第67話 失恋

「高校一年生の秋に、初めての彼氏ができました。同じクラスの男の子で、写真の好きな人でした。


 交流するようになったきっかけは、彼の方から、写真のモデルになってくれ、と頼まれたことです。いつもは風景や動物の写真しか撮っていなかったけれど、本当は女の子を撮りたいと思っていたそうです。

 彼の撮った写真を見せてもらい、面白い写真を撮る人だなと思ったので、モデルになることを承諾しました。


 最初は、学校周辺とか、家の近くで写真を撮ることが多かったです。お互い、気安く行ける範囲で。それが、だんだん少し遠出するようにもなっていって、二人で色んなところに行きました。


 そして、彼との交流が始まってから三ヶ月くらい経った十月に、恋人として付き合わないかと、告白されました。

 彼のこと、わたしもいいなと思っていましたので、付き合うことにしました。

 友達から恋人になりましたが、大きく関係が変わった感じはありませんでした。手を繋いで歩いたり、キスしたりするようになったくらいで、接し方は今まで通り。


 わたしはそれで満足していたのですが……冬のある日、彼から、部屋に来ないかと誘われました。雰囲気から、キスより先に進みたいのだなと察しました。

 彼のことは好きでしたけど、当時はまだ、なんとなくそういうことをしたいとは思っていませんでした。伝わるように説明するのは難しいんですけど、体の関係がないからこその、淡くて心地良い繋がりを保っていたかったんです。


 わたしが彼の部屋に行くことを断ると、彼はとても悲しそうにしていました。


 そのときから、少しずつ、わたしたちの関係が悪化していきました。

 わたしは今まで通りに仲良くしていたかったのですが、彼は、わたしに深いところで受け入れてもらえていないと感じてしまったようです。彼に連絡をとっても反応は悪く、一緒に出掛けようと誘っても断られることが増えて……。


 わたしは、大切なところで失敗してしまったのだなと気づきました。

 あのとき、彼の部屋に行っていたら、もっと関係は長く続いたかもしれません。心だけの繋がりに満足していたわたしも、案外、一度一線を越えれば、全く違う気持ちで彼と付き合えたのかもしれません。


 別れましょう、と切り出したのはわたしです。まだ彼のことが好きでしたけど、彼に距離を置かれ続けることに耐えられなかったので、もういっそ別れようと思ったんです。

 彼は、やっぱり自分のことなんて本当は好きじゃなかったんだよな、と寂しそうに言っていました。

 そんなことないのに、どうしてわたしの気持ちがちゃんと伝わらないのだろうと、すごく辛かったのを覚えています。


 あの別れ際、わたしが上手く振る舞えれば、ちゃんとお互いの気持ちをわかり合えたのかもしれません。でも、わたしはただ辛い気持ちだけが渦巻いていて、何も言うことができませんでした。


 それ以来、彼は他人より遠い存在になってしまいました。

 毎日毎日、彼のことを想って、胸を痛めていました。


 彼のことが吹っ切れたのは、それから半年程経ってから。

 彼に、新しい彼女ができたとき、ですね。


 そのときは既にクラス替えで別々のクラスになっていて、顔を合わせる回数も減っていました。そんな中、彼がわたし以外の女の子の隣で楽しそうに笑っているのを見たら、わたしも、先に進みたいなと思いました。

 まぁ……吹っ切れたと言いましたが、もう少し素直に言えば、悔しかったんです。自分だけがいつまでも胸を痛めているばかりなのが。もうこんなの嫌だって、自棄になったという方が正しいかもしれません。


 とはいえ、わたしはすぐに新しい彼氏を作るということはなくて、当時からしていたコスプレに一層力を入れたり、同じ趣味を持つ友達を作ったりしていました。


 恋愛にあまり目が向かなかったのは、自分の心が未熟で、男子高校生の求めるような関係にはなれないと思ったから……ですかね。


 そうこうしているうちに、わたしももう二十歳。同年代の男性が求めるような関係にも、今ならなれるのかなと感じています。


 ……とまぁ、これでわたしの話は終わりです。少ししんみりしたお話ですみません。でも、燈護さんには、知っていてほしいなって思ったんです。

 わたしの中には、燈護さん以外の人と過ごした大切な思い出もあって、その上で、また新しい恋をして……。

 これがわたしだよって、燈護さんには、伝えたくなりました。

 わたしの全部をちゃんと見てほしいと、思っているからでしょうかね。

 ……わたしの話は、これで終わりにしますね。聞いてくださってありがとうございます」


 俺の頭に置かれた流美の手を、そっと握ってみる。

 綺麗で、柔らかく、優しい手。

 俺よりもずっと多くの経験を積んで、良いことも、悪いことも、自分を構成する一部として受け入れてきた人の手。

 不思議と、今までより力強く感じられた。


「……流実は、かっこいいね」

「かっこいい、ですか?」

「俺はさ、大好きな人と深い関係になんてなったことはない。片想いの辛さはわかっても、好き合ってるからこそ生まれるすれ違いなんてよく知らない。

 きっと、流美の失恋は、俺の想像するよりずっと辛かったんだと思う。思い出したくもないような、いっそ消し去ってしまいたいようなことも、たくさんあったんだと思う。

 それでも、流美はその失恋を、自分の一部として受け入れて、前に進むんだ。

 かっこいいことだと思う。俺には到底追いつけない高みで、流美は気高く笑っているように見える。憧れるなぁ……」

「……そ、そんなに良いものではありませんよ。だいたい、女性なんて、過去の恋など案外あっさり忘れてしまうものです。わたしが吹っ切れたというのも、女性らしい上書き保存的なことなのかもしれません」

「そんなことないよ。流美は、大切だった思い出を、忘れてなんかいないさ。忘れていないからこその強さが、流美にはある」

「……燈護さんにそう見えているのなら、そうなのかもしれませんね」

「うん。流美はかっこよくて、素敵な人だよ」


 流美の手を、少しだけ強く握る。

 流美も俺の手を握ってきた。

 一呼吸分、間があった後。


「……それ、もしかして燈護さんなりの、愛の告白ですか?」

「え!? あ、そういうわけじゃ……ないだけど……」

「紛らわしいことしないでください。燈護さんだって、わたしの気持ち、知らないわけじゃないでしょう?」

「……うん」

「燈護さんに、わたしを意識してもらえているのはいいことです。ただ、燈護さんが言葉を間違えると……わたし、我慢できなくなりますからね?」

「……うん。気をつける」


 何を気をつけるのか、実のところよくわからないけれど。

 この曖昧な距離感を壊す発言は、してはいけないのだなとは思った。

 今は、まだ。

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