第2話 初デート

 四月十七日、日曜日。

 記念すべき、俺の初デートの日がやってきた。

 相手が恋人代行であろうと、人生で初めて、女性と二人きりでお出かけするのだ。

 気分が盛り上がらないわけがない!

 いっそ踊り出してしまいたいくらいの気持ちで、待ち合わせ場所である都心近くの駅前にやってきた。

 待ち合わせは午前十時。現在午前九時。

 ……流石に早すぎた。いくらなんでも、一時間前行動はやりすぎである。

 しかし、家にいても全く落ち着かず、何も手に着かなかったので、衝動に突き動かされるままにここまで来てしまった。


「……まぁ、いいさ。このわくわく感、まさに初デートって感じだよ」


 人によっては、小学生とか中学生で経験するわくわく感なのだろう。俺は完全に出遅れている。しかし、もうそんなことでいちいち嘆いてもいられない。

 俺には俺の人生がある。それだけのことなのだ。きっと。


「とりあえず、散歩でもするか……」


 一時間立ちっぱなしで待つのは退屈だし、時間までふらっと歩いてこよう。程良く興奮も納まるだろう。

 ふらふらと足を進めて、駅前の繁華街を歩いてみる。普段は賑わう地域だろうけれど、まだお店も開いていない時間帯なので人もまばら。気ままな散歩には丁度良い。

 風は少しあるが、青い空が広がっている。気温も程良くて、絶好のデート日和だと思う。


「こんないい天気の中、彼女と手を繋いで歩きてぇ……」


 できれば本当の彼女と。でも、今日は恋人代行と実現できれば満足だ。手を繋ぐまではオッケーだと確認も取れている。


「はぁ……どんな感触なのかなぁ……」


 女の子の手。なんか柔らかかったり、温かかったりするらしい。

 たぶん、小学生低学年の頃には手を繋いで歩いたこともあるのだろうけれど、その記憶は忘却の彼方。気持ち的には初体験の、女の子の手だ。

 恋人代行相手にはできもしないあれやこれやまで妄想しつつ、ひたすら歩き回ること小一時間。

 俺は、待ち合わせ場所である、駅前の大きなモニターの下に戻ってきた。

 そろそろお店も開店し始める時間帯ということで、俺と同じく待ち合わせをしているらしい人たちが集まっている。


 その中に、白を基調とした清楚なワンピースを身につけた女性を発見する。

 優しそうな目。ロングの艶めく黒髪。透けるように白い肌。童貞の俺にはちょっと刺激的な胸部の膨らみに、スレンダーなスタイル。年齢は、サイトでは十九歳となっていた。実用性の怪しい小さなポーチを肩から提げているのは、女性としてはよくあることなのだろう。たぶん。


 彼女が今日のお相手だ、と瞬時にわかる。

 写真で見るよりも美しい容姿だけれど、服装は事前のメールで伝えられていたものと同じ。そして、なんとなくだけれど、その辺の素人には出せないオーラを感じる。道行く人も、男女問わず彼女に視線を奪われていた。

 うーん、素晴らしい。記念すべき初デートとして、ちょっとだけ料金設定の高いキャストを選んだだけのことはある。

 これは、期待できる!


 ただ……あんな美人に話しかけるのは勇気がいるな。俺みたいなモブ男が話しかけたら、何でこんな奴と一緒に……? みたいな目で見られるに違いない。

 お金払ってるからだよ! と叫んで納得させたいが、あまり大っぴらにそんなことを告げるのは良くなかろう。ここは男らしく、自然に話しかけるのみ……?


「ねぇ、君、俺と一緒に遊ばない?」


 俺が声をかけたのではない。

 俺が辿り着く前に、見知らぬ優男が彼女に話しかけたのだ。

 おお、これがいわゆるナンパという奴か。初めて見た……。って、感心してる場合じゃないよな。彼女も少し困り顔だし。


「すみません。待ち合わせがあるので」


 ああ、その澄んだ声も素晴らしい……。


「そっか。でも、まだ来てないんでしょ? なら、そいつが来るまでの間だけでもさ?」

「いえ、そういうわけにも……」


 彼女は、優しそうな雰囲気そのままに、やんわりと誘いを断ろうとしている。その柔らかな物腰は大変好ましいのだけれど、逆に優男にチャンスと思われてしまっている雰囲気。


「大丈夫だって。そいつが来たら、俺は大人しく帰るから」

「いえ、ですから……」


 彼女の待ち合わせの相手は俺だ。

 それは確かだけれど、割って入るのは勇気がいるな。

 しかし……恋愛経験皆無の俺でもわかる。ここで逃げるのは、あまりにも格好悪い。そんなんじゃ、この先一生、女性と恋愛なんてできるわけがない。 


「ぁぁあの! その子、俺と待ち合わせなんで! だから、もう帰ってください!」


 緊張していたからか、出だしが若干裏返った。恥ずかしい。


「へぇ……?」


 優男が俺の頭から爪先までを一瞥いちべつ。ふっ、と嘲笑して、肩をすくめた。


「え? 本当に? どうせ嘘だろ? 変に正義感出しちゃってる感じだけど、ぶっちゃけダサいよ?」

「だ、ダサくても結構です! 俺はダサい男なんで! かっこよくあるための努力なんてなんにもしてこなかった奴だから、それはもう仕方ないです! でも、本当に俺が待ち合わせの相手なんで、もう帰ってください!」

「だから、お前なんかが待ち合わせの相手のわけ……」

桜庭さくらばさん! 行きましょう!」


 優男の言葉を遮り、本日の恋人代行のキャスト、桜庭澪さくらばみおさんに右手を差し出す。

 桜庭さんはふわりと春の花のように笑って。


「はいっ」


 元気良く返事をしたかと思えば、柔らかくて温かな手で、俺の手を取った。

 おおおおおお女の子と手を繋いでしまった!? とっさのこととはいえ、これが女の子の手の感触か!? 強く握ったら折れてしまいそうだけれど、大丈夫!?

 いやいや、ここで困惑している暇はない。


「じゃあ、そういうことなんで!」

「あ、おいっ」


 優男が伸ばした右手は軽く振り払い、桜庭さんの手を引いて歩き去る。

 なおも優男が追って来ようとするので、もうこれもとっさのことで、男子校で培った悪のり発言。


「お前との関係はもう終わっただろ! いつまでも俺に付きまとうな! 俺はもうこの子と付き合い始めたんだから、俺のことは忘れてくれ!」


 一瞬の静寂。優男が惚ける。何を言われたのかわからないのだろう。

 ただ、周りの人がざわめく。

「え、どういう状況?」「あの二人ってつまり……」「かっこいい人だと思ったけど、そっちの人か……」

「は、はぁあああ!?」


 優男がきょろきょろと周りを見る。おそらく、彼の人生の中で感じたことのない、生温い視線だろう。俺にも向けられているが、別にそんなのは気にならない。

 いたたまれなくなり、優男が去っていく。

 ふぅ……これで一安心。


「じゃ、行きましょうか」

「はいっ」


 くすくすと笑いながら、桜庭さんが俺についてくる。ああ……この笑顔だけで胸が一杯だ。その上、ふんわりと漂ってくる甘い香り……。

 なんて素晴らしい。これが彼女か! 恋人代行だけど!

 関係はどうあれ、ここからが俺のデートの始まりだ!

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