第66話 昔の話
流美の体を温めながら、しっぽりとおしゃべりすることしばし。
「燈護さん、膝枕されたことはありますか?」
「いや、ないよ」
「……じゃあ、してみますか?」
「い、いいの?」
「わたしから誘ってるんですから、いいに決まってますよ」
「……それなら、お言葉に甘えてしまおうかなー。でも、僕が動いたら寒くない?」
「服を着ればいいんですよ」
「さっきと言ってることが違うなぁ」
「何か問題でも?」
「いや……ない」
一度流美の後ろから離れる。流美は自分の持ってきた服を着るのだと思ったのだが。
「燈護さんの服、貸してもらえませんか?」
「……いいよ?」
断る理由はないので、僕のシャツを羽織らせる。流美はその袖を鼻先に持って行き、すんすんと嗅ぐ。
「燈護さんの匂いがしますね」
「……自分ではわからないけど、あえて嗅がれると恥ずかしいな」
「燈護さんだって、今さっきわたしの匂いを嗅いでいたじゃないですか」
「そ、それはそうだけど……」
あれだけ接近すれば、匂いを嗅がずにいる方が難しい。
「なら、お互い様です。わたし、燈護さんの匂い、好きですよ?」
「そう……。ええっと、とにかく、それは置いといて……」
「それでは、どうぞ?」
流美が自身の太ももをぽんぽんと叩く。膝枕というからには、僕はそこに頭を乗せるわけだ。パレオがあるから直接触れることはないとはいえ、その感触は伝わってくるだろうし、緊張してしまう。
「膝枕って、どう寝るのが正しいのかな? 上向き? 横?」
「横向きでいいんじゃないでしょうか? わたしも膝枕は初めてなので、勝手がわかりませんが」
「あ、初めてなんだ?」
「そうですよ。こんなことしようと思ったのは、燈護さんだけです」
「そう……それは、嬉しい」
そして、お互いに照れて視線を逸らし合う。
なにやってんだか。
とにかく覚悟を決めて、頭の位置を調整しつつ横になる。
側頭部と頬に伝わる柔らかさと温もり。ううむ、これは快適。
流美は僕の頭に手を置き、優しく髪を撫でてくる。
「気持ちいいですか?」
「うん。これは、いいね。ありがとう」
「燈護さんになら、いつでもしてあげますよ?」
「すごい誘惑……」
「……このまま付き合っちゃいますか?」
「それは……」
「ごめんなさい。ちょっと早すぎましたね。今日の段階で何かを決める必要はありませんから、ゆったり構えてください」
「うん……」
「わたしと燈護さんが出会って、まだ一週間も経たないんですもんね。何かを決めるには早すぎます」
「ごめん」
「いいんです。ただし、わたしとの関係をはっきりさせない代わりに、他の方との距離感もちゃんと考えてくださいね。勢いでしちゃったとか、絶対ダメですよ?」
「うん。わかってる」
「なら、いいです」
流美の手が俺の頭を撫で、さらに頬をくすぐる。くすぐったくて体を揺らしていたら、流美がくすくすとおかしそうに笑った。
何やってんだか、ね?
「ねぇ、燈護さん」
「ん?」
「燈護さんの初恋って、いつでした? って、訊いてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。ただ、俺の初恋の話、全然面白くないよ?」
「それを判断するのはわたしですよ。とにかく話してください。聞きたいです」
「ん……。俺の初恋は結構遅くて、中三の春だったなぁ」
「……え? 中高一貫の男子校でしたよね?」
俺の言葉に、流美が驚く。良くない勘違いをしているらしい。
「学校内での話じゃないよ? 登校途中の電車で、毎朝見かける女子高生がいてさ。メガネをかけて、黒髪ロングの、清楚そうな可愛い人だった」
「……その頃から清楚な見た目が好みなんですね」
「仕方ないだろ? 男子なら一度は通る道だよ。それで、最初はただ、可愛い人がいるなーって思ってるくらいだった。けど、毎朝なんとなく顔を合わせてるうちに、その人のことを強く意識するようになった。ああ、これ、自分は彼女のことが好きなんだなってわかったよ。
毎朝意識するようになったし、彼女はいつも同じ時間の電車に乗ってたから、それに乗れるように頑張ってた。たまに見かけないと風邪でも引いたのかなって心配になった。
言葉を交わしたのは一回きりで……たまたま、学校帰りにも一緒の電車になったんだけど、その子が隣に座ってきてさ。すごくドキドキしてたのを覚えてる。
その子が降りる少し前に思い切って名前を訊いてみたら、驚いた顔してたけど答えてくた。でも、言葉を交わしたのはそれっきり。
それから少し時間が経って、夏休みを過ぎた頃に、彼女がいつもの電車に乗らなくなったんだ。可能な限り時間帯を変えたり、車両を変えたりしてみたけど、結局彼女は見つからなかった。彼氏でもできて、生活スタイルが大きく変わったのかもしれない。
それ以来、もう顔を見ることもなくて、俺も彼女のことは次第に忘れちゃった。
どんな顔していたのかも、今ではかなり曖昧だなぁ……」
なんとも懐かしい話。改めてあやふやな記憶を辿ると、澪に似ていたような気も……。
ん?
そういえば、澪からなにやら意味深なことを言われていた気がする。毎日顔を合わせていたとか……。自分の本名を覚えているかとか……。
え?
「甘酸っぱい初恋ですね」
流美の言葉が思考を遮る。まぁ……いいか。
「……つまらない話だったろ?」
「いいえ。燈護さんらしい、素敵な青春ラブストーリーでした」
「その言い方は大袈裟すぎるよ」
「ふふ。かもしれませんね」
それから、流美が俺の頬に手を当てて。
「……良いお話を聞けたお返しといってはなんですが、わたしの、高校生のときの恋愛の話をしてもいいですか? 一度だけいた、彼氏の話」
「うん。いいよ」
流美の元彼、か。
どんな人だったのだろう? 気になる。
「燈護さんは、少し変わっているかもしれませんね」
「え? 何が?」
「一般的には、男性は恋人の過去の恋愛について聞くのを好まないそうです。まぁ、わたしはまだ彼女ではありませんが、ただの友達とも言えませんし、あまり過去の話は聞きたくないと思うのが一般的なのかと思いまして」
「ああ、そういう人もいるらしいね。けど……誰かを好きになるって、その人の諸々の過去も含めて好きになるってことなんじゃないかな?
そりゃね、昔の彼氏はこんなに素晴らしかった、それに比べてあんたはどうだ、みたいな話をされるのは嫌だよ。
けど、こういう経験をしてきたよ、という程度なら、俺はむしろ聞きたいな。
目に見えている姿だけを愛でるんじゃなくて、それを形作った過去も知って、より深くその人を好きになれたらいいと思う。
まぁ、こんなの、理想論みたいなものかもしれないけれど」
「……そうですか。燈護さんは懐の広い方ですね。なかなか難しいみたいですよ、そういうの」
「そうかな?」
「ええ。そうです。……では、遠慮なく、昔話をさせていただきますね」
「うん。お願いするよ」
少し待つと、流美が語り始めた。
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