


「燈護君も、ありがとう。結果から見たら探さなくても見つかったのかもしれないけど、一緒に探してくれて、本当に心強かった」

「まぁ、確かに無駄足ではあったのかもな」

「いやいや、そんなことはないよ」


 俺たちを遮り、受付の男性が続ける。


「君たちが財布を探し回っていたことは、館内でも共有されていたからね。清掃員の方が、もしかしたらゴミ箱に捨てられてるのでは? って言い出して、探し回ったんだ。君たちが頑張ってる姿を見て、こっちも普段より念入りに頑張ったんだ。君たちが探し回った時間は、決して無駄じゃなかったよ」

「……そうでしたか」

「……ありがとうございます。本当に、助かりました」


 俺と璃奈が、改めて受け付けの男性に頭を下げる。

 いやいや、とのほほんと笑う男性の姿に、デートの場所をここにして良かったと、改めて思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る