第32話 女の敵

 ここでいうホームランとは、対面のネットに提げられた『ホームラン』という看板に打球を当てることだ。

 当然だが、俺は達成できなかった。それどころか、ボールをまともに打ち返すことすらできなかった。ぎりぎりかすらせた程度。

 プロ野球選手は百五十キロとかを平気で打ち返してるイメージあるけど、百三十キロでも十分速い。これより速い球を打てるってどういうこと? 本当に同じ人類?


「はぁ……。燈護ってホント、全てのチャンスを不意にするよね……」


 バットを置いて戻ったら、七星に深い溜息を吐かれてしまった。


「何がチャンスだよ。ただの冗談のくせに」

「そーだねー」

「気のない返事だな」

「あたしはもう少し遊んでくから、燈護は好きにしてていいよ。あ、メダルはもう一枚渡しとく」

「それならお金を……」

「いいからいいから。女買いまくっててお金にそんな余裕ないでしょ? そんくらいあげるって」

「言い方……」


 恋人代行と遊ぶのは『女を買う』の範疇に含まれるのか……。性的な接触をするわけではないから、ちょっと違うように思うのだが……。

 明確な反論をできずにいると、七星はささっとまた百三十キロを打ち始める。すごいよなぁ、本当に。思わず見とれてしまうね。


「……すご」

「ん? ……え?」


 背後から声が聞こえたので振り返ると、そこに璃奈がいた。


「璃奈!? え、なんでここに?」

「……今は時雨夢衣だよ」

「あ、ごめん。時雨さんは」

「夢衣」


 むっとしながら訂正を促してくる。プライベートで親しいわけでもないのに、いいのかな……。


「えっと、夢衣」

「ん」

「ここで、何を?」

「……様子を見に」

「あの友達二人は?」

「用事ができたってことであたしだけ抜けてきた」

「いいの?」

「大丈夫」

「そっか。……そもそも、ここにいていいの? お仕事以外での接触は……」

「偶然会っただけだもん。誰にも文句言われる筋合いない」

「そう……? ならいいけど」


 あまり良くはない気もするが、変に問題を起こさなければ大丈夫だろう。


「……燈護君は、あたしがいたら困る?」

「うーん……今は七星とのデート中だからなぁ」

「……あたしも混ぜてよ」

「それは、ありなのか……?」

「燈護君次第」


 俺より、七星次第じゃないか?

 ごく普通に考えると、嫌がるよなぁ。


「うーん……」

「燈護君、あの人のこと、好きなの?」

「好きとかではないなぁ。まともに話したのも今日が初めて。そもそも、七星だって俺のことを好きとかではないよ。なんちゃって恋人代行やってるのも、たぶん興味本位」

「じゃあ、なんでそんなに仲良さげなの? 腕も組んじゃって」

「七星は恋愛経験もあるから、それくらいたいしたことないって思ってるんじゃないか?」

「……ふぅん。そういうことにしとく」


 含みのある言い方……。俺、何か思い違いしてる?


「燈護君は、本当にあの人のこと、好きってわけじゃないんだね?」

「そういうのじゃないよ」

「でも、可愛いとは思ってるでしょ」

「まぁ、うん」

「付き合いたいって思う?」

「そうだなぁ。綺麗だし、明るくて接しやすいし、話してて楽しい。実際に付き合えたら、楽しそうだなって思うよ」

「むぅ……」


 夢衣がじろりと俺を睨む。な、なんか悪いこと言っちゃった……?


「あたしとは?」

「……と言うと?」

「あたしとは、付き合いたいと思う?」


 なんでそんな質問を? 俺、ただのお客さんだろ?


「うーん、客の立場であまり言うべきじゃないんだろうけど……この前のデートの時もずっと、本当に夢衣と付き合えたらいいなー、とは思ってたよ。もちろん、そういうのはありえないってわかってるから、単なる妄想なんだけどね」

「……そう」


 夢衣が俯いて頬を赤らめる。お客さんからだとしても、好意的に見られるのは嬉しいものなのかな。


「燈護君、浮気性だ」

「浮気性って……。誰とも付き合ってないし、つまらない妄想するくらいは構わないだろ?」

「ふん。浮気性だもん。女の敵だもん」


 ここで、七星の打席が終わる。こちらを振り返り、夢衣を発見して驚く。

 足早にこちらに戻ってきて、眉をひそめる。


「なんでその子がいるわけ? 燈護、呼んだの?」

「あたしが勝手に来ただけ。燈護君は悪くない」


 夢衣が一歩前に出て、何故か七星に挑むように言った。


「何しに来たの? デートの邪魔、してほしくないんだけど?」

「……別に本当の恋人ってわけじゃないんでしょ?」

「そうだよ? あたしたちがやってるのはただの恋人ごっこ。でも、ごっこ遊びも真剣にやるから面白いんだよ」

「……あたしも、一緒に遊びたい」

「はぁ? 何考えてんの? 燈護に二股デートの仕方でも教えたいわけ?」

「そういうわけじゃ……けど……」


 夢衣と七星が睨み合う。……七星が夢衣を睨み、夢衣は必死に耐えてる感じかも。

 この状況、俺、どうすればいい? 仲裁するべきとこ? なんて言って割り込むの? この雰囲気の女性二人に割り込むって、どんな剛の者なの?


「引き下がるつもりはないのね?」

「ひ、引かないっ」

「ふぅん。そ。あんたがそう言うなら、仕方ないね」


 七星が俺を見る。そして、ニタァっと意地の悪い笑みを浮かべた。


「燈護。ハーレムデートができるとか、期待してないよね? あたしとこの子、どっちとデートの続きしたい? 選んでよ」


 うわぁ、なんて酷な選択を迫る人だろうね!

 あの笑みを見るに、『こう言った方が面白そう』とかいう気持ちで、俺に選択を迫っていそうだ。


「燈護君……」


 夢衣は、捨てられた子犬みたいな顔で俺を見つめてくる。夢衣は何を考えているのかな? ただのお客さんに向ける視線ではないと思ってしまうけれど……。

 二人が俺の前に立つ。七星が手を差し出してくると、夢衣もそれに倣った。


「デートしたい方の手を取ってよ」


 七星、心底楽しそうな笑み。いい性格してるよ、本当に。

 ある意味、男としては憧れのシチュエーションなのかもしれない。女性二人に求められて、どちらかを選択するだなんて。

 ただ、実際にその状況に置かれると……気まずさしかない。

 俺、どうすればいい……?

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