第3話 私のため
「
手を繋いで歩きながら、桜庭さんがお礼を述べてくる。
「あ、はい、俺が予約していた犬丸です。……もっとかっこよく助けられたら良かったんでしょうけど、あんな形ですみません……」
「かっこよくって、例えば自分の逞しさを見せつけて、相手を追い払うとかですか? それもかっこよさの一つだとは思いますけど、犬丸さんもとってもかっこよかったですよ?」
「いやぁ……そう言っていただけると嬉しいですよ」
流石は恋人代行。たとえ本当はさほどかっこよくなかったとしても、きちんと褒めてくれるわけだ。そういう商売だとわかっていても嬉しくなってしまう。
「あ、なんか私の言葉、信じてない顔してません? 私、お世辞とかじゃなく、本気で言ってますからね?」
「えっと……ありがとうございます」
うーん、桜庭さん、本気で褒めてくれてるのか? だとしたら嬉しいけど……しかし、これは商売なのだということは忘れてはならないはず。程々に受け止めよう。
「本気で言ってるのに、なかなか信じてくれないなぁ……」
ちょっと素の感じでぼやくので、一層言葉に信憑性が出てきた。……俺、浮かれてもいいのか? 本当か?
いやいや、やはりここは程々に受け止めよう。そういう関係なのだ、俺と彼女は。
変に勘違いしないためにも、この意識はしつこいくらいに持っておいたほうがいい。
「あー、えっと、とにかく今日は一日宜しくお願いします……」
桜庭さんと過ごせるのは、今日の午前十時から夜二十時まで。事前に振り込んだ金額はそれなりのものだけれど、高校時代からちょっとした収入源があるので、今のところ問題ない。恋人代行で恋愛の勉強をするのも数ヶ月の予定だし、お金はもつ。
「うーん、まぁ、いいです。宜しくお願いしますね。
あ、ところでなんですけど……私たち、どこかで会ったことありません?」
桜庭さんがふむむと俺の顔をじっと見てくる。これは何かのテクニックだろうか? 親近感を出すために、嘘でもそんなことを言っている?
「いやー、ないと思いますよ。桜庭さんみたいに綺麗な人、一度見たら忘れませんし」
「ふふ。綺麗だなんて、ありがとうございます。……なら、気のせいでしょうね。
えっと、この話はもう終わりにして。
それじゃあ、ここからの私は、燈護の彼女だね?」
桜庭さんが、呼び方も、口調も、笑顔さえも変える。あくまでお仕事として彼女をやっているという雰囲気は消え去って、本当に俺の彼女になってくれたかのよう。
なるほど、これが、ちょっとお高めな値段設定の実力か。
「宜しく……えっと、み、澪?」
ああ、女性を名前で呼ぶのって緊張する! 童貞心が辛い! 事前の打ち合わせで、名前で呼び合うことにしていたけど、名字呼びにしておけば良かったかな!?
「燈護って、本当に女性とほとんど交流したことがなさそうだね」
「ご、ごめんね、こんなみっともない奴で!」
「みっともないなんて思ってないよ。燈護、ものすごく勘違いしてるみたいだけど、十八歳で女性とほとんど交流したことがない男性なんて、世の中にはいくらでもいる。燈護は、そういう人を皆、みっともないと思っているの?」
「あ、いや……そんなことはなくて……。自分だけが、なんかすごく惨めな感じがしているだけで……」
「その気持ちは、もう忘れよう。燈護はみっともなくないし、惨めでもない。世界一素敵な男の子だなんて言うと流石にリップサービスになってしまうけど、かっこよくて、頼れる人だと思う」
「そうかな……」
「うん。そうだよ」
言葉にも、笑顔にも、一点の曇りもない。
この言葉は……信じてもいいのかな。
「ありがとう……」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。それで……燈護の彼女と宣言しておいてこんなこと言うのもなんだけど、事前のメールでも聞いてた通り、デートを通して恋愛について教えてほしいってことでいいのかな?」
「うん。俺、本当に何にもわからないから、何をどうすれば彼女ができるのかとか、上手く付き合っていけるのかとか、教えてほしい」
「わかった。って言っても、私だって、あれこれ指導できるほど経験豊富じゃないんだけどさ。恋愛の極意とはこれだ! とかはとても言えないよ。
だから、必ず彼女が作れる方法とか、失敗しない女の子を喜ばせる方法なんて教えられない。
私に伝えられるのは、私が魅力的に感じる男性像とか、私を喜ばせる方法だけ。それで、いいかな?」
澪がどこか意味深に微笑む。
きっと、澪は一般的な恋愛成就の方法も、女の子を喜ばせる方法も心得ている。それでも、あえてこう言ったのには、何かわけがあるのかな?
「……うん。それでいい」
「ん。それこそ第一歩だよ」
「え、何が?」
澪が何を言っているのかわからず、首を傾げる。澪はふふとおかしそうに笑って。
「目の前の人を、『女の子』なんて一括りにしないで。私は、私だよ。他の女の子と私は別人なんだから、私のための、あなたになって」
「……そっか」
澪は澪であって、ぼんやりとした『女の子』という生き物ではないのだ。
たぶん、とても大事なことなんだろうな。
「私のために一生懸命になれたなら、きっと、燈護は他の誰かのためにも一生懸命になれる。
男の子なら、色んな女の子からモテモテのハーレム生活を夢見ることもあるかもしれない。けど、たった一人のために一生懸命になれる人の方が、ずっとかっこいいと思うし、私は好きだよ」
「そうだな。そうだよなぁ……」
なんだか、根本的な部分の間違いを初っぱなから正された気分。
女の子にモテたい、彼女が欲しい、という曖昧な気持ちでは、見えないものがある。
「……とは言ったものの、案外一途であれば恋愛が上手くいくわけではないし、むしろ失敗しがちなんだけど……それは応用編ってことで」
「あれ? いきなり矛盾したこと言ってない?」
「そんなもんだよ。彼氏は自分を一番大事にしてくれる人であってほしいくせに、ときに素っ気なく振る舞うような人じゃないとときめかない……とかね。女性は、あえて不幸になるような恋を選びがちだったりするの」
「うーん……その心理は、俺には難しすぎるようだ」
「だよね。今はまだ、そういうのまで考えなくていい」
「うん」
「一応、一般的な恋愛心理を学べる動画もピックアップしたから、URLを後で送っておくね」
「あ、うん。ありがとう」
やっぱり、そういうのもある程度理解はしているわけか。事前に調べておいてくれたのは実にありがたい。
「ただし、注意だけど、そういう動画で紹介されてることが全てじゃない。女性心理はこうだと言われてても、それを見て全然共感できない女性もいる。
それに、動画で学んだらすぐに恋愛マスターになれるわけでもない。実際に女性と交流して、たくさん失敗を繰り返さないと、結局何もわからないまま。理論だけ学んでもスポーツが上手くならないのと、たぶん同じこと」
「なるほど……」
「それも踏まえた上で、参考にしてね。
それじゃあ、一般的な話はもうやめて。……私のために、美味しいスイーツのお店に付き合ってもらえるかな?」
「うん、いいよ」
それはいいけれど、ちょっと意外に思う。
私のために、と澪は言ったくせに、女の子全般にウケが良さそうな話だ。
「……私が甘いものを好きだとしても、甘いものっていうのも一括りにしちゃダメだよ? 好みの味は、人それぞれ違うんだから。チョコレートが好きな子もいれば、嫌いな子もいる」
「ああ……それもそうか。いや、そうだよな」
うーん、油断した。簡単じゃないな、誰かをきちんと見るっていうのは。
「それじゃ、行こ? いいお店、紹介しあげるっ」
澪が率先して俺の手を引いてくれる。
……こうして手取り足取り色々と教えてもらえるの、すごくいいな。
学べるものはきちんと学んで、まずは澪を喜ばせるスペシャリストを目指そう!
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